第46話 矜持②
「あのー。大樹君、どうしました、か……?」
どうやらなかなか戻ってこない大樹が気になったらしい。茜がやって来た。
大樹はハッと正気に戻り、茜の方を向いて
「ああ、すまない。中学時代の知り合いにあってな」
「知り合い」
「そうそう。だから少し話してたんだ」
振り返るとアイツはいなくなっており、少し離れた席で友人達と談笑しているらしい。
「大樹君」
いつにもまして冷ややかな声。しかしその声には確かな心配の色があって、大樹は俯くのだった。
「何が……あったんですか」
席に戻ると茜が問いただす。
「だから知り合いだって」
「じゃあなんでそんなに辛そうな顔してるんですか」
「茜には関係ない」
「いいえ、私と大樹君は友達ですし、大樹君と違って私に友達と言える人は大樹君と美羽さんしかいません。その貴重な友達が傷ついているのに救えないのは辛いです」
「……そっか」
「別に私を信頼できないとか、大樹君自身が話したくないのなら話さなくて良いです」
茜は「友達ですから」とふんわりと笑顔を浮かべた。
なら、友達に頼ろう。
「重い話だぞ」
「非力ですが少しぐらいは持てます」
「茜がしんどくなるかもしれないぞ?」
「そうなっても大樹君なら私のことを支えてくれます」
大樹はほおっとため息をついた。いずれにせよ、これから関係を深めていきたい大樹としては茜に話しておかないといけないことなのだ。
「あんまりファミレスでする話でもないから電車まで待ってくれないか?」
「電車、ですか。いえ、公園にしましょう。人目につかない良い場所があるんです」
二人は黙々と夕食を済ませたのだった。
「着いてきてください」
「ああ。分かった」
特急電車を降りて駅のホームに出ると茜が先導をしてくれるらしい、こちらを向いて手招きをしている。
大樹はその小柄な少女についてくべく足を運んだ。
時刻は午後八時。空は晴れており少しばかり星が見える。大きく欠けた月が空に浮かび、ただその月明かりは地方都市の持つ人工的な光に混じり感じ取ることはできない。
街灯の下を歩く、茜はいつのまにか大樹の隣に立っており、時折強く吐いた呼吸が聞こえる。
ただただ、静かだった。
茜の家から徒歩十分ほどにあるその公園はなるほど人は居らず、寂れた街灯一つが弱々しい光でベンチを照らしていた。
そんな寂れた公園にミスマッチな新品らしき自動販売機に向かった茜はココアを二本購入してベンチに座る大樹に持ってくる。
その片方を手渡すと大樹はカバンから財布を取り出して硬貨を三枚ほど取り出したが茜はそれを拒否する。
その小さな体躯が大樹の隣に腰掛けるとベンチが少し軋む音がした。気になった大樹が見るとすでに足のコンクリートの部分が風化してきている。
茜はボトルキャップをひねって金属ボトルに口をつける。大樹もそれを真似てココアを口にする。
「じゃあ、聞いてくれるか?」
「はい。聞きましょう」
大樹はボトルを閉じて茜に向き直る。
「これは二年前の話だ」
そうして大樹は語り始めたのだった。
あの時は、全てが輝いていた。
自分を、そして大切なものを守るその姿にかっこいいと憧れて小学一年から始めた空手。型を練習して、初めて真っ白な帯に黄色の筋が入った。
その頃、祖母が大樹のためにお手製のお守りを作ってくれた。それは大会の時いつも大樹の背負うリュックの右のひもについていた。
そのお守りは大樹のことをいつも見守っていて、祖母が癌で亡くなり、形見のように大切にしていたものだった。
黄色の帯に赤の筋が入った。
小四では帯が黒になり、中一では四段を取得した。
市大会で優勝した。
県大会で優勝した。
東海大会でもなんとか勝った。
全国の表彰台にはギリギリ届かなかった。
ただ、なんら苦痛ではなかった。空手を楽しんで、そのオマケだ。むしろ、満足した。
これだけやれればもっと楽しくなる。
もっと強くなる。
もっといろんな景色を見れる。
そして、名前の由来である、
〈大きく、周りに頼りにされて、守ることができますように〉
という亡き祖母からの願いを叶えることができると思っていた。
そう、その時の草宮大樹は希望に満ち溢れていたのだ。
その日までは。
その日、大樹は中学生空手大会の県大会にいた。
市大会では圧勝し、第一シードに腰を据えた大樹は決勝戦まで勝ち残った。
相手は気弱そうな少年だった。勝てそうだと思ったが、油断はせず、本気で組み合った。
結論から言うと、勝った。やはり決勝まで残るだけあって、かなりの強敵だったが、勝つことができた。
そして、大会が終わり、大樹が道着から私服に着替え、さあ帰ろうとした時……
「なあ、お前」
声をかけられた。大樹はその方向を振り返る。すると、決勝の時に組み合った少年がいた。その手には大樹がいつも身につけている祖母手縫のお守りがあった。
小一から使い込み、手垢が着いてほつれが目立つそのお守り。
そのほつれのせいかどうやら落としてしまったらしい。
「拾ってくれたんだな、ありがとう!」
大樹はその少年に近付き、お守りを受け取ろうとした。
手が届くと思ったその時
「ばーかっ」
「!?」
彼はお守りを地面に叩きつけ、高笑いしながら何度も踏みつけた。
意味がわからなかった。なんで彼は人の宝物を踏みにじっている?
「勝つはずだったんだ!ようやく優勝できると思ったんだ!お前のせいで!お前のせいで!」
狂ったように笑いながらお守りを踏みつけるそいつに大樹の中で何かが壊れた気がした。
「……ふざけんなよ」
大樹は拳をキリキリと固めた。
そうして飛びかかり……
人生で初めて、人を傷つけるために拳を振るった。
ただ、その拳は届かなかった……
注意
空手の段位に関する設定は現実のものと異なっています。
現実では最低年齢制度が組み込まれており大樹の当時の年齢(14歳)で全日本空手連盟の三段以上を取得することはできません。
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