第114話 水着について

 茜の料理の手際は決して良いとはいえなかった。


「危なっ!」


 大樹は慌てて茜の右手首を掴んだ。彼女の握る包丁は彼女の左手に向いていた。茜は一瞬目を丸くして自分の手元を見る。


「び、びっくりしました……大樹君。ありがとうございます」

「手元ちゃんと見て。茜に怪我されると俺も困る」

「は、はい……」




 無事に肉じゃがが完成したころ、縁がふらりと帰ってきた。


「ただいまー」

「おかえり縁」

「縁さん。おかえりなさい」

「うっわ、夫婦だ」

「誰が夫婦だ」

「えへへ、夫婦ですか……えへへ……」

「茜さんは満更でもなさそうだけど?」

「えへへ、そりゃそうでしょう?好きな人と夫婦みたいって思われるんですよ?」

「そうだな」


 大樹は茜の頭を優しく撫でる。


「はーいボクは一旦自室に引っ込もうと思いまーす。あとは二人でごゆっくりー」

「縁、茜が作ってくれた肉じゃが食べないのか?」

「確かにそっちの方が優先だ」


 縁は荷物を置くために廊下に消えていった。




「「「いただきます」」」


 全員の茶碗にご飯を盛り、味噌汁の入った椀とそれより一回り大きな椀に肉じゃがを入れて手を合わせる。

 大樹と縁は示し合わせたように早速肉じゃがに箸を伸ばした。しっかり汁の染みたジャガイモを口に運ぶとすぐにほぐれて……


「茜さん!美味しいよこれ!」


 負けた。妹に負けた。縁より早く茜に伝えたかったのにその縁に負けた。


「ふふ、ありがとうございます」


 やっべ、茜もニコニコ笑って返事したせいでこっから言い出しにくい……

 そんな葛藤をしていると茜は大樹の方を不安そうな目で見た。


「あの、大樹君……もしかしてあんまり美味しくなかったですか?」

「いや、そんなわけないって。ただ縁に先を越されてちょっとショックだっただけ。めっちゃ美味しいから安心して」

「あー、兄さん。なんかごめん」

「縁も悪くない。悪いのは妹にスピード勝負で負けた俺だ……」


 大樹は項垂れる。ふと、頭に手が置かれた。


「よしよし、です」


 茜は大樹の頭を優しく撫でながら「よしよし」と言い続けている。


「あー、もう食べ終わったからボク部屋戻るね。ごゆっくりー」

「ああっ!縁さん……早いですね」


 茜のその声が頭上で響いた時に大樹は茜の手をポンポンと叩く。そして頭を上げた。


「その、なんか、すまんな」

「いえいえ」

「茜の肉じゃがすっごい美味しかった。また今度も作ってほしい」

「はい!」


 茜は満面の笑みを浮かべたのだった。




 それから四時間ほどが経過して夜十時ほど。


「じゃ、ボクは寝るね」

「おやすみ」

「おやすみなさい」


 縁が廊下に消え、足音が階段を上がっていったところで大樹は一息ついた。


「縁さんやっぱり面白い人ですね」

「まあ確かに面白いけどあれの相手はすごい頭が疲れる。理解できない話をさも当然のように語ってくるからきつい」

「彼女ほんとに頭いいんですね。びっくりしました」

「妹と全然違うんだよなー」

「確かに、考えてみたらそうですね。縁さん運動できないみたいですし」


 茜も運動は苦手だが、走る、投げる、跳ぶという基本の三つはそこそこできる。ただ、縁はその『そこそこ』すらもできない。最底辺クラスである。

 何度も言うがその分頭脳が化け物じみているのでそちらでバランスは取れているのだろう。天は二物を与えずだ。

 服部先輩?あの人はもうニュータイプ。


 二人でソファに横並びで座りながら他愛のない雑談を交わす。


「その、明日水着を買いに行きますが、大樹君は私のどんなのが見たいですか?」


 茜は自信なさげに尋ねてくる。その質問に大樹は思い切り考え込んだ。

 茜はビキニタイプもワンピースタイプもどちらも似合いそうな気がする。

 大樹としては露出の多いビキニタイプを勧めたいが、茜の体をできるだけ見せたくないのでワンピースタイプもいいかもしれない。


(これは難問だ)


 大樹がじっと考え込んでいると茜は困ったように眉尻を下げた。


「そんなに真剣に考えなくてもいいですよ?直感で選んでみてください」

「おっけ、じゃあ、こんな感じの、どうかな?」


 大樹はスマホで検索をかけて画像を茜に見せる。


「茜は肌が白いからこういう明るめの色がいいと思う」

「なるほど……大樹君はこう言うのが好みなんですね」


 大樹が直感で選び、茜に見せたのはビキニタイプのそれ。覆う面積は広く、フチを彩るひらひらが可愛らしいデザインだ。


「茜って可愛いよりも清楚で美人って感じが強いからいいと思うんだけど、どう?」

「わかりました。ちょうどAtOmに店舗があるらしいのでそちらで揃えましょう」


 茜はスマホのメモにそのことを打ち込んだ。彼女は顔を上げると大樹の方を見る。


「大樹君の水着も揃えないといけないですね」

「あー、そのことなんだが……」


 大樹は言いづらそうにしてからこたえた。


「今年の春くらいにもう揃えてあるんだよ」


 実はゴールデンウィークの直前に楓哉と一緒に買いに行ったのだ。


「んなっ……」


 茜は絶句した。




次回更新

10月22日予定








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