第5話 佐渡さんと素通しメガネ

 茜から聞いた話によるとi=√−1の数式は虚数と言うらしくそれが存在しなくなると電子の動きすら予想できなくなるらしい。


「なんか、凄いのか?」

「ええ、もちろん。現代科学の進歩にも一役買ってくれた素晴らしい数式です」


 ちょっと誇らしげに言った茜に大樹は驚いたように瞬きをし、


「どうしましたか?」

「いや、佐渡さんもそんなふうな表情するんだなって」


 すると、茜はビクッと肩を跳ね、途端にムスッとした顔をして、


「これ以上やると脱線しそうなのでここで止めておきますが、いつか覚悟しておいてください」

「へいへい」

「全く覚悟も何もしてなさそうなんですが……」




 放課後、大樹と楓哉はエムドで課題を仕上げていた。女子2人については、美羽は陸上部、皐月は弟達の世話があるらしい。


「少し、休憩にしないか?」


 楓哉が顔をあげてポテトをつまむ。大樹は自身の課題の進捗を確認し、問題ないと判断したのでそれに付き合うことにした。

 そして、楓哉のことだから話題はもう既に分かりきっている。


「皐月って今フリーなの?なあ、教えてくれ」


 この男は皐月に片想いしている。

 中学生のころ、同じ委員会だった時から好きらしい。


「フリーだろうな。皐月に彼氏がいたなんて聞いたことがない」


 皐月は全ての告白を振っているという。それが原因で皐月は彼氏がいるという噂が立っているが、本人曰くそれは違うらしい。どうやら、『私より頭が良くないと好きになれないわ』だそうで、


「ただ、お前はもっと頑張らないと皐月のお眼鏡にかなわないと思うが」


 すると楓哉はガクッとうなだれ、


「なんで僕はこんなに頭が悪いんだ……!」

「一応進学校受かったんだから自信持とうな?」


 実際秦明学園は県一の進学校と呼ばれており、毎年医学部、旧帝クラスに100人以上が合格している。

 そんな高校に入学できるレベルなのだから楓哉も十分レベルは高いのだが……


「なんでいつメンの2分の1がトップ30番とトップなんだよ」

「安心しろ。平均したらちょうど真ん中辺りだ」

「さらっと僕と美羽のことディスるね!?」

「美羽は振れ幅が高いから低い方で計算してる」


 本調子の時はトップ50に入るのだが、調子が悪いと下から40番とか普通にある。それが美羽。


「結局僕はディスるんだね!?」

「いや、まあ、それは、楓哉だし」


 すると彼は諦めたようにため息ひとつ。そして、


「そう言えば大樹の恋愛事情なんも知らないんだよね。最近好きな子いないの?」

「今の所恋愛には一切興味ないな」


 意外だ。と言うふうに目を丸くした楓哉は、


「でも、告白とかはよくされてるんだろ?その中にもいい子いっぱい居たんじゃない?」


 その疑問に大樹はしばらく考え込んでから、


「確かに可愛い女子は多かった」

「でしょ?じゃあなんで?」

「可愛いだけじゃ好きになれないし、そもそも雰囲気がタイプじゃない」

「いっつもそう言うけどさ、大樹のタイプもマジでわからないんだよね」


 言ってないもんな。そう心の中で呟きつつ大樹は再びノートに視線を落としたのであった。




 週末、日曜日。大樹は駅前にいた。つまりそう言うことである。

 茜と一緒にアニマーテでヘルファイのグッズを買いに行くのである。

 そして現在時刻は9時半。集合の10分前である。


 大樹自身は5分前以上行動をとる割に他者にはそれを強要しない。流石に無断の遅刻には少しイラっとするが理由があったりしたら問題ない。


 いつメンで遊ぶ時も美羽は大抵遅刻するので遅刻には慣れていると言ったほうが良いか。


 根は真面目な茜の事だからそろそろ来るだろうと予想してスマホから顔を上げる。

 周りを見るとかなりの人。そのうちの1人に大樹は焦点を当てた。

 いつもよりもボサボサが抑えられた髪の毛からはきちんと目元が出ている。茜だ。


 華奢な体躯は秋を意識したオレンジ色のシンプルなワンピースに包まれており、その背中にある大きなリュックサックとの対比が少し面白かった。

 大樹が彼女に向けて手を振ると茜は駆け足でこちらに近づいてきた。


「すみません。お待たせしました」


 ぺこりと頭を下げて謝る茜だが、大樹はにこやかに笑いながら腕時計を見て、


「でもちゃんと5分前に来てるから良いじゃん。それに俺も今さっき来たところだし」


 するとちょっとだけ不満げな表情を浮かべ、


「男性の『今さっき来たところ』と言うのは信頼してはいけないと母親が教えてくれました」

「あちゃー。それなら仕方ない。白状するとしよう。佐渡さんとアニマーテに行けるのが楽しみで9時にはここに居たよ」

「っ、それは……」


 目を逸らして照れくさそうにメガネをいじる茜。

 そのメガネの奥の目はほんのりと紫が入っているように見えて、


「ん?」


 一瞬、違和感を感じた。


「佐渡さん。そのメガネって度いくつなの?」


 途端にビクッとしてほんのりと警戒の色を滲ませた茜だが、ぎこちない微笑みを浮かべ、メガネを外した。そしてそれを手渡してくる。


「かけてみてください」


 言われた通りに縁の太いメガネをかけてみると、


「やっぱり、素通しなんだね」

「ええ」


 そして茜にメガネを返す。彼女は慣れた手つきでメガネを掛け直した。


「理由は、聞かないんですね」

「別に素通しのメガネなんてオシャレするなら普通だし、佐渡さんに何か理由があって話したくないなら聞かないし」


 この話は終わり、とばかりに大樹は改札の方を向き、


「メガネなしの方が可愛いじゃん。そのメガネも似合ってるけどさ」


 少しぶっきらぼうな口調になった自分に違和感を覚えつつも感想を言う。


「え、あ、その……っ!」


 途端にあたふたとしだす小柄な彼女だが、大樹としては美羽や皐月と遊ぶ時に、『今日も似合ってるじゃん!!!』のノリで言っただけであり、ここまでの反応は想定していなかった。


「あ、服も似合ってるよ。名前も茜だし季節も秋だしオレンジってめっちゃ良いじゃん」


 そうして遂にポットよろしく湯気を出しそうになった茜に電車に乗るまで口を聞いてもらえなくなったのはまた別のお話。


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