第95話 春の終わりに

「大吉です!来ました!」


 茜はそのおみくじを大樹に見せつけてニコニコしている。にしても近い。老眼なわけないがそれでもピントが合わないレベルで近い。


「茜。近くて見えない」

「あ、失礼……」


 少し腕を引いてくれたおかげでおみくじがよく見える。なるほどたしかに大吉だ。そして何が書かれているのか見ようとしたが茜が慌てたようにピシャリと閉じてしまった。


「人のおみくじの内容を人に見せたら叶わなくなっちゃうらしいです」


 なるほど、つまりただの大吉自慢と。大樹は自分の手元にあるおみくじを開く。

 真っ先に飛び込んできた文字に嘆息する。


「『凶』だったわ……」

「残念ですね」

「いや、内容ワンチャン良いの書いてあるから」


 大樹は紙を開いていき色々と見ていく。


(うわー、無くしたもの見つからないのか……。健康運なにこれ『大怪我に気をつけよ。信ずれば直る』。何を信じれば良いんだ? 恋愛運は、どれどれ……。『信じよ。さすれば道は開ける』……だから何を信じるんだよ!)


「大樹君。見た感じ酷いの引きましたね」


 しかめ面をしていると茜が気がついたらしい。そんなことを言ってきた。


「まーじで意味分からんのばっかりだった。一旦結んでくるわ」

「分かりました」


 大樹はおみくじを細く畳んでおみくじ掛けの木に結びつける。

『凶』なんて引くのは後にも先にもこの一回だけだろう。そんなことを考えながら。




 二人でお参りして、しばらく回っているとそろそろ時間になったので例の集合場所に二人で向かう。

 と、そこで信じられないものを目にした。どうやらそこで茜もその空間の異常さに気がついたらしい。

 具体的に言えば人混みの一部がぽっかりと空いて、その中心に二つの人影が見える。

 おずおずといった様子で大樹のことを見上げてくる。


「あの真ん中にいるのって……」

「……妹よ。どうしてそうなった」


 大樹のげんなりとした声はその当事者には届かなかった。

 縁と御影煌がいる。それだけならなんら不思議ではない。時間としても集合の十分前程度であるからまあ普通であろう。


 でも、公衆の面前で熱いキスを交わすのはここ日本において普通ではないだろう。いつの間にそんなバカップル化したんだ!?


 その二人のせいで空気中の成分の一部がルグズナムへと変化したのか、空気自体が甘すぎて胃もたれする。

 というかそもそも身内の、それも妹がキスしているのをあまり見たくなかったのというのもある。


 少なくともこの二人がここにいると他の通行人の方がそれに呑まれてしまうだろう。


「茜。あの二人、なんとかしようか」

「ですね」


 大樹と茜はその空間へと足を踏み入れた。できるだけさりげないように。そして彼らに声をかける。


「お二人さんや。仲が良いのは結構だけど、周りを気にしような?」


 すると情熱的な二人はバッと周囲を見渡して、弾かれたように離れた。


「こ、煌くん……」

「縁……」


 やめろもう一回甘い空気を漂わせるな。見つめあいながら頬を染めるな。

 その時ちょうど茜が人混みを抜けたらしく大樹の横に息を切らしてたどり着いた。


 大樹はそこで縁たちに向き直る。


「じゃあ、もう時間だから撤退するか」




「じゃあ、ここで解散だな」


 いつもの駅に戻ってきた四人。ここからは二人ずつで別行動を取る。


 縁たちの小さくなる背中を見送った後大樹は彼女に手を差し出した。


「送るよ」


 彼女はその手を取りながら微笑む。


「お願いします」




「どうだった?今日」


 大樹は夕暮れ時を歩きながら横にいる少女にたずねる。

 しばらく待つと返事がきた。


「すごく楽しかったです。でも……」


 どうやら茜は思うところがあったらしい。


「どうした?」

「もっと、私だけを見てほしかったです。縁ちゃんや御影君と仲良くするのは良いことです。でも、神社の時大樹君は周りを時々気にしているように見えました。それがちょっとだけ、嫉妬しちゃうんです」


 息を呑む。なるほど確かに理解できる話だ。たくさんの人が行き交う中で茜にほとんどの意識を割き続けるわけにはいかない。

 色んな人と無意識のうちに関わり続ける人生において『お前しか見てないから』なんてできるわけがないのだ。

 そりゃもちろんかなりの注意を払ってはいるが、茜にとってはどうやら嫉妬してしまうものだったのだろう。



「ごめんな。茜に十分に構ってあげられなくて……でも、あの人混みの中だと茜だけに意識を割き続けるのは正直言って難しいんだ」

「わかってます。私がとっても重いことくらいわかってます。ほんとに、私はダメですね……」


 だんだん彼女が纏う雰囲気が暗く沈んだものになっていく。慌てて大樹は茜を抱きしめた。その小さな頭を撫でる。


「もしかしたら茜は確かに重いのかもしれない。でも、それでも、俺はそんな茜のことを好きになったのは間違いないから。ダメなんて言うな」

「大樹君……」

「それに、好きな子に嫉妬してもらえるなんてすごい光栄なことだからさ」


 大樹はにっこりと微笑んだ。




 春の夜空に吹いた風はその終わりを告げて、いつか最後の試練を彼らに運ぶ。




次回投稿予定


9月9日







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