第29話 衝動vs理性(理性勝勢)

 ひゅー。ぽと。ころころ。

 茜の放ったボールの向きは正しかった。そのボールは非常に鋭い放物線をゆっくりと描き、茜の2メートルほど先に落ちた。


「ふむ。難しいですね」


 思慮深げな顔になった後、再びボールを掴み取った茜は


「どこかで計算を間違ったとして……」


 いや、よく分からないけど良い感じに的の少し上を狙って投げたら普通に届くはずだが……


 しかし彼女は律儀に頭の中で立式を始めている。そして数秒後


「うーん……」


 困り果てたようにこちらを見てくる茜に歩み寄り、そして受付の野球部員に


「彼女にお手本見せても良いですか?」

「ああ、そういうのは野球部がやる……と言いたいところだけど別に良いよ」

「ありがとうございます」


 大樹は転がる白球を掴み


「理屈じゃなくて感覚なんだよ」


 茜に言い、すごく軽い力で一球を放った。

 スパンッ


「おお」


 満足感を覚えて茜を振り返ると、目をキラキラとさせながら大樹のことを見上げていた。


「かっこいいです」

「っ。あぁ。ありがとう。それで、なんかわかった?」

「もちろんです」


 茜はコクリと首肯し、

 それからの十一を全て外した。




「これが最後……見ててください!」


 何やらストラックアウトに真剣な女子がいると少し話題になったらしい茜には二十ほどの観客がいた。ただそれに茜が気づいた様子はない。


 彼女はぐるぐると腕を回し、その腕を下ろし、深呼吸した後地面に転がるボールを手に取り、落ち着くように目を閉じて、ゆっくりと開き、


「ふんっ!」


 その放物線は急斜面だった。しかし、今までよりも確実に上手くなっている。


 目測で高さ六メートルほどに達した白色の流星は的、その中心、五番に向かって急降下。


 大樹は祈るように手を合わせ、茜はぎゅっと目を瞑った。

 スパンッ


「あ」


 その後に反応した茜は目を開け、大樹もその的を見た。そこには、


 中心に風穴の空いたストラックアウトの的があった。




 今思えば、神経が高揚していておかしかったのだろう。


 黒髪を靡かせた彼女は大樹の方にふわりと振り返り、近くに寄った後甘い笑みを見せる。

 その黒曜石の瞳には柔らかな光が宿り、一歩一歩歩いてくる。


 大樹もそれに当てられたように彼女に少しずつ歩み寄る。


「やりましたよ。大樹君」

「ああ、見てた。すごいな」

「褒めてください」

「さっきのは褒めたに入らないの?」

「違……わくはないですけど」


 そうして少し詰まった彼女は、甘えるように目を閉じ、そして、


 バチンッ

「たっ!」


 茜に叩かれた。いや、痛くはない。彼女の小さな手に当たったところでなんともない。しかし


「なんで叩いた?」

「えっ、あの、その……」


 茜は目に見えて狼狽えている。

 さっきの一瞬、茜は目を閉じて大樹の方を軽く見上げた。


 そして、彼女が一歩を踏み出そうとした瞬間茜は何かに弾かれたようにその腕を振るったのだ。


「ごめんなさい!」


 茜はほぼ直角に体を曲げた。





 私何してるんですか!いや、そりゃ初めてのストラックアウトが有終の美を飾ったのは嬉しかったですが、だからと言って大樹君に抱きつこうとするなんて!


 それに自分でもびっくりしたからといって大樹君のことを平手打ちしてしまうとは……


「なんで叩いた?」


 いつもより重い声で尋ねられ私はおろおろとしてしまって言葉が出てきません。

 でも……謝らないと。

 私はなんとか自分を落ち着かせて


「ごめんなさいっ!」


 深々と頭を下げた。




 ストラックアウトを一つつ残しという微妙な結果で終わらせた大樹は横をトボトボと歩く少女を眺めて


「いや、あれは茜悪くないって」

「ですが……」


 茜は大樹のことを叩いたことを未だに気にしているらしい。先ほどから気にするなと声はかけているのだがこの調子である。


 これはどこかで持ち直してもらわないとなと考えた大樹はにこやかに笑い


「着いてきて」


 やってきたのは大樹のクラス。

 廊下を見ると意外と列ができており自分のクラスが人気だと地味に嬉しかった。

 その列の最後尾に着くと茜は


「クラスの方々が多いです。助けてください」

「大丈夫。別にバレたとしても良いじゃん。茜が実は可愛かったで済む話」


 別に自分で茜のことを可愛いと口に出したのは問題ない。事実だから。


 でも、やっぱり彼女にその免疫は全くなかったらしく、顔を俯けて大樹の制服の裾をつまんできた。


 大樹はそれに気づかないふりをして何も喋らずに列の前方を眺めていた。




 列が短くなり教室に入った2人は受付に座る生徒、美羽の視線を浴び


「タジュ。他校の子なんじゃなかったの?」

「えっとだな……」


 どう説明しても悪い方に転ぶのが目に見えている。数日前の自身の不覚を大樹は呪った。


「まあ、別に良いけどさ」


 美羽は不服そうに茜の方を見て、すぐに人好きする笑みを浮かべ


「うちの大樹をよろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げた。


「おい待てお前のものになった記憶はない」

「まあまあ、いーじゃんいーじゃんラー◯ャン」


 一個ゴリラが出てきたが気のせいだろう。そして、小さな声で


「茜ちゃん。普段からそうしたら良いのに」

「知ってるのか?」

「そりゃ知ってるよー。あたしは茜ちゃんの友達だからね!」


 横の茜はほんのり笑みを滲ませてこくりと頷いている。


「部誌の綴じ作業の件はありがとうございました」

「良いってことよ!」


 ばっちぐー。とサムズアップをした美羽はふと真剣な顔になり


「カップルシートがございますがどういたしますか?」

「茜、普通のやつで」

「ええ」

「では、お楽しみください」


 そうしてドームに入る列に並んだ二人の背中を美羽はじぃっと、見ていた。

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