第四章

第063話:優季奈の静かな怒り

 大型連休が明けた響凛きょうりん学園高等学校の初日は気怠さの中で始まった。


 織斗おりと綾乃あやの汐音しおんの三人はいつもどおりに授業を受け、まもなく六限目が終わろうとしている。


 朝から三人ともが心ここにあらずな状態だ。まだそれぞれの想いが重なり合うことはない。


 一人、事情を知らされていない優季奈ゆきなだけが三人の違和感に右往左往している。織斗はあえて三人の関係にひびが入った事実を告げていない。そもそもの原因の一つが優季奈だとは口が裂けても言えないからだ。



 六限目の授業の終了を告げるベルが鳴った。ほぼ同時だ。綾乃も汐音も立ち上がるなり、一目散に教室を後にしてしまった。


 互いに朝の挨拶こそ交わした。それ以降は目も合わせないままに一日を終えるなど初めてだった。



 鞄を持った優季奈が心配そうに近寄ってくる。



「風向君、どうしちゃったの」



 学校にいる間はお互いに姓で呼び合う。優季奈も佐倉さくら優季奈ではなく、あくまで鞍崎凪柚くらさきなゆだ。



「鞍崎さん、少しだけつき合ってくれるかな」



 優季奈は不安ながらも小さくうなづく。



 鞄を持った織斗が先に教室から出ていく。時間差で優季奈もまた自然に教室を後にした。


 織斗の後姿は捉えている。あえてゆっくり歩いてくれている。これなら見逃すこともないだろう。


 織斗が階段を上っていく。優季奈も目的地が把握できたようだ。これで織斗の姿が見えなくなったとしても確実に辿たどり着ける。



 風薫る季節、放課後になってもまだまだ太陽は高い位置にある。斜めから降り注ぐ陽光が心地よい。およそ数分遅れて屋上に出てきた優季奈は織斗の姿を探し求めた。



(織斗君、どこに行ったのかな)



 視界に入る範囲に織斗は見当たらない。優季奈は物置小屋を通り越して、織斗がいるであろう場所へと歩いていく。優季奈にしてみれば、近寄りたくもないだろう。何しろ飛び降り自殺を図った場所でもあるからだ。



 織斗はフェンスを背にして優季奈が来るのを待っていた。優季奈の姿を確認した織斗がわずかに右手を挙げて応える。優季奈も小さく手を振り返す。



「誰も上がっては来ないだろうけど、用心に越したことはないから。鞍崎さんには想い出したくもない場所だよね。ごめんね」



 ここはまぎれもなく優季奈が自殺を図った場所だ。一方で織斗が名前を呼んでくれた場所でもある。優季奈としては複雑だった。



「私は、大丈夫だから」



 笑みは浮かべているもののどこかぎこちない。織斗が口を開くよりも先に優季奈が尋ねかけてくる。



「鷹科さんと真泉君、どうしちゃったの。風向君も、朝から様子が変だよ」



 優季奈でさえ気づくほどなのだ。三人の間に流れる張り詰めた空気はあっという間に教室にいる他の生徒たちにも伝播でんぱしていた。


 彼らは気づいていながら、口にしないだけだ。周囲がどうこう言って解決できる問題ではないことがわかっているからだった。



 優季奈がさらに近づいていく。織斗がフェンスを背にしているのに対し、優季奈はフェンスと向き合い、わずかに空を見上げている。二人の間の距離はおよそ一メートルといったところか。何とも微妙な距離感だ。



「この連休中にいろいろあったんだ。この先、これまでのような関係ではいられない。三人が三人とも、少しずつ想いを心に秘めたまま関係を続けてきたからこそのひずみなのかもしれない」



 織斗の言葉の端々はしばしから悲しみが伝わってくる。



「きっと、私のせいだよね。風向君はもちろん、鷹科さんも真泉君も優しくしてくれるから、つい甘えてしまって。迷惑ばかりかけてごめんなさい」



 織斗も優季奈も、それ以上の言葉が出てこない。



 これまで良好だった三人の関係は、秘めた想いを隠し続けることで成立していた。いわば薄氷はくひょうの上に乗っているにも等しい関係と言えるだろう。それぞれの想いがさらけ出された以上、当然これまでどおりとはいかない。


 きっかけは言うまでもなく優季奈の出現だ。優季奈を疫病神やくびょうがみと称した汐音の言葉は乱暴ではあるものの、ある意味で的を射ている。



「鷹科さんが風向君を好きなことは知っているんだよね」



 視線を前に固定したまま織斗に尋ねる。



「一度告白を受けたから」



 織斗の言葉はさすがに予想外だった。



(綾乃ちゃん、織斗君に告白したんだ。その時って織斗君は声が出なかったんだよね。はっきりとした返事はもらえたのかな)



「そ、そうなんだね」



 二の句が継げない。織斗がどのように答えたのか知りたい。



(だめ、だめ、だめ。織斗君と綾乃ちゃん、二人の胸の内に仕舞っておく話だから)



「鞍崎さんが謝る必要なんてないよ。三人の関係はいずれ終わりを迎えていただろうしね。鷹科さんも汐音も、そして俺も進むべき道があって、交わる時もあれば、そうでない時もある。汐音がアメリカに行ってしまうとなればなおさらだよ」



 思わず驚きの声がこぼれてしまう。



「えっ、真泉君が」



 織斗は"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"で初めて汐音から聞かされたところからの話をかいつまんで優季奈に説明した。



「真泉君、一年生の時から決めてたんだね。アメリカかあ。遠いなあ。ねえ、風向君、真泉君って鷹科さんのことが好きだよね」



 今度は織斗が驚きの声をあげる番だった。優季奈の前で話したことはないし、綾乃のように間接的に聞いているはずもない。



「不思議そうな顔をしている。私、得意なんだよ。風向君よりもね。真泉君を初めて見た時、すぐに気づいたよ。鷹科さんが好きなんだなって」



(やっぱり感情を読み取る力は優季奈ちゃんにかなわないなあ)



 優季奈が本当に聞きたいのはこの後のことだ。汐音は綾乃に告げないままアメリカに行こうとしていた。結果的に全てを知られるところとなってしまった以上、どうするつもりなのか、優季奈も気がかりなのだ。



「面と向かって想いをぶつけ合い、それぞれが答えを出す。そのうえで、今の三人の関係を終わらせることになるだろうね。三人とも本格的に受験勉強に集中しないといけないし」



 寂しそうに語る織斗の表情を見るのが辛い。優季奈は胸が苦しくて仕方がなかった。



「私が風向君の前に現れたから。だから、鷹科さんも真泉君も。どう考えても私のせいだよ」



 背後から抱きすくめられる。うつむき加減で考えこんでいる優季奈は、織斗がすぐ後ろにいることに全く気づいていなかった。



「お、織斗君、誰かに見られるかも」



 優季奈が小声でささやく。織斗に優季奈を離すつもりはない。



「見られても構わない。俺の大切な人は優季奈ちゃんだけだから。これからは堂々としていたい。もちろん、鷹科さん、汐音と話し合ってからだし、何よりも優季奈ちゃんがよければ、だけど」



 織斗の腕の中で優季奈は身じろぎもせず、言葉に耳を傾けている。このままの時間がずっと続いてくれたら、どれほど幸せだろうか。優季奈は心の中でかぶりを振りながら、発するべき言葉を選んで織斗に返す。



「私も嬉しいよ。学校でもこうしてずっと織斗君と一緒にいられるなら。でも、でもね」



 言葉が途切れてしまう。真っ先に頭に浮かんだのは綾乃だ。織斗と汐音がそうだったように、綾乃との出逢いは最悪に違いなかった。それが短時間のうちに友人、いや姉妹のような関係になっている。もちろん、綾乃が優季奈の真実を知ったことも大きく影響しているだろう。



「鷹科さんのことだね。きっかけはともかく、優季奈ちゃんと鷹科さんが仲よく」



 織斗の言葉をさえぎって優季奈が強引に言葉を差し挟む。



「織斗君、何もわかってない」



 織斗に対して初めて見せる優季奈の静かな怒りだった。

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