第069話:真名の持つ意味とは

 優季奈ゆきなが二度にわたって首を縦に振るに至り、沙希さきはいかにも満足げに表情を緩めた。



「やはりそうだったのね。次はあなたの姓の真名まなよ。これを知って初めて、私の知っていることの全てを説明できる。でも、真名はあなたから教えられない。そうよね」



 優季奈の目が見開いている。もはや答えを聞く必要もなかった。



(悩ましいわね。私には真名を知るすべがない。本来であれば、深く繋がっている者同士での事象だものね。となると、頼れるのは綾乃あやのしかいないけど)



 そんな沙希の心情を察したのだろう。綾乃が小声でひと言だけこぼした。



「アナグラム」



 沙希の優秀な頭脳を考えれば、その言葉だけで理解してくれるだろう。まるで以心伝心だ。沙希は瞬時に頭の中で組み終えていた。



「なるほどね。誰が決めたのかはわからないけど、よく考えられているわね。偶然なのか、それとも」



 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さなつぶやきが沙希の口かられ出ている。誰に聞かせるというわけでもないのだろう。



「沙希、ぶつぶつ言ってないで早く進めて」



 苛立ちを見せる綾乃に沙希が面白そうに反応を示す。



「綾乃って意外に、下でも言ったわね。そうね。進めましょうか」




 紅茶で喉をうるおし、仕切り直しとばかりに沙希がようやく本腰を入れて説明を開始する。



「さくらゆきな、それがあなたの真名ね。それだけではだめなの。だからね、漢字を教えてほしいのよ」



 沙希が有無を言わさず紙を差し出してくる。優季奈も今さら抵抗の意思は見せない。かばんからペンを取り出すと、事もなげに漢字を書きこみ、沙希の方に向け直す。



「ありがとう。佐倉さくら優季奈、美しい名前と漢字ね。これでようやくあなたの真名を手に入れたわ。大丈夫よ、悪用するような趣味はないから。ところで、二人は真名の意味を知っている」



 思いがけない沙希の問いに、綾乃も優季奈も首をかしげげている。



「本当の名前、真実の名前、ということじゃないの」



 綾乃の答えに対して沙希が補足する。



「もちろん、綾乃が言った意味もあるわ。だから正解とも言える。でも、私が言っているのは、また別の意味よ」



 綾乃も優季奈も答えを持ち合わせていないのだろう。沙希の説明を待つばかりだ。



「真名とは、仮名に対義する漢字の呼称よ。ここで詳しく語るつもりはないけど、真名の二つの意味がそろってこそ効力を発すると言えるでしょうね。つまり、真実の名前であり、その名前は漢字でなければならない、ということよ」



 綾乃がすかさず問いかける。



「どうして漢字である必要があるの。確かに、私も真泉まいずみ君も、風向かざむかい君が書いてくれた優季奈の漢字を見たわよ。ひらがなと漢字、それで何が変わるというのかはなはだ疑問よ」



(歴史が関係しているというなら、また話は別だけど。そこまで壮大なものなのか)



 綾乃はただ闇雲やみくもに疑問を口にしているわけではない。一度しっかり自分の中に落としこみ、消化したうえで言葉に出している。沙希も綾乃が優秀なことは十二分に知っている。



「綾乃って想像以上ね。あなたの疑問は当然よ。これから肝心の話を進めていくわ。それを聞けば、きっと納得できるはずよ」



 ようやく本題に入っていく。綾乃も優季奈も全神経を集中して、これから発せられる沙希の言葉に耳を傾ける姿勢を取っている。


 沙希は再び紅茶をひと口飲むと、静かにティーカップを戻す。




櫻樹おうじゅ伝説、この言葉を聞いたことは」



 沙希の問いに綾乃と優季奈、二人がそろって首を横に振る。その仕草が瓜二つで、沙希にしては珍しく、思わず笑みを零してしまった。



「あなたたちって、本当の姉妹みたいよね」



 本筋から外れた、いささか的外れな優季奈の言葉が追い打ちをかける。



「沙希ちゃん、可愛い」



 綾乃にも優季奈にも、沙希の弱点がはっきりとわかった瞬間だった。


 そう、沙希は恋愛話をはじめとして、いかにも女子が好きそうな会話が大の苦手なのだ。可愛いとかきれいだとか言われたら当然嬉しいとは感じる。ただそれだけだ。沙希に言わせればこうなる。



「可愛い、ね。とりあえず、ありがとうと言っておくわ」



 全く関心がないのか、沙希の態度を不思議そうに感じた優季奈が言葉を継ぐ。



「笑みを浮かべたらもっと可愛いよ。今だってそうだったよ。沙希ちゃん、もったいない」



 横で綾乃も同感だとばかりにうなづいている。



「沙希はもう少し表情を柔らかくした方がいいんじゃない。いつも凛々りりしい沙希を見慣れているし、確かに似合っているんだけど、少しぐらい可愛く見せるのも悪くないわよ。瀬南せなみ君もきっと気に入るはずだし」



 明らかに沙希の表情が硬直している。



「ま、また、そ、そういうことを、臆面おくめんもなく、な、何が言いたいのか」



 先ほどの不意打ちとは違って、二度目ともなれば何とか冷静さを保っている。若干慌てているのは愛嬌というものだ。



「だいたい、優季奈が変なことを、って、あっ、ごめんなさい。いきなり呼び捨てにして」



 優季奈は全く気にしていないのか、屈託のない笑みを浮かべている。



「優季奈で構わないよ。沙希ちゃんももう知っているとおり、私の精神年齢は十五歳を前に止まったままだったから。三年間の空白は簡単に埋められないよ」



 事もなげに言い放つ優季奈の胸の内までは、綾乃にも沙希にもわからない。唯一わかるのは表情の裏側に哀しみが見え隠れしているということだ。



「確かめる意味でも、いいかもしれないわね」



 言葉にするなり、沙希は優季奈の右手を素早く取ると、わずかに力をこめて握り締める。一方の綾乃もまた行動を起こしていた。



「ちょ、ちょっと、綾乃ちゃんも、沙希ちゃんも」



 まさに血の繋がらない姉二人が妹を愛でる、の図だ。


 沙希は優季奈の手を握り、その感触を楽しんでいる。もちろん、これは今の今まで触れられなかった反動といった部分もあるだろう。


 綾乃はもはや猫可愛ねこかわいがり状態だ。優季奈の頭を優しくでながら、よしよし泣かなくていいから、を実演してみせている。



 優季奈はされるがままで、困った姉たちだと想いつつも、綾乃と沙希の優しさに触れて心地よさを感じている。



「優季奈にこうして触れられる。真名の持つ力もあなどれないわね」



 優季奈の右手を両手で握り直し、それからゆっくりと離す。沙希の反応を確かめ、綾乃もまた頭を撫でるのを止めた。




◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇


 沙希が告げた「櫻樹伝説」に関しては下記の短編をお読みいただければ深く理解できるかと思います。ご参考までに。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330668761151531

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