第068話:二つの確認事項

 沙希さきはキッチンにいた。手際よくティーカップを洗いながら、お湯を沸かしている最中だ。遅れて下りてきた綾乃あやのに気づくと、食器棚の扉を指差す。



「中に紅茶があるから好きなのを使って。あなたのお眼鏡にかなうようなものはないかもしれないけど」



 綾乃の紅茶好きは響凛きょうりん学園高等学校でもつとに有名だ。さすがに沙希の家には、鞍崎慶憲くらさきよりのり宅で見かけた高級茶葉は置いていない。あるといえば紅茶のティーバッグのみだ。


 綾乃は扉を開け、期待もせずに積んである数種類のティーバッグに目を向けた。



路川みちかわさんも紅茶が好きなの」



 綾乃の問いかけに、ちょうど洗い物を終えた沙希が無言でじっと見つめてくる。いや、にらんでいると言った方が正しいだろう。綾乃がため息をこぼす。



「わかったわよ。沙希でいいわね。優季奈ゆきなと違って、私はちゃん付けが好きじゃないのよ」



 沙希が小さくうなづく。わずかに表情が緩んでいるようにも見える。



「私はどちらかと言えばコーヒー派よ。紅茶は両親の趣味ね。いろいろ買ってくるのはいいんだけど、頻繁に飲まないからその有様よ」



 小さな箱が二つ、中程度の箱が二つあり、三つは開封済みだ。いずれも半分以上のティーバッグが余っている。ため息一つ、綾乃は開封済みの三箱には目もくれず、未開封の箱を取り出した。



「これがいいわね。でも未開封なのね。沙希、これを開封したらだめかな」



 さすがに綾乃も躊躇ためらう。他人の家のものだし、しかも開封しているものが既にあるのだ。その辺り、沙希は無頓着なのか、紅茶に関しては全面的に綾乃に委ねるらしい。差し出された箱を一瞥いちべつしただけで、即座に言葉を返してくる。



「いいんじゃない。綾乃の好きにしていいわよ」



 わずかに驚きの表情を浮かべた綾乃にいぶかしげな目を向ける。



「ご両親に怒られても責任は取らないからね」



 沙希が再び目で、どうして、と問いかけてくる。



Mariage Frèresマリアージュフレールのマルコポーロだからよ。この一箱にティーバッグが三十個入って四千円ほどね。他の三つはその一割程度の値段と言ったところかな」



 沙希が小首をかしげげている。何やら思案中なのか、しばらく返答が来ない。綾乃も他人の家のものを独断で開封したくないのだろう。沙希からの明確な回答を待っている。



「他に比べて随分高価なものを買ったのね。未開封かあ。どうしたものかな。ところで、その何とかいうマルコポーロ、美味しいの」



 綾乃がここぞとばかりに大きく頷く。



Mariage Frèresマリアージュフレールの一番人気と言ってもいいわね。ミックスフレーバードティーで原材料は秘密になっているわ。とても芳醇ほうじゅんな香りが特徴よ。ティーバッグの紅茶として十分すぎるぐらい。茶葉ならもっとよかったんだけどね」



 途端に饒舌じょうぜつになる綾乃に沙希もやはり面食らっている。



「本当に好きなのね。綾乃がそこまで言うんだし、いいわ。放置していても宝の持ち腐れよ。開けてしまって」



 これで言質げんちは取れた。


 開封前に沙希に用意してほしいものを要求する。沙希も心得たとばかりに食器棚下の引き出しから、要望どおりのものを四枚取り出してきた。



「既に開封済みの三箱も別々に入れておくわね。こうしておけば、多少は味の劣化も防げるだろうから」



 ビニール袋内の空気をできる限り抜いて栓を締めて密閉する。あとは冷暗所に保管し、なるべく早く飲み切ってしまう。これに尽きる。



「手際がいいわね。関心するわ」



 開封した箱からマルコポーロのティーバッグを三つ取り出し、ティーカップに入れて適量分の沸騰したお湯を注いでいく。



「大したことじゃないわ。それに慣れているから。誰にでもできることよ」



 綾乃が何でもないとばかりに答え、沙希に尋ねる。



「わざわざ優季奈を残して二人になったんだから、聞きたいことがあるなら早くしてよね。優季奈をあまり待たせたくないし」



 紅茶の準備が整うまでに終わらせろと綾乃が言外に告げてきている。沙希は過保護すぎる綾乃に疑問を感じつつ、ますます自分の考えに間違いはなさそうだと自信を強めてもいる。



「綾乃って意外にせっかちなのね。呑み込みが早くて助かるからいいんだけど。私から確認したいことは二点だけよ。綾乃は首を縦に振るか、横に振るかで応えてくれたらいいわ」



 優季奈への問いかけと同じ方法だ。頷く綾乃を見て、沙希がすぐさま一つ目の質問を投げかける。




「優季奈さん、肉体と精神の年齢が一致していないわね」




 綾乃が首を縦に振る動作と同時に二つ目の質問が来る。




「優季奈さん、一度死んでいるわね」




 突然すぎる、直球の問いを平然と放りこんできた沙希に綾乃は思わず息を呑む。心構えができていない身体への強烈な衝撃は、綾乃を硬直かつ茫然自失ぼうぜんじしつ状態におちいらせるに十分すぎだ。




「あなたの表情が答えね。私の考えに間違いがなかったことが証明されたわ」



 お湯を注ぐ綾乃の手が小刻みに震えている。それほどまでの破壊力を秘めた沙希の言葉だった。



「ねえ綾乃、紅茶が大変なことになっているわよ」



 沙希の冷静すぎる指摘に、ようやく我に返ったか、綾乃は慌ててポットをキッチンに戻す。既にティーカップに注いだお湯があふれ出し、お盆を紅茶色に染めている。その様子を見ながら、沙希が独り言のようにつぶやく。



「そういうことだったのね。眉唾まゆつばだと信じていたあの伝説が、まさか真実だったなんて。世の中の常識なんてあてにならない。不思議で満ちているわね。そうは言っても、本当の意味でこれからよね」



 沙希は溢れ出した紅茶を拭き取りながら、綾乃にお湯を注げとばかりに目で促す。綾乃も綾乃だ。任された以上は自由にやらせてもらうとばかりに、マルコポーロのティーバッグを新たに取り出し、ティーカップの中身を全て捨ててから再度ポットのお湯を注ぎ直す。



「徹底しているわね」



 沙希の言葉には応えず、綾乃は半ば命令にも近い口調で言葉を発した。



「優季奈の前でしっかり説明してくれるのでしょうね。沙希がどうしてそんなことを知っているのか、その知識はどこから来ているのか。洗いざらい話してもらうわよ」



 今度は沙希が応じない。綾乃も気にしていない。沙希なら、必ず説明すると確信しているようでもあった。



「これでいいわ。優季奈はお砂糖がいるけど、沙希は」



 不要だと首を横に振った沙希が、先ほどの引き出しから角砂糖の入った容器を取り出してくる。



「このままお盆に乗せて私が運んでいくわ」



 どうやら力仕事は沙希がになうようだ。お盆を両手に持って先頭で再び二階へ上がっていく。さすがレスキュー部副部長ね、とつまらないことを考えながら、綾乃もすぐ後ろに続いた。




「お待たせしたわね」



 沙希の声に、優季奈は読んでいた書籍から目を離す。



「あっ、ごめんなさい。勝手に読んでしまって」



 優季奈が手にしていた書籍は部屋の本棚にあったものだ。興味がかれる題名にいざなわれ、手に取ってみたのだ。



「構わないわよ。本が好きなのね」



 首を縦に振って優季奈が答える。



「私、入院生活が長かったから」



 沙希にも綾乃にも、その言葉だけで十分だった。


 二人が先ほどと同じ位置に腰を下ろし、沙希が同様にティーカップをそれぞれの前に置いていく。




「話を続けましょう。下で綾乃にも確認したわ。そのうえで、優季奈さん、あなたにも同じことを確認したいの。いいわよね」



 優季奈の目が沙希、綾乃の順で移っていく。ここまで来て、拒否するなどあり得ない。優季奈は同意の意味で頷く。



 沙希は綾乃にした二つの確認を、一言一句変えることなく優季奈に向けて放った。

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