第067話:沙希、秘密同盟に加わる

 沙希さきが核心に迫りつつある。


 優季奈ゆきなの瞳を射貫くような鋭い目を向けてきている。どう答えるべきか思案する優季奈をよそに、まずは綾乃あやのが口火を切る。



鞍崎くらさきさん、答える必要はないわ。路川みちかわさん、どういうつもりなの。好奇心を満たすためだけと言ったわね。何か目論もくろみがあるんじゃないかと勘繰かんぐってしまうわ」



 綾乃の剣幕に沙希はわずかに口角を上げ、おもむろに言葉をつむぎ出す。



「そこまでの反応を見せる。面白いわね。どうやら、鷹科たかしなさんは鞍崎さんの秘密を知っているようね」



 一呼吸置いてから、さらに続ける。



「私も加えてくれないかな。あなたたちの秘密同盟に。そこには当然、汐音しおん風向かざむかい君も入っているのでしょ」



 一瞬とはいえ、綾乃も優季奈もそろって固まってしまった。何を言っているんだ、この女は、といったところだろう。先に立ち直った綾乃がすぐさま反撃に出る。



「ふざけないで。何が秘密同盟よ。そんな生易なまやさしいものではないのよ」



 激高ぎみの綾乃を優季奈が必死になだめようとしている。



「綾乃ちゃん、私は大丈夫だから。ね、だから落ち着いて、綾乃ちゃん」



 名前を呼ばれたことで気が緩んでしまったか。あるいは別のことに思考を奪われていたか。ほんのわずかの油断だ。それが致命傷となってしまった。



「何が大丈夫なのよ。優季奈のこと」



 そこまで口にして、ようやく綾乃は自身のとんでもない失態に気づく。刹那せつなに口を押さえたものの、時既に遅しだ。はっきりと優季奈の名前を呼んでしまっている。



「そう、それが真名まななのね。名はわかったわ。じゃあ、姓は何かしらね。鞍崎凪柚くらさきなゆではない。あなたの完全な真名を知らないと」



 沙希は思わせぶりにつぶやいた後、視線を優季奈から綾乃に移す。



「鷹科さん、私はふざけてなどいない。至って真面目よ。証拠を見せてあげる」



 再び視線を優季奈に戻す。



「鞍崎さん、私があなたに触れられなかった理由、教えてあげてもいいわよ。どう、聞いてみたくない」



 綾乃と優季奈、二人して恐ろしいものでも見るかのような目で沙希を見てしまう。心にひそむ感情は恐怖心か、あるいは好奇心か。



(もしかしたら、路川さんは私の知らない何かを知っているのかも。それなら、ぜひ聞いてみたい)



 織斗おりとが手を尽くして調べてくれている。手がかかりは幾つあっても困るものではない。もしも沙希からそれが得られるなら、きっと織斗の助けにもなるに違いない。


 優季奈の名前を知られてしまった以上、今さら誤魔化すことも難しい。その意味もないだろう。



「路川さんが」


「沙希でいいわ。あなたたちは名で呼び合っている。仲間になるなら、もちろん私も同じ扱いよ」



 優季奈が思わず綾乃に視線を向け、目でどうしようかと尋ねる。綾乃も迷っているのだろう。



「迷うのも当然ね。即答だったら、その短慮、浅はかさに閉口していたけど。いいわ。少しでも信頼してもらう努力はすべきね。私から答えてあげる」



 沙希は表情一つ変えず、確信をもってなめらかに言葉を繰り出していく。



「優季奈さんと呼ぶわね。あなたに触れられなかったその理由は、私が真名を知らなかったから。あの時のあなたの名前は鞍崎凪柚だった。それは与えられた仮初かりそめのもの、真の意味であなたを表していない」



 綾乃も優季奈も完全に言葉を失っている。まるで酸欠状態の金魚のごとく、言葉を発したくとも発せない状態におちいってしまっている。



「本当に面白い反応ね。まるで姉妹みたい。ところで、私はまだあなたに触れられない。なぜなら、姓の真名を知らないから。そして、あたなからも私に触れられない。そうよね」



 沙希はいったいどこまで知っているのだろう。それ以前の問題として、どうしてこんなことを知っているのだろう。俄然興味が湧いてくる。綾乃も優季奈も同様だ。



「あの時、あなたはふらつく身体ながら、私に身体を預けてこようともしなかった。したくとも、できなかったからよ」



 確かに沙希の指摘どおりだった。


 沙希は救出の際、最初に優季奈の手を引っ張ろうとしていたのだ。それを織斗が上手うまい具合に解釈してくれたお陰で触れられずに済んだ。あの時点で事が露見していたらどうなっていただろうか。今さら考えても仕方がない。



「路川さんは」


「沙希」



 優季奈の呼び方が気に入らなかったのか、すかさず訂正の言葉を差し挟む。



「沙希ちゃん、じゃだめ」



 優季奈の上目遣いはここでも健在だ。どうやら織斗以外にも通用するらしい。沙希は思わず息を呑む。



「その上目遣い、ある意味、反則ね。まあいいわ。ちゃん付けもそう悪くないわね。それで何が聞きたいの」



 優季奈の真剣な表情を受けて、沙希もまた尋ねられるだろう内容を予測、完璧な答えを頭の中で高速整理していく。



「私の知らないことを沙希ちゃんが知っているなら、ぜひ知りたいし、教えてほしい。その前に、沙希ちゃんはどうしてそんなことまで知っているの。それに、本当に好奇心を満たすためだけなの。他に目的があったとしたら」



 ここでも表情を変えない沙希が一つずつ素早く答えていく。



「随分と質問が多いこと。一つずつ答えるわ。優季奈さんの知らないことを私は知っている。信じてもらって構わないわ。なぜ、知っているのか。長くなるから後回しね。好奇心を満たす。それもあるけど、なぜ知っているかに集約されるから、これも後回しよ」



 目だけで、他に質問はないかと聞いてくる。疑問があるなら先に全て出せ、ということなのだろう。優季奈も遠慮しなかった。


 横にいる綾乃は、沙希と優季奈のやり取りをはらはらしながら見守っている。何かあれば、すぐにでも止めに入るつもりなのは明白だった。



「沙希ちゃんにはかなり見えているみたい。それなら、私の秘密を知っても、私の前で変わらずにいてくれるかな」



 沙希は黙って一度だけ首を縦に振る。そこも信用してくれて構わないという強い意思表示でもある。次は沙希の番だった。



「風向君があれだけ必死になるあなたのことだものね。あなたに接する彼の態度は他とは全く違う。しかも、あなたの出現こそが、彼が声を取り戻す主要因となった。鷹科さんには悪いけど、私が興味を持ったもう一つのきっかけよ。だから、私なりに調べてみたのよ。汐音も深く絡んでいることだしね」



 沙希はしばらく間を置くと、ゆっくりと綾乃、優季奈の順に視線を向けた。綾乃はあえて沙希に問い返さない。綾乃の気持ちは沙希も知っていて当然だろう。


 沙希が織斗を知ったきっかけは、もちろん汐音だ。入学早々、盛大にやらかした汐音を幼馴染として強く諫めた結果だった。普段から他人に関心のない沙希が、汐音が珍しく褒めちぎる風向織斗という存在そのものに興味を持ったのは必然だったと言えよう。



「久しぶりにこれだけしゃべると喉が渇くわね。鷹科さん、紅茶のお代わりをお願いできる」



 綾乃の紅茶好きな部分をくすぐる。沙希は綾乃の扱いにもけているようだった。



「優季奈さん、あなたはここにいて。鷹科さんと私で用意してくるから」



 沙希の口調からして、優季奈に来るなと言っているも同然だ。恐らくは、綾乃と二人だけで話をしたいのだろう。一抹いちまつの寂しさを感じつつ、優季奈はうなづくしかなかった。



 沙希は無言で三人のティーカップをお盆に乗せると、一人先に部屋を出ていく。置いていかれた形の綾乃が苦笑を浮かべて優季奈に声をかける。



「大丈夫よ。すぐに戻ってくるから」

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