第066話:女三人寄れば
女三人寄れば
あれから三人で移動、三十分も要さずに沙希の自宅に
綾乃と優季奈は沙希の自室でくつろいでいる。とは言っても、三人の間に会話は一切ない。話がしたいと言ってきた沙希も沈黙を守ったまま、綾乃が手早く用意した紅茶を口にするだけだ。
「ちょっと、
長い沈黙に耐えかねたのか、やはり口火を切ったのは綾乃だった。沙希がまるで天然記念物でも見るかのような目を綾乃に向けてくる。
「私は後で構わないと言ったわよ。先にあなたが鞍崎さんと話をするべきじゃない」
真正面から放たれる沙希の正論に、綾乃は反論の余地さえない。
(ここで話ができたら苦労しないわよ。優季奈の秘密を抜きにして、どうやって話を進めようか)
沙希が何かを察したのか、立ち上がりついでに言葉を発する。
「私がいたら話がしにくそうね。下に行っているわ。終わったら声をかけて」
この部屋の主たる沙希が出ていこうとしたところで、優季奈が声をあげた。
「ごめんね、
途端に綾乃の顔色が変わった。確認することなど一点しかない。
「鞍崎さん、本気なの。それが何を意味するか、わかって言ってるの」
優季奈が小さく首を縦に振る。覚悟はできているということか。
「路川さんなら信頼できると想うの」
セーフティエアクッションから助け出してくれた路川の言動を見て、優季奈は信頼に足ると判断したのだろう。綾乃は小さなため息を
「一石二鳥ね。私も聞きたいことがあるし。あの時のことで」
もはや決定的だ。沙希の意図は未だに見えないものの、優季奈に関心が向いていることは明白だった。
「先に言っておくわね。たとえ、あなたの秘密を知ったとしても、それでどうこうするつもりはないし、他人に公言する気もないわ。私の好奇心を満たすため、それだけだから」
あらかじめ危惧を取り払ってくれたのか。沙希は表情一つ変えず、綾乃と優季奈を見下ろすと、再びその場に座り直す。
「私から質問するわ。鞍崎さんはそれに対して、はいかいいえで応えるだけで構わない。言えないことがあるぐらいわかっているから」
沙希の提案は優季奈にとって
「あの時、保健室まであなたを連れて行こうとして、私は腰に手を回した。でも触れられなかった。あなたは気づいていたの」
一つ目の質問に対して、優季奈は首を横に振ってから言葉を付け足した。
「私は気づかなかった。あとで
沙希からの反応はない。続けざまに二つ目の質問が来る。
「時系列は変わるけど。あなたが飛び降りた際、不思議なことが起こったわ。絶対に追いつくはずがない
二つ目の質問も同様だ。今度は動作だけで言葉はない。
あの時、優季奈は自分の身に何が起こったのか全く理解できないでいた。腕の支えを失い、フェンスを越えて落下、織斗が抱き止めてくれて、そのまま二人でセーフティエアクッションに落ちた。記憶にあるのはそれだけだ。
「路川さん、どういうことなの。不思議なことって何なの」
その場にいなかった綾乃がすかさず尋ねてくる。ちょうど綾乃は汐音に手を引かれ、校庭に向かって急いでいる時だった。沙希は一瞬、意外そうな表情を綾乃に向け、逆に問い返す。
「フェンス最上部から校庭までおよそ二十メートル、落下に要する時間は」
わざわざ紙に書いて計算するまでもない。綾乃は即座に頭の中で答えを弾き出す。
「たったの二秒よ。二十メートル程度なら空気抵抗はもちろん、二人の体重差も無視できるわ」
さすがね、といった表情で綾乃に視線を傾けてから沙希が続ける。
「私は下から見ていた。鞍崎さんが落ちかけて、風向君が
綾乃は言葉には出さず、小さく頷くだけだ。沙希の言わんとしているところは即座に理解できた。
(絶対に追いつけるはずがない。どうしてなの。落下していく優季奈に何かが起きたとしか)
綾乃は頭に浮かんだ
「物理学的にあり得ないわね。そう、鞍崎さんだけ重力を無視できるか、あるいは」
沙希が優季奈の瞳の奥をじっと
「翼でも生えているのか」
優季奈は何も答えない。答えられないと言った方が正しいだろう。代わりに綾乃が声をあげた。
「そんなこと、あるはずがないじゃない。非現実的すぎるわ」
何事にも動じない沙希には珍しく、わずかに苛立った表情を見せる。小さくため息をつき、言葉を返す。
「言ったでしょ。物理学的にあり得ないと。聞いてなかったの」
聞いていながら、反射的に口をついて出てしまっていたのだ。綾乃が再び口を開こうとして
「見ていたのは私だけじゃない。レスキュー部の四人、
綾乃も優季奈も初耳だった。織斗も警察官の事情聴取後に
沙希によると、あの騒動直後、嘉田とレスキュー部員は校長室にすぐさま呼び出され、福永校長から厳命されたという。その場には鞍崎と名乗る副理事長も同席していたとのことだ。
綾乃と優季奈が顔を見合わせている。自分たちの知らないところで多くの人たちが動いてくれていた事実を知り、二人は心の中で深く感謝した。
「それで、
じっくりと話しこんだことはないものの、彼もまた沙希同様、いや沙希以上に冷静沈着、学年十位以内の成績を維持し、状況判断に秀でた性格の持ち主だ。
その高校生離れした体格ながら穏やかで、困った人には黙って手を差し伸べられる優しさも彼の特徴だろう。
「どうして、そこで瀬南部長の名前が」
綾乃がここぞとばかりに笑みを浮かべてみせる。横にいる優季奈は苦笑を浮かべている。以前に自分に向けられたものと全く同じだからだ。
(あっ、出た、綾乃ちゃんの悪魔の微笑み)
「瀬南君が部長として何を言ったのか気になるわね。それに何より、路川さん、瀬南君のことが好きでしょ」
綾乃が繰り出した直球の言葉は、何事にも動じない沙希の心に見事なまでに突き刺さったようだ。沙希の反応から一目瞭然だった。
「な、な、な、ななな、何を、い、言っているのか、わ、わからない、わね」
沙希がしどろもどろになりながら、うっすらと頬を染めている。ほとんど表情を崩さない沙希の激変ぶりに、綾乃がさらに追い打ちをかける。
「じゃあ、もう少し路川さんの心に聞いてみましょうか。そうだなあ、たとえば」
(綾乃ちゃん、容赦ないなあ)
優季奈は心で想っても、決して声には出さない。さすがに沙希だ。すぐさま落ち着きを取り戻し、制止をかけてくる。
「も、もういいわよ。今は私のことなど、どうでもいいでしょ」
話が完全に脇道に反れてしまっている。沙希はこれ以上、綾乃に話をさせないために矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「鷹科さん、あなたって意外に他人を観察しているのね。それだけに本当に不思議だわ」
綾乃が小首を
「不思議、何が不思議なの」
問いかけてくる綾乃に、沙希は沈黙を守る。しばし迷った末、
「他人に向ける観察眼は大したものね。でも、他人から向けられる目には
具体的な名前は出さない。沙希の役目ではないからだ。これはあくまでも援護射撃にすぎない。
優季奈には、沙希が何を言っているのか即座に理解できたようだ。当然だろう。優季奈もまた汐音を見た際に気づいていたのだから。優季奈が沙希の顔を凝視している。
「鞍崎さん、私の顔に何かついてる」
優季奈が激しく首を横に振っている。そんな優季奈を綾乃と沙希、二人が奇妙な目で見つめている。
「鞍崎さん、何をしているのよ。頭がおかしくなってしまうわよ」
ここでも綾乃は容赦なしだった。優季奈に対しては、明らかに姉目線でもある。
「あなたたち、仲がいいのね。噂なんてあてにならないわね」
噂の
「随分脱線してしまったわ。もとに戻すわよ。時間をむだにしたくないし、単刀直入に聞くわ。鞍崎さん、あなた、いったい何者なの」
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