第065話:意外な第三者の思惑とは

 優季奈ゆきなを除く三人はひび割れた関係を修復できないまま、最初の一週間を無為に過ごした。


 こういった時、真っ先に行動に移せるのが綾乃あやのの強みでもある。さすがに何の動きも見せない男二人に業を煮やしたのだろう。自ら率先して動く方法を選んだ。



 金曜日の放課後を迎え、またもや一目散に教室を出ようとした汐音しおんを素早く呼び止める。



真泉まいずみ君、今から私につき合いなさい。"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"に行くわよ」



 汐音は、目の前に立ちはだかって抑揚のない口調で告げてくる綾乃にわずかに恐れをいだき、たじろいでしまっている。傍目はためで見ている織斗おりとも優季奈も同様だった。



(つ、次は俺か。鷹科たかしなさん、かなり激怒しているな。ひしひしと伝わってくる。汐音、頑張ってこいよ)



 綾乃の感情を察知して冷汗を流す織斗だった。そんな織斗を見て、優季奈が苦笑を浮かべている。近寄ってくると、織斗にだけ聞こえるほどの小声で話しかけた。



「次は織斗君かな。覚悟しておいた方がいいよ。綾乃ちゃん、怖いよ」



 慰めるどころか、逆にあおってくる優季奈に念押しされてしまう。織斗は項垂うなだれながらも、ここを逃す手はないと改めて想い直したのだろう。


 綾乃はもちろんのこと、残された時間が限られている優季奈を待たせるわけにはいかない。優季奈と目を合わせた織斗もまた即行動に移した。



「優季奈ちゃん、俺も行ってくるよ」



 少しばかりの驚いた表情を見せ、うなづいた優季奈が小さく手を振って織斗を見送る。



「鷹科さん、汐音、俺も一緒に行ったらだめかな」



 予想外の織斗の反応に綾乃も汐音も戸惑っている。綾乃は明らかに困惑、汐音は逆に歓迎といった感情が見え隠れしている。綾乃が一人で思案している。汐音は織斗が一緒にいてくれる方が何かと好都合に違いない。



 綾乃は迷った末に渋々ながらに同意した。本心では拒否したかったのかもしれない。


 汐音が相手なら感情のおもむくままに想いをぶつけらる。それが織斗になると、ぶつけるといってもやはり手加減してしまいそうで、それでは意味がない。そんなところを汐音に見られるのはもっといやだった。



「真泉君はどうなの、と聞くまでもないわね」



 汐音が否定するはずもない。わかっていながらあえて綾乃は言葉にしただけだ。



「もちろん、俺も構わないよ。むしろ」


「何」



 織斗に向けていた視線をすかさず汐音に戻した綾乃が鋭いひと睨み、それだけで汐音の言葉は封じられる。



(鷹科さん、怖すぎる)


(綾乃ちゃん、怖いよお)



 織斗と優季奈、それぞれ想うことは同じだ。



「二人は先に行ってて。私は鞍崎さんと話があるから」



 綾乃が目力だけで、もたもたしている男二人に早く行けと促す。織斗と汐音がようやくにして視線を合わせ、共に苦笑しながら頷き合う。先に汐音が教室を出ていく。その後を追うようにして織斗も続いた。


 緊迫した空気に教室中が静まり返っていたものの、二人の姿が完全に消えたことで、ようやく正常に戻ったようだ。



 織斗と汐音がいなくなったことを確認、綾乃と優季奈が同時にため息をこぼす。その様子を見ていた周囲がたちまち騒がしくなっている。


 皆、気が気ではない。やはり三人の関係は他の生徒たちからも特別視されている。何しろ響凛きょうりん学園高等学校が誇るトップスリー、綾乃が学校一の美少女なら、織斗も汐音も負けず劣らず人気がある。


 だからこそ、三人の間に漂っていた不穏な空気をずっと気にしていたのだ。誰もが事情を聞きたそうにしている中、一人の生徒が近づいてくる。その気配の薄さ、いや消し方に、綾乃も優季奈も間近に来るまで全く認識できなかった。



「鞍崎さん、話がしたいんだけど。いいかな」



 二人して窓側を向いているその背後からいきなり声がかかる。息もぴったりにそろって振り返る。


 驚きのあまり、心臓が止まりそうになっている二人を路川沙希みちかわさきが興味深げに眺めている。



「お、驚かせないでよ、路川さん」



 非難めいた声を上げたのは綾乃だ。沙希は顔色一つ変えず、平然と受け流す。



「どうしてここに、と言いたそうね。今、言ったとおりよ」



 綾乃の疑問は当然だった。沙希とはクラスが違う。汐音いわく、他人に無関心の沙希がわざわざ出向いてくるなど初めてのことでもある。



(路川さん、まさか優季奈の秘密に感づいたのか、それとも何か別の目的があって)



 汐音からあの時の状況を聞いているだけに、綾乃はいやな予感がしてならなかった。沙希の視線が、思案している綾乃を通り過ぎて優季奈に注がれる。



「ごめんなさい、今は無理なの。これから鷹科さんと話があるから。その後でもよかったら」



 優季奈の応答に対して、二人から同時に声があがった。



「それで構わないわ」


「だめよ」



 すかさず否定の言葉を返した綾乃に、優季奈と沙希の好奇心に満ちた目が向けられる。



「心配事があるなら、鷹科さんも一緒に来ればいいじゃない。私は一向に差し支えないわよ」



 沙希はあえて理由を聞こうともせず、魅力的な代案を提供する。



(どうするもこうするもないわね。風向君、真泉君には悪いけど、優季奈の方が断然心配よ)



 綾乃も即決する。


 織斗と汐音は"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"で待たせておけばいい。おきゅうを据えるにはちょうどいいぐらいだ。それに"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"には頼りになる双葉ふたばもいる。きっと綾乃の味方をしてくれるに違いない。



「少しだけ待ってくれる。二人に連絡しておかないといけないから」



 沙希は軽く首を横に振って、その必要はないと告げる。



「汐音と風向君には言っておいたから。私の話を優先するからって」



 綾乃と優季奈がまじまじと見つめてくる。物事を冷静沈着かつ理路整然と極めて高速に分析できる沙希にしてみれば、ごく当たり前のことでも、他人からすれば非常識に映るらしい。沙希も慣れたもので、二人の反応を面白く見ているだけだ。



「静かな場所がいいわね。どこかいいところ、知ってる」



 沙希の問いに、綾乃も優季奈も適切な場所の見当がつかない。



「そう。それなら私の家に来ない。夜まで私一人だし、落ち着いて話ができるわ」



 綾乃と優季奈がお互いの顔を見合わせている。



「ここから電車で三十分もかからないわ。それに"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"も近いわよ。どうせ、汐音はそこにいるのでしょ」



 何から何までお見通しのようだ。綾乃も優季奈も、感心するやらあきれるやらで戸惑いを隠せないでいる。



「ねえ、路川さん、そんなにすごいのに、どうして成績は」



 そこまで言って口をつぐむ。綾乃の言葉は余計なものでしかない。それさえも気にしないのか、沙希があっけらかんと応じる。



「中の上といったところね。数学と英語以外、興味はないの。だから勉強もそこそこしかしないわ。至極妥当な成績よ」



 軽々と言ってのけるところがいかにも沙希らしい。今度は優季奈が尋ねる。



「もし、他の科目も本気で勉強したら」



 先ほどの綾乃同様、こちらもまた即答で返ってきた。



「汐音より上ね。間違いなくね」



 それはすなわち学年一位を意味する。


 綾乃は愕然がくぜんとしたものの、それも一瞬だった。沙希の言葉には自慢やいやみといったものが一切含まれていない。あくまで自然体、興味のないことには一切惹かれない、手を出す気にもならない、といったところだろう。



「時間がもったいないわね。二人に異論がなければ移動しましょう。汐音と風向君には移動中に連絡すればいいわ」



 問題ないわね、とばかりに沙希が早々に背を向けて教室を出ていこうとする。綾乃も優季奈も慌ててその背中を追った。




 一方の織斗と汐音は連れ立って駅に向かっている。連休が明けて以来、まともに話すのはこれが初めてとなる。



「沙希の奴、いきなり何なんだよ」



 先ほどから汐音がしきりにぼやいている。教室を出てすぐのことだ。汐音の目は前から歩いてくる沙希の姿を捉えていた。沙希はすれ違いざま、汐音にいきなり言ってのけたのだ。



「鞍崎さんと鷹科さんと話があるの。優先権は私よ。汐音と風向君は私が終わってからね。どうせいつものところに行くんでしょ。そこで待っていて。時間は、そうね、かかるかもね」



 汐音が呼び止めようとしてもだめだった。沙希は振り返りもせず、綾乃たちのいる教室に向かって歩いて行ってしまった。



「相変わらずだな、路川さんは。それにしても、どちらに興味を持ったんだろう」



 なおもぶつぶつと呟いている汐音に織斗が疑問をぶつけた。汐音もまた気にはなっていたのだろう。



「ここまでの流れから見て、間違いなく鞍崎さんだな。あの時のことだろう。釘は刺しておいたけど、沙希のことだからな」



 いったん興味や関心を持ったものにはとことん向き合う。沙希はそこが両極端で、汐音に言わせると、何らかのスイッチが一度入ってしまうと瞬時にのめりこんでしまうそうだ。



「万が一、鞍崎さんの秘密がばれたとしても、沙希なら誰にもしゃべらないだろう。そうなったら、沙希を引き入れた方が賢明かもな」



 口が堅いのは汐音が保証している。秘密を共有する人数は少ないに越したことはないものの、路川ならば安心できるということなのだろう。



「本当は俺たちも一緒に話を聞いた方がいいんだろうけど、今の状況では無理だろうな」



 織斗の言葉に、汐音はただただ苦虫にがむしを嚙み潰したような表情を浮かべるだけだった。

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