第064話:大切な人たちへの恩返し

 優季奈ゆきなから発せられた怒りを含む口調に、織斗おりとは驚きを隠せない。


「この三年間、死んだ私をずっと忘れずに好きでいてくれた織斗君が大好きだよ。でもね、綾乃あやのちゃんも織斗君と出逢ってからずっと好きだったの。織斗君は告白されたと言ったよね。綾乃ちゃんの真剣な気持ちに、織斗君は真摯しんしに向き合ってきたのかな」


 優季奈は辛そうに言葉を発しながら、前を向いたまま振り返らずに問いかける。織斗の腕の力がわずかに緩む。今なら振りほどくこともできただろう。優季奈はそれをしなかった。できなかった。



「私と綾乃ちゃんの関係は、織斗君と真泉まいずみ君の関係と決定的に違うところがあるの」



 全て言葉にしなくとも織斗なら十分に理解できるだろう。



「織斗君、怒らずに聞いてね。叔父さんの家に集まってもらった時、綾乃ちゃんに言ったの。一年後に私が消えたら、その時は綾乃ちゃんと織斗君は」



 今度は織斗が優季奈の言葉をさえぎる番だった。



「聞きたくないよ」



 優季奈に驚きはない。予想していたとおりの答えだったからだ。



「綾乃ちゃんも同じ反応だったよ。その先の言葉は、言わせてもらえなかった」



 織斗はこの場にいない綾乃に賞賛を贈る以外なかった。いかにも綾乃らしい行動だ。綾乃は他人の痛みが人一倍わかる女性だ。織斗も踏み込んで聞けはしない。綾乃の家庭環境も汐音同様に複雑だ。それが影響していることは疑う余地もない。



鷹科たかしなさんらしい。そのうえで、俺の気持ちは変わらないよ。何があろうとも永遠に。だから、鷹科さんの気持ちには応えられない」



 優季奈は織斗の両手に自らの両手を重ね、それから少しだけ力をこめる。一年だけ譲ってあげるとの綾乃の言葉は、優季奈の胸の中だけに仕舞っておく。



「織斗君、離して」



 織斗は素直に応じた。解放された優季奈が振り返り、織斗と向き合う。



「私も織斗君が一番大切だよ。でも、綾乃ちゃんも大切なの。私にとって、織斗君の次にできた友達だから」



 織斗は優季奈の瞳をまっすぐとらえ、ゆっくりとうなづいてみせる。



「織斗君は綾乃ちゃんと向き合って、想いをぶつけると言ってくれた。織斗君と綾乃ちゃん、二人が本当の意味で理解し合えるまで、私は待っているね」



 織斗が汐音に告げたとおり、意志を明確にしてこなかったつけが一気に噴き出している。三人の関係は無論のこと、織斗と優季奈、二人が一歩前に踏み出すためにも、この問題の解決なくしては何も始まらない。



「俺の気持ちをはっきりと鷹科さんに伝えるよ。それが鷹科さんを悲しませることになってしまっても」



 綾乃は決してあきらめないだろう。優季奈の前で断言したぐらいなのだ。それでも織斗からの明確な意思表示は一つの区切りにもなる。



「ねえ、織斗君、もしもだよ。私と出逢うことなく、綾乃ちゃんと出逢っていたら」



 織斗は何も答えない。いくら優季奈の言葉であっても、この問いにだけは答える気になれない。織斗の顔色を見て、優季奈も気づく。



「ごめんね。何も言わなくていいから。答えはわかっているから。やっぱり、私っていやな子だ」



 自己嫌悪におちいってしまう。織斗は優季奈に向かって、ただ首を横に振るだけだ。言葉はない。


 二人の間に、これまでにはなかったどことなく気まずい雰囲気が漂っている。三人の関係が崩れていく中、連鎖反応的に優季奈にもその影響が及んでいるあかしだった。



 織斗は優季奈の横に並ぶと、フェンス越しに校庭を見下ろす。優季奈もならってフェンスと相対、視線を下に向ける。



 十六時を回った放課後の校庭では、大勢の生徒たちが部活動に励んでいる。二人とも何かを見ているわけではない。当てもなく視線を彷徨さまよわせているだけだ。



「優季奈ちゃんの時間は限られている。だから、一秒たりともむだにしたくないけど、少し時間をもらうね」



 優季奈が小さく頷く。



「私は大丈夫だから。綾乃ちゃんとの話を最優先してね。それが解決したら、次は私の番だね」



 優季奈がいとしくてたまらない。抱きしめたくて仕方がない。今の状況が、決してそれを許してくれない。恐らく、いや間違いなく優季奈は拒絶するだろう。



「織斗君、もう一つだけ我がままを言うね」



 優季奈は視線を校庭に据えたまま、言葉を吟味するようにゆっくりと繰り出していく。



「私ね、両親はもちろん、多くの人に迷惑をかけて生きてきたの。十五歳を前にして、私が亡くなった時、私の周囲にいた人たちが悲しみに暮れる一方、楽になった部分もきっとあったと想う」



 わずかに織斗の横顔に視線を向ける。織斗は、絶対に違うと声を大にして絞り出そうとした。それよりも先だ。優季奈が首を横に振って制する。



 互いの目と目が交差する。今にも泣き出しそうな優季奈の表情を目の当たりにして、織斗は完全に言葉を失ってしまった。



「私が生き返ったのはね、そういった人たちに少しでも恩返しするためなのかも、って想ったりするの。許されるものなら、織斗君と過ごす時間をもっと大事にしたいよ。でも、私にはできない。私のために力を貸してくれる人たちが、また悲しむ姿なんて見たくないもの。そんなの、いやだよ」



 織斗は心の底から実感していた。



(優季奈ちゃん、こんなに心優しい桜の天使を、俺は傷つけているのかもしれない。絶対にしてはいけないことなのに。俺、本当に何をやっているんだ)



 刹那せつな、記憶の片隅にぼんやりとした映像が浮かび上がる。織斗は咄嗟とっさつかまえようとした。



「織斗君、私の話、聞いてくれている」



 優季奈が上目遣いで見つめてくる。疑問の言葉を受けて、映像はすぐさまもやに包まれ消えていく。断片的に残ったものだけでもき集めなければ。織斗は素早く手を伸ばしたものの、何も捉えられない。


 悔しさのあまり握り締めていた拳から力を抜けていく。諦めの気持ちとともに静かに開く。



(これは。俺を、導いているのか)



 記憶の彼方で、織斗は何も捉えられなかったわけではない。開いた手のひらに、ただそれだけが残っていたのだ。



 一枚の花びらが静かに乗っている。白に淡い石竹色せきちくいろを落とし込んだ美しい花びらは、どうしてかれて光り輝いている。何とも幻想的だった。



 我に返った織斗は、やってしまったとばかりに平謝りを繰り返す。優季奈が見せる上目遣いは、織斗が知る二つ目のものだったからだ。



「ごめんね、優季奈ちゃん。ちゃんと聞いているけど、同時に今の優季奈ちゃんの言葉で浮かび上がってくる映像があったんだ。でも、掴まえられなかった。たった一つを除いて」



 怒りは和らいだのか、優季奈が不思議そうな目を向けてくる。



「手のひらの中に、花びらが一枚だけ。きっと神月代櫻じんげつだいざくらが俺を導いているんだ」



 優季奈からの反応はない。いささか戸惑っているようにも見える。



「記憶の引き出しを自由自在に扱えたらと想うよ」


 夢と同じく、記憶は未知の領域だ。だからこそもどかしい。意思に関係なく、様々な方面に影響を及ぼしてくる。


 花びらが持つ意味はいったい何なのか。それさえわかれば、もう少し近づけるかもしれない。



「優季奈ちゃんの謎に迫るためにも、神月代櫻に逢いにいかなければ」



 織斗の力強い目を見た優季奈は喜ぶべきか、あるいは悲しむべきか、自分でもよくわからなかった。すっかり話が脱線している。



「織斗君、話をもとに戻すね。私の大切な人の中には、綾乃ちゃんも入っているの。出逢ったばかりだけど、私は綾乃ちゃんが大好きだから」



 言外に告げてくる。綾乃を悲しませたら許さないと。それ以外にも優季奈の言葉には複数の意味がこめられている。


 織斗は全てを呑みこんで、あえて尋ねるような無粋な真似はしなかった。だから、ひと言だけ返した。



「わかったよ」

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