第075話:路川家と陰陽師の関係

 そんな二人の、特に綾乃あやのの行動に対して、沙希さきは半眼状態だ。もはや完全にあきれ返っている。



「ちょ、ちょっと綾乃ちゃん、苦しいよ」



 慌てて優季奈ゆきなを解放する綾乃の目が、そんなに力を入れていないんだけど、と訴えている。



「綾乃はわかってないのね。私と違って、まあいいわ。それよりも、優季奈が生き返った時の状況はほぼ確定できたんじゃないかな。優季奈も綾乃もどう」



 神月代櫻じんげつだいざくらがあり、月光があり、月の雫がある。ただ、これだけでは心もとない。沙希が言ったように必須要件の全てが整っていないのだ。



「考えているんでしょ。やしろほこらがない。さらには陰陽師おんみょうじの関与もわからなければ、泰山府君祭たいざんぶくんさいも行われていない。これで条件がそろっているのかと」



 二人して大きくうなづいている。



「ここで路川家みちかわけの出番となるのよ。神月代櫻を舞台にして、最期の泰山府君祭が執り行われた際、都から来ていた陰陽師と路川家の箱入り娘が恋に落ちた。ちょっとその展開はどうなのよと想わずにはいられないんだけどね」



 やはり、この手の話には全く興味がないのか、ややげんなりした表情で沙希がぼやいている。



「当時の路川家は辺り一帯を統治する有力一族に成り上がっていたらしいわ。さぞかし美しい娘だったのでしょうね。ひっきりなしに縁談の話があったにもかかわらず、がんとして首を縦に振らなかった。この陰陽師と出逢って、刹那のうちに恋に落ちたというわけ」



 二人とも興味津々しんしんなのだろう、食いつき方がそれまでとは随分と違う。沙希とはまさしく好対照だ。前のめりになって、それでそれでと目で問いかけてくる。沙希が閉口気味に応じる。



「まあ、どこにでも転がっているような話よね。陰陽師の男が路川家に婿入りする形で話がまとまった。かくして路川家の中に陰陽師の血が混じることになったの。その血が世代を超えて、今なお脈々と受け継がれているというわけね」



 ちなみに路川家の名前の由来は、野辺送のべおくりの路を管理する集団であり、死者を見送る人々の流す血の涙が川となり、川には原の意味もあることから、もともとは路原みちはらという名前から来ているようだ。


 時代の流れの中で、原を川に変えて路川になったと伝えられている。あまりに昔の話すぎて、沙希には確かめるすべはない。


 続けようとした沙希の言葉を封じるようにして、綾乃が割って入る。



「ちょっと、沙希、どうしてそんなに簡単に終わらせるのよ。陰陽師の力が血となって路川家の中に入ったのよ。それ以降どうなっていったのかなど、もっと詳しく聞かせてよ。優季奈も聞きたいって言ってるんだから」


「えっ、私」



 いきなり振られた優季奈が大いに戸惑っている。優季奈を完全に同志扱いしている綾乃は、反論は一切認めないとばかりに微笑みを向けてきている。



(もう、綾乃ちゃんは相変わらずなんだから。沙希ちゃんのお話はちょっとは聞きたいけど、それにしても)



 苦笑を浮かべる優季奈が視線を沙希に移すと、沙希もまた苦笑を浮かべている。どうやら綾乃に対する想いは同じのようだ。



「綾乃には困ったものね。少しだけよ。娘の名は早宮埜さくや真名まなの漢字が本当にこの三文字だったかは疑わしいと私自身は想っているわ。真名は命と同じくらい大事なものよ。いくら内輪だけの書物とはいえ、正しく書きしるすなどあり得ない」



 真名は漢字でなければ意味がないと沙希から先ほど説明を受けたばかりだ。そういう意味では、そのとおりなのだろう。


 今を生きる綾乃や優季奈にしてみれば、真名の持つ重要性といったものが心に響いてこない。



「ねえ、沙希ちゃん、真名についてなんだけど、聞いていいかな」



 遠慮がちに尋ねてくる優季奈に沙希は嫌な素振り一つ見せずに承諾を返す。



「真名が命と同じくらいに大事という点、私には実感が持てなくて。それも仮名ではなく、漢字じゃないとだめなんだよね」



 沙希は頷きつつ、優季奈の問いに優しく、丁寧に答えていく。



「これはあくまで私の推察よ。それでも的を射ているはず。そもそも漢字も陰陽道も中国から伝わったものよ。優季奈も綾乃も当然知っているわね」



 二人が頷くのを待って、沙希が続ける。



「中国の陰陽五行思想いんようごぎょうしそうをはじめとする、さまざまな知識や技術をもとにして陰陽道が誕生したわけだけど、平安の世、台頭してきた陰陽師と呼ばれる者たちが本業のかたわらで行ったことが大きく影響しているわ」



 ここは優季奈の方が綾乃よりも詳しい。



「本業以外、つまりは貴族たちの護衛、中でも呪詛じゅそから彼らの命を、それこそ命懸けで守るお仕事だよね」



 そのとおりとばかりに沙希は首を縦に振る。



「呪詛には確実性を期すために用いられるものがいろいろあるわ。呪詛の対象者が普段から身につけているもの、他には髪の毛や爪といったものもそうね。その中でも、真名こそが最大の効果を生み出すものなの」



 真名なんて誰でも知っているのではないか。たとえ知らなくとも、簡単に知る術があるのではないか。優季奈と綾乃の顔に書いてある。



「高位貴族ともなれば幼名、通り名、本名と幾つも使い分けているわ。本名、すなわち真名を奪われないようにね」



 しばし考えこんだ綾乃が静かに口を開く。



「だから沙希は真名には二つの意味があると言ったのね。一つはもちろん本当の名前、そしてもう一つが漢字ということなのね」



 沙希が補足する。



「漢字にはその文字ごとに意味がある。同じ読みでも、幾つもの違う漢字が当てられるわ。だからこそ、漢字は面白いし、難しいの。漢字から派生した仮名は、文字どおり仮の名なの。漢字と仮名に優劣などないんだけどね」



 日本語には漢字にひらがな、さらにカタカナまである。加えてカタカナ英語などが普段から何げなく使われている。沙希にこうして改めて説明を受けたことで、優季奈も綾乃も日本語、とりわけ漢字の難しさ、美しさを実感しているところだ。



「路川家の娘の名前に戻すわよ。早宮埜さくやは通し名であり、真名の重要性から言っても、私は佐久夜さくやこそが真名だと考えているのよ」



 沙希は同じ読みの二種類の漢字を書いて、綾乃と優季奈に示した。それを見た優季奈が思案している。



「佐久夜、この漢字、どこかで見たことがあるような」



 沙希は優季奈が想い出すであろうことを見越して答えを口にしない。ただ待っている。綾乃も同様だ。綾乃自身、日本史は得意科目ながら、授業内容をはるかに超える範疇では到底沙希にかなわない。



「優季奈、ヒントは必要」



 助け舟を出そうとする沙希に対して、優季奈は小さく首を横に振って、わずかに視線を上げた。



「そうだ、想い出したよ。日本神話に登場する女神様の名前、木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめの漢字と一緒」



 よくできました、とばかりに沙希が優季奈の頭を撫でる。その様子を横で見ている綾乃が抗議の声をあげている。



「ちょっと、沙希、それは私の役目なんだからね。よしよし、よく想い出したわね。偉いわよ、優季奈」



 沙希に遅れを取ってはならないとばかりに綾乃が割り込んでくる。大きなため息とともに呆れるしかない沙希は、優季奈から離れると再び口を開く。



木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめのこの漢字は古事記に出てくるものよ。しかも、本名ではなく別名となっているわ。それ以外の日本書紀などでは全く異なる漢字が使われていたりするわね」



 どの漢字が正しいのか、あるいは全てが正しいのか、そうでないのか、その辺のことはわからない。沙希が語ったように、同じ読みながら異なる漢字を当てたことには、少なからず何らかの意味があるのだろう。



「路川家の早宮埜さくや木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめに由来していることは間違いないでしょうね。それほどまでに早宮埜は美しい女性であり、それこそ神々こうごうしい存在だったのかもしれない」



 沙希はわずかに視線を上げ、虚空こくうを見つめている。はるか遠い祖先に想いをせたのか。少しばかり三人の間に沈黙の時が流れた。

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