断章

第113話:優季奈と織斗が見つめる先

 織斗おりとの心の中に優季奈ゆきならした言葉がよみがる。



「織斗君と一緒に幽世かくりよに下る意思は固いよ。その時ね、やっぱりお母さん、お父さんに反対されたままじゃなく、喜んで送り出してほしいの。これも私の我がままなのかな」



 河原崎達哉かわらざきたつや医師から言われたこともまた織斗の脳裏をよぎる。


 優季奈が生き返った話をした際の加賀かが長谷部はせべの反応だ。織斗は二人が素直に喜び、協力してくれるものだと信じ切っていた。


 実際はそうではなかった。いぶかしげな態度が二人から感じられた。


 河原崎は織斗に言ったのだ。


 医師はまさに目の前の病と戦っている。生きている人間だけを見ているのだと。


 優季奈は生きているじゃないか。織斗は随分と憤慨ふんがいしたものだ。


 それも今となっては理解できる。人生を積み重ねてきた大人の考え方は、織斗たちのそれとは異なる。だからこそ、美那子みなこは織斗が幽世に下ることに反対している。



 この時の織斗はまだ知らない。双方の両親が、幼少の織斗に何が起こったのか、その真実を。



(ここまで来たんだ。いろいろと悩んでも仕方がない。俺だって、両親に反対されたくない。その気持ちは優季奈ちゃんと全く同じだ。でも、どちらに転ぼうとも俺の意思は変わらない。必ずこの手で未来をつかんでみせる)



 織斗は窓の外を眺めながら、空に美しく輝く月に焦点を合わせている。



「優季奈ちゃんは絶対に離さない。俺が必ず幸せにしてみせる」



 改めて決意を強く固めるのだった。



◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇



 優季奈は優季奈で未だに悩んでいる最中さなかだ。


 綾乃あやの沙希さきに本心を伝えたものの、何が正解なのか自分でも答えが導き出せないでいる。恐らく、正解はないのだろうとも想っている。



「私に残された時間は、悩んでいる間にもどんどん過ぎ去っていく。綾乃ちゃんや沙希ちゃんとの時間、何よりも織斗君との時間を大切にしたいのに」



 自室のベッドの上に仰向あおむけで寝転がって、悶々もんもんと考えてしまう。割り切りたくても割り切れない。



 無意識のうちに、たなに積み上げている本に手が伸びる。


 気がまぎれるなら何でもよかった。入院していた頃からのくせになっている。ちょうど手に触れた一冊を抜き取る。



 表紙を見て、優季奈はため息をついていた。



「今の私にこれを読め、ということなのかなあ」



 架空の女神を擬人化した絵がえがかれている。


 国生くにうみと神生かみうみを行った女神、伊邪那美命いざなみのみことだ。


 果たして架空なのだろうか。


 優季奈はうつ伏せの姿勢になって、表紙をめくる。目次に目を通し、一番気になる章を開く。



「私も織斗君も一度死んでいる。幽世に下ったら、伊邪那美命いざなみのみこと様のように、死後の姿になってしまうのかな」



 優季奈は織斗の変わり果てた姿を見たとしても、決して揺らがない自信がある。それこそ伊邪那美命いざなみのみことに誓ってもよいぐらいだ。


 一方で織斗はどうだろうか。



「織斗君が死後の私の姿を見たら、伊邪那岐命いざなぎのみこと様のように一目散に逃げ出してしまうかもしれない」



 橙一朗とういちろうが用いる術がどのようなものか、具体的にはわからない。疑似的に死者になるということだけで、その際の姿などは知らされていない。



「もしも、もしもだよ。織斗君が逃げ出したら、私は後を追いかけていいのかな」



 さらに思考が深みにはまっていく。


 優季奈はあきらめて本を閉じると、ベッドからゆっくりと起き上がる。



「織斗君、今すぐ逢いたいなあ」



 わずかに顔を上げ、窓の外に広がる風景に視線を向ける。



 空にはわずかに欠け始めた新月が輝いている。これよりおよそ三十日後、幽世に下るための新たな新月を迎える。



 優季奈は美しい月に目を奪われている。



「織斗君、大好きだよ」



 織斗との月下に誓いを想い出しながら、優季奈のほおは柔らかな赤に染まっていた。

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