第112話:最終結論に向けての想い

 午前九時過ぎから始まった橙一朗とういちろうの語りは、途中に路川季堯みちかわすえたかはさみ、最後には佳那葉かなはまで出てくる総がかりの説明となった。


 ようやく全てを語り終えたのは優に正午を過ぎ、さらに午後一時を回った頃だ。



「遅めの昼食を、と言いたいところだが。さすがに食欲もかないな」



 鞍崎慶憲くらさきよしのりの言葉に大人たちは一様にうなづいている。



「君たちはどうだ」



 視線をキッチンに向けて問いかける。優季奈ゆきな綾乃あやの沙希さき、そして織斗おりとが食欲はないとこたえる中、汐音しおんだけが違っていた。



「俺はめちゃくちゃ腹が減りました。それにこういう時こそしっかり食べないと、まともに頭も働きませんよ」



 汐音のひと言で緊張に包まれていた場が一気におだやかになる。



「そうだな。真泉まいずみ君の言うとおりだ。とは言っても、今から昼食の用意をするとなると」



 助け舟を出したのは優季奈だ。



叔父おじさん、近所に美味おいしいお弁当屋さんがあったよね。それでよかったら私が買いに行ってくるよ。まだつぶれていないよね」



 優季奈には空白の時間がある。その間に閉店してしまっているかもしれない。



「大丈夫だ。今も元気に営業しているよ。優季奈、済まないが頼めるか」



 大人たちの顔を見回し、異論がないことを確認した鞍崎慶憲が優季奈に現金を預ける。


 既に優季奈たちの間では相談ができていたのだろう。優季奈を先頭にして、皆が連れ立ってキッチンから出て行く。


 最後に汐音がわずかに振り返り、頷いてみせる。対する鞍崎慶憲は苦笑を浮かべるだけだ。



「真泉君や優季奈をはじめ、子供たちなりに気をつかってくれたのだろう。私たちもしっかりしないといけないな」



 目的の店を知っているのは優季奈だけだ。彼女のすぐ横に綾乃と沙希が並び、後ろから織斗と汐音がついていく。


 会話のない状況下、こういう時に口火を切るのは汐音の役目だ。



「なあ織斗、沙織さおりさんや利孝としたかさんはもう結論が出てるんじゃないのか。後ろから見ていて、何となくそのような雰囲気だったしな」



 よく見ているなと想いつつ、織斗も同感だ。恐らく、両親の中では結論が出ているだろう。母の沙織と二人になった際の感触からしても、幽世かくりよに下ること自体は認めてくれそうな気がしている。



「母はそうかもしれない。父はわからない。むしろ、最後まで悩むんじゃないかと想っているよ」



 いくら柔軟な思考を持っているとはいえ、父の利孝は論理的に考えられない物事を嫌う。


 優季奈はその最たる例でもある。受け入れたのは、生き返った優季奈を目の当たりにし、生前の彼女と何も変わっていなかったからだ。


 時に現実は残酷なまでに論理的思考を破壊する。



 織斗と汐音の会話は、少し前を進む三人にも聞こえている。



「優季奈から見て、ご両親や鞍崎さんはどうなの。お母さんを説得するのは難しそうなの」



 綾乃の疑問形の質問に優季奈は応えようがない。


 途中で怒りを発散させた母の姿を見る限り、反対の意思は強固だろう。父も母に同調するだろう。


 叔父はどうだろうか。実の娘のように可愛がってくれている事実だけをとらえると、認めてくれそうな気がしないでもない。そのうえで両親を説得してくれるかもしれない。


 あくまで希望的観測にすぎない。相当の楽観論らっかんろんでもある。



「お母さんはきっと反対すると想う。織斗君を絶対に行かせたくないから。お母さんが反対ならお父さんも。叔父さんはわからない」



 言いにくそうにしている綾乃に代わって、沙希が口を開く。



風向かざむかい君の意思は知っているわね。そのうえで、優季奈はどうしたいの。お母さんに反対されたら、あきらめてしまうつもりなの。優季奈の本心はどこにあるの」



 沙希らしい問い方だ。遠慮なく理詰りづめで押してくる。優季奈と織斗は無関心の相手ではない。沙希が関心を寄せる数少ない相手だからでもある。



「沙希は容赦ないわね。単刀直入というか、それが沙希らしいといえば沙希らしいんだけど。大人たちの話がどんな内容だったか気になるわね。聞いたところで、教えてくれなさそうな雰囲気よね」



 綾乃は場をおだやかにする役といったところか。


 沙希が直截ちょくさい的なら、綾乃は婉曲えんきょく的な物言いになっている。結論から言えば、綾乃も優季奈の気持ちを知りたいことに変わりはない。



「私ね、一緒に幽世に行くなんて絶対にだめだと断ったんだ。佳那葉さんに大丈夫だと言われても、私は信じられなかった。死んだ私が新たに一年の寿命をもらえたのは本当に奇跡なの。だから、それ以上を望んではいけないと自分に言い聞かせていた」



 優季奈は抑揚よくようを廃して話を進める。感情を少しでも入れたら、暴走しそうだ。


 沙希も綾乃もわかっているからこそ、無言のままで優季奈を見守っている。


 後ろから織斗が何か言いたそうにしている。



「織斗、今は何も言うな。黙って最後まで佐倉さんの想いを聞くんだ」



 汐音が織斗を制し、口をつぐませる。


 織斗は汐音に伝えていない。優季奈も同じだ。互いに事が落ち着くまでは誰にも、それは両親もだ、告げないと約束している。形だけとはいえ、黙っているのは心苦しくもある。



「織斗君は私がお願いしなくても、幽世に行くって言ってくれた。それで満足しなければいけないって想ってたの」



 沙希が引き取る。



「今は違うのでしょ。私は前にも言ったわよ。風向君は幽世に下るため、死ぬ必要がある。祖父の術があるとはいえ、完璧とは言い切れない。少なくとも私にはね。だとしたら、死ぬ可能性だってあるのよ。それでも一緒に行きたいのね」



 優季奈は沙希の言葉に動じず、真っすぐに目を見つめる。沙希もまた見つめ返す。


 互いに互いをはかっているような雰囲気でもある。滅多に表情を変えない沙希のそれがわずかにゆるむ。



「決意のこもった強い目ね。そんな表情もできるのね」



 沙希の右手が優季奈のほおを優しくでるように触れていく。優季奈は自らの手を沙希の手に重ね、言葉をつむぐ。



「一緒に行きたい。ずっとそばにいたい。私が生きられる時間はどんどん少なくなっていく。だから、一分一秒をむだにしたくないの。自分でも我がままを言っているのはわかっている。でも、もう二度と一緒にいられないかもしれないから」



 沙希は頷くと、優季奈のふるえる身体をしっかり抱きしめる。綾乃もまた優季奈と沙希の二人に両腕を回し、包み込んでいく。



「優季奈、何があっても私たちが全力で応援するから。任せておきなさい」



 綾乃の言葉は決意の表明でもある。沙希もまた同じ気持ちだ。



とうとい友情だな。まさかこんなことが起こるとは、いろいろな意味で予想できなかったよ。佐倉さくらさんはお前だけでなく、鷹科たかしなさんや沙希にも愛されているんだな」



 織斗からの返答はない。それでよかった。


 汐音は一人、抱き合っている三人の傍に近寄っていく。



「おーい、お取り込み中悪いんだけどさ。場所も場所だし、そろそろ移動した方がいいんじゃないか」



 汐音の声に我に返ったか、ようやく一つに丸まっていた三人がほどけて、一斉いっせいに振り返ってくる。視線の集中砲火に汐音がたじろいでいる。



「ごめんね、真泉まいずみ君。こんな道中みちなかだと迷惑だよね」



 あやまってくるのは優季奈と綾乃で、沙希だけが、もう少し気をつかいなさいよ、といった視線だったりする。相手が気心の知れた汐音だからだろう。



 ふと優季奈の視線が少し離れた場所に一人で立つ織斗にそそがれる。


 互いに目が合う。苦笑混じりの表情で頷く。


 織斗のくちびるが動く。何を言っているかは聞こえない。それでも想いは伝わってくる。



「この先、絶対に優季奈ちゃんを離さない。何があろうともずっと傍にいる。寿命が尽きるその瞬間まで」




 五人が人数分以上のお弁当を買い占め、鞍崎慶憲の自宅に戻ったのはおよそ三十分後だった。



 結局のところ、大人たち五人の結論はまとまらず、それぞれが持ち帰って熟慮のうえ、一週間後の土曜日に再び集まる算段となった。


 一週間でも足りないぐらいだ。一方で優季奈と織斗が幽世に下るための条件、次の新月の夜まではひと月足らずとなっている。



「準備期間にどれほど必要かはわからない。だが、一週間で必ず結論を出す。そのむねで承知しておいてほしい。それから」



 鞍崎慶憲が沙希に封筒を一通手渡す。



「幾つかの質問をしたためておいた。路川橙一朗氏に回答いただき、それをもって沙希君には来週土曜日同時間にここまで来てほしい。お願いできるか」



 沙希が首を縦に振って、了承の答えを返す。



「鞍崎さん、私たちも一緒に来てよいでしょうか」



 綾乃の問いかけに鞍崎慶憲は問題ないとばかりに頷く。



「もちろんだ。鷹科君も、真泉君もぜひ一緒に来てほしい。沙希君含めて三人は、優季奈と織斗少年にとって掛け替えのない親友だと私は想っている。当然、同席すべきだろう」



 話はまとまった。



 今日の路川家からの話を受けて、ようやく一週間後だ。



 遂に最終的な結論が出る。

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