第111話:想いを届ける

 今日、何度目となるだろう。完全な静寂に包まれたまま、誰もが微動だにせず、おぼろげに揺れる路川季堯みちかわすえたかの姿に釘付け状態だ。



≪私がこの姿で顕現けんげんできるのはせいぜい一分、まずは黙って話を聞いてもらいたい≫



 聞かせるべき対象を限定している。すなわち、大人たち五人のみだ。


 決して目には見えない力とでもいうのか、あまりにおごかな雰囲気に圧倒されてしまう。


 誰からも返答がないのをよいことに、季堯は一人で話を進めていく。



≪最も聞きたいであろうことから語ろう。あの若き二人は幽世かくりよに下った後、必ず現世うつしよに戻ってくる。千年以上もの間、魂の状態で生きる私が保証しよう≫



 見事に言い切ってみせる。


 大人たちの顔は未だ不審の念一色に染まっている。季堯は、さも当然だろうとばかりに言葉を続ける。



橙一朗とういちろうの秘術は路川家の歴史において初めて行使するものだ。だが必ず成功する。そこは疑いなく信じてもらうしかない。そして、幽世に下る際には、この季堯があの二人の先導役を務める≫



 そんなことが可能なのか。皆の顔にはっきりと書いてある。



≪私の肉体は千年以上も前に滅んでいる。魂だけの存在なら幽世に下るに何ら支障はない≫



 円内に光を帯びて浮かぶ季堯は意匠いしょうらした青紫せいし狩衣かりぎぬ白袴しろばかまというで立ちだ。



 利孝としたかが聞きたそうにしている。一分という短時間で質問をすれば、あっという間に過ぎ去ってしまう。ここはこらえるしかない。



≪二人の肉体については心配せずともよい。そのための橙一朗の秘術だ≫



 いよいよ核心に入る。



≪二人は一度命を失った。その前提で聞いてもらいたい。何故なにゆえに確実に幽世から現世に戻って来られるのか。二人に授けられた恩寵おんちょうこそだ。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様は、長きにわたってこのような時が訪れることを願っておられた≫



 初代こと路川季堯はただ一人、木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめと直接の接点を持つ者だ。


 季堯を除く宮司ぐうじ櫻守さくらもり木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめの姿こそとらえられるものの、双方向で会話できる者は皆無で、常に言霊ことだまは一方通行だった。



≪女神の全てを理解しているなどとおごった考えは持っておらぬ。それでも、女神の深きなげきだけは痛切に感じるのだ≫



 わずかに言葉が途切れる。季堯が木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめに想いをせていることなど、容易に想像がつく。



相済あいすまぬ。感傷的になってしまった。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様だけではない。もう御一方おひとかたおられる。途轍もなく重要な女神だ≫



 季堯の言葉の意味はすぐに理解できた。


 橙一朗の説明になかったもう一人の女神、すなわち織斗の背後に立っていた女性を意味している。



≪御名は伊邪那美命いざなみのみこと様、皆さんもご存じであろう≫



 またとんでもない名前が飛び出てきた。ここまで話が飛躍してくると、荒唐無稽こうとうむけいを通り越して、真実ではないかという想いがしないでもない。


 季堯は一呼吸置き、推測の域を超えるものではないとの前置きをしたうえで、顕現できる最後の時間で言葉をつむぐ。



風向織斗かざむかいおりと君は木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様のみならず、伊邪那美命いざなみのみこと様からも恩寵も与えられている。伊邪那美命様は幽世をべる女神、その女神に呼ばれたのだ。ゆえに彼が幽世で命を落とすこともなければ、当然ながら再び現世に無事に戻って来られよう≫



 凝縮した一分が過ぎ去ろうとしている。光が徐々じょじょに薄らいでいく。路川季堯の顕現が終わりを告げる。



≪一方的な語りとなり大変申し訳なかった。この短い時間で理解の一助になるかはわからぬ。親としての深い想いも理解する。そのうえで、二人の未来のために熟考いただきたい≫



 その言葉を最後にして、路川季堯の姿は消えてしまった。


 失せる寸前、沙希さきに視線が向けられる。沙希には季堯が笑みを浮かべ、うなづいたように見えた。大丈夫だと言っているようにも感じられた。



 優季奈は不安な気持ちでつぶされそうになっている。それでいて、なぜか安堵感もある。


 それは両手をしっかり握ってくれている二人の親友によるものだ。いつしか沙希は右手を、肩に両手を添えていた綾乃あやのは左手を握ってくれている。



「綾乃ちゃん、沙希ちゃん、ありがとう」



 自然と言葉がこぼれる。沙希と綾乃からの返答はない。その代わり、繋いだ手は離れない。二人から温かさが伝わってくる。


 そんな三人娘の様子を織斗と汐音しおんが見つめている。二人の間にも会話はない。むしろ、無粋ぶすいな言葉など不要だろう。



 五人が見守る中、路川季堯の姿はもはや見出せない。護符を包む光の正円も消え失せている。しばしの余韻が静寂と共に流れていく。



 ようやく正気に戻ったのか。独り言のように呟いたのは光彰みつあきだ。



「夢かうつつか。今のはいったい何だったんだ」



 誰にも答えはない。等しく同じ想いだからだ。



 ようやくのこと、護符を通じて再び橙一朗の声が聞こえてくる。



≪さて、熟慮じゅくりょの時間も必要になるじゃろう。結論を出される前に、最後に儂からひと言だけお伝えしたいことがありますじゃ≫



 誰もが何を言うつもりなのかと無言で待ち受けている。



≪初代こと路川季堯の魂は今なお現世にありますじゃ。孫娘の沙希が可愛がっておる黒猫の中に≫



 五人が一斉いっせいに振り返る。


 視線の集中砲火を受けた沙希が固まってしまっている。優季奈の手を握る手に必要以上の力が入っている。



「お母さん、お父さん、それに叔父おじさんも。沙希ちゃんが困ってるよ」



 見かねた優季奈がたまらず抗議の声をあげる。



「そ、そうね。沙希さん、ごめんなさいね。今、路川さんの口から沙希さんのお名前が出たものだからつい」



 美那子の言葉に、沙希は躊躇いがちに反応を返す。



「あの、祖父は何と」



 沙希を溺愛する橙一朗のことだ。突拍子とっぴょうしもない発言はしないだろうと想いつつ、一抹いちまつの不安も感じる。



「沙希さんが可愛がっている黒猫、その中に路川季堯さんの魂があるとのことよ」



 まさに青天の霹靂へきれきとでも言うべきか。


 毎日一緒にいるわけではない。祖父母の実家に行った際に触れ合うだけの黒猫にすぎない。名前がなかったため、黒猫だから単純にネロ助と名付けた。


 ただ、なぜかかれた。理由は、と聞かれても答えようがない。そこはかとなく神秘的で、あの金色こんじきに輝く瞳で見つめられると、まるで全てを見透かされてしまうかのような、えも言われぬ感覚に包まれるのだ。


 その正体がここに来て、ようやくわかった。



「そう、ですか」



 様々な感情が入り乱れて言葉にならない。優季奈と綾乃が心配そうに沙希の横顔をのぞき込んでいる。



「沙希ちゃん、大丈夫」


「沙希、大丈夫なの」



 二人同時に同じことを尋ねている。沙希は二人に視線を向け、わずかに苦笑を浮かべてみせる。



「ありがとう。大丈夫よ。少し驚いたけどね。道理で長生きしているわけね」



 沙希に先ほどまでの動揺は見られない。その表情から美那子も察したのだろう。



≪女神様にどのような意図があるかは儂らにもわかりませんがの。幽世に下った後、お尋ねすれば氷解しましょう。優季奈さんと織斗君、二人は幽世に下り、そして再び現世に戻ってくる。儂の、いや路川家の身命しんめいして約束いたしましょう。未来へとつなぐ一歩にもなりますじゃ。どうかよくよくお考えくだされ≫



 橙一朗の語りが終わる。



≪儂の妻で櫻守さくらもりでもある佳那葉かなはがひと言伝えたいとのことですじゃ。お聞きくださるかの≫



 橙一朗の代わって、初めて聞く佳那葉の声が響いてくる。



≪はじめまして、皆様方。沙希の祖母で、神月代櫻じんげつだいざくらの櫻守を務めております路川佳那葉と申します。お疲れのところでしょうが、今しばらくお付き合いください≫



 柔和にゅうわ慈愛じあいに満ちた優しげな口調だ。聞いているだけで疲労が抜け、心が温かくなってくる。



≪優季奈さん、織斗君と直接話をしてみて、本当に素晴らしい子供たちだと感じました。ご両親がどれほどいつくしみ、大切に育ててきたか、手に取るようにわかります。そのようなお二人を幽世という、大人にとって存在そのものが疑われる場所に連れて行くなど、言語道断ごんごどうだんだと想うのは当然です≫



 佳那葉も優季奈や織斗の両親たちと同じ立場なら当然そのように想うだろう。路川家という特殊な家に生まれ、育ち、櫻守を務めているからこそ違っているだけだ。



≪神月代櫻は新たな命を生み出すもの。優季奈さんと織斗君は、まさしく神月代櫻の子供でもあるのです。命は還元かんげんと再生を繰り返します。神月代櫻で出逢うべくして出逢った二人だからこそ、その命もまた同様なのです≫



 佳那葉の言葉が大人たちの心に浸透したかいなか、浸透したとして理解できたか否か、いずれもわからない。



≪優季奈さんと織斗君、二人に新しい未来が待っている。もちろん、初めてのことです。それでも、私は神月代櫻の櫻守として強く信じています≫



 佳那葉は断言した。確信ではない。まさしく信念だ。



≪これで最後です。大人は子供を守るべき存在です。ただし、守りすぎるばかりに、未来を閉ざすようなことがあってはなりません。優季奈さんと織斗君の未来を信じてほしい。切に願っています≫



 佳那葉の語りが終わった。

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