第014話:来年の誕生日の約束

織斗おりと君のお母さんって素敵な人だね。優しいし、織斗君のことを心から想っているもの。いいなあ、あんなお母さんがいて」



 織斗は優季奈ゆきなの意外な一面を見たような気がした。



「そうかなあ。お母さん、何かにつけてうるさいし、それにめちゃくちゃ怖いんだよ。何たって、風向家はお母さんが一番強いんだ」



 今度は優季奈が意外な表情を浮かべる番だった。



「えっ、そうなの。私にはすごく優しい人に見えるよ。叱られたりするのは、きっと織斗君が悪いからじゃないかなあ」



 十中八九、そのとおりだ。沙織は織斗が間違ったことをした時しか怒らない。



「そうかもしれない。ねえ、優季奈ちゃんはお母さんがきらいなの。俺には、優季奈ちゃんのお母さんこそ、すごく優しい人に見えるよ。だって、優季奈ちゃんをこんなにも大切にしてくれてるんだから」



 織斗は待合室での美那子の話を思い出していた。美那子が優季奈をどれほど大切に想っているか、子供の織斗でも実感できるほどだった。



(お母さんってすごいよなあ。お父さんとはどこが違うんだろ)



「お母さんは大好きだよ。きらいなわけないよ。小さい頃から私がこんな身体だから、お母さんにも、お父さんにも迷惑ばかり」



 すかさず織斗がさえぎる。



「優季奈ちゃん、だめだよ。そんなこと言っちゃだめだから。病気になりたくてなったわけじゃないんだ。絶対に優季奈ちゃんのせいじゃないんだ。そんなことを言ったら、お母さんも、お父さんも、もっと悲しむよ」



 うまく言葉にできない自分がもどかしくてたまらない。それでも織斗は思いのたけを精一杯言葉にして、優季奈に投げかけた。



「うん、そうだよね、わかったよ。もう言わないから。織斗君って、やっぱり」



 優季奈はそこで言葉を切った。織斗はしばらく待つ。それでも続きの言葉は来ない。



「優季奈ちゃん、顔色が」



 先ほどまでうっすらと赤くなっていた顔色が、いささか青白くなっている。



「ちょっとだけ、疲れたかな。でも、大丈夫だよ。今日は特別な、本当に特別な一日だもの。この程度、何でもないから」



 今の優季奈を見ていると、涙が出そうになる。どうして、これほどまでに苦しまなければならないのか。代われるものなら、今すぐにでも代わってあげたい。



「そうだ、俺、決めたよ。優季奈ちゃん、約束」



 小首をかしげる優季奈を前に、織斗はなおも続ける。



「来年の優季奈ちゃんの誕生日は、あそこにしよう」



 織斗が大きく右腕を伸ばす。指し示したのは窓の向こう、小高い丘にそびえ立つ神月代櫻じんげつだいざくらだ。



「優季奈ちゃんと一緒に満開の桜を見ながら、誕生日のお祝いをするんだ。だから」



 伸ばした右腕を戻し、そっと右手小指を優季奈に差し出す。


 勢いで宣言したものの、今になって断られたらどうしようという思いが頭をよぎる。さすがに気恥ずかしい。手がわずかに震える。


 肝心の優季奈は、といえば、わからないぐらいに表情をゆがませ、躊躇ちゅうちょしているようにも見える。


 それでも意を決したのか、織斗が差し出した小指に向けて、優季奈もおずおずと右手の小指を伸ばす。その動作は、指が触れる寸前で止まった。



「私ね、すごく怖いの。もうこのまま病院から出られないんじゃないかって。そんなことばかり考えちゃうの。私の病気、もう治らない」


「治る、絶対に治るよ。優季奈ちゃんは元気になるんだ。俺、信じているから」



 突然大声を出した織斗を、優季奈は驚きのあまり目を丸くして呆然ぼうぜんと見つめている。



「ご、ごめん。急に大声、出してしまって」


「う、うん。びっくりしちゃった。そうだよね、誰よりも私が信じないといけないよね」



 優季奈の小指が織斗の小指に触れ、ゆっくりと絡み合う。



「来年の優季奈ちゃんの誕生日、神月代櫻を一緒に見に行く。約束するよ」



 優季奈の視線が二人の絡み合った小指に、そこから見上げる形で織斗に向けられる。



「織斗君、私を連れて行ってね。約束だよ」



 この約束は何が何でも果たさなければならない。想いはさらに強まる。



「約束する、優季奈ちゃん。必ず連れていくから」



 あとは絡めた小指を切って、離すだけだ。


 ずっとこのままこうしていたい。絡めた指を離したくない。織斗は深く息を吸い込んで、踏ん切りをつける。


 指切のお決まりの言葉は口にしない。互いに心の中で唱える。


 名残惜しそうにそっと指が離れていく。



「約束」



 二人の言葉が重なった。



「何だか恥ずかしいね。中学生なのに小さな子供みたいに指切りって。でも、織斗君とだから、いやじゃなかったよ」



 少しばかり考えこんだ織斗が、ゆっくりと言葉をつむぐ。



「俺、思うんだ。中学生なんて、まだまだ子供だなって。だって、俺も優季奈ちゃんもね、一人じゃ何もできないから。自慢じゃないけど、俺なんて今、一人で外に放り出されたら生きていく自信ゼロだから」



 子供と大人の境目はどこにあるのだろうか。そんなことをいつも考えているわけではない。自分の両親を見て、接していると、自然と浮かび上がってくる想いだ。


 思わず吹き出す優季奈に、織斗も笑って返す。



「全然自慢じゃないね。でも、すごいよ。織斗君がそんなことを考えていたなんて。尊敬しちゃうな。そっかあ、私たちって、まだまだ子供なのかあ」



 尊敬すると言われて、織斗は大いに照れている。



「だからね、指切りなんて全然恥ずかしいことじゃなくて、ほんとに大事なのは、その約束をちゃんと果たせるかどうかなんだ」



 両親に感謝するしかない。実のところ、優季奈に語って聞かせた言葉は、大半が両親からの受け売りだったりする。



「ごめんね、俺、偉そうなことばかり言ってるよね。まあ、お母さん、お父さんから教えられたことをそのまま言っただけなんだけど」



 今度こそ本気で優季奈に笑われた。その笑い声もたまらなく可愛い。笑われていることすら全く気にならない。



(泣いている天使より、笑っている天使の方が絶対いいに決まってるじゃないか)



「優季奈ちゃん、笑いすぎだよ」



 断じて文句ではない。織斗も釣られて笑っているぐらいなのだから。



「だって、織斗君、正直すぎるんだもの。黙っていれば、格好いいなあで済んだのに」



 優季奈の視線が扉に向けられた。美那子が戻ってきたからだ。



「あっ、お母さん、おかえり」



 美那子からやや遅れて、沙織が入ってくる。



「おかえりなさい、織斗君のお母さん」



 二人の母親が声を揃えて「ただいま」と返す。



「あら、随分と言葉遣いが違うわね。それに笑い声が外まで聞こえていたわよ」



 優季奈が文句を言う前に、先に織斗が謝罪の言葉を口にしていた。



「ごめんなさい。俺が変なこと言って、優季奈ちゃんを笑わせてしまったから」



 早速、沙織ににらまれる。またこの子は、という非難の目だ。



「織斗君、いいのよ。怒っているわけじゃないの。今日は優季奈にとって本当に特別な一日、織斗君と沙織さんが来てくれて、そのうえお祝いまでしてくれている。感謝しかないの」



 またも涙ぐんでいる美那子を見て、織斗は焦った。そんな時は頼りの綱、母親に任せるしかない。



「織斗、美那子さんから飲み物を受け取って、テーブルの上に置きなさい。織斗の炭酸は私が持っているから」



 まさに以心伝心だろう。


 織斗は美那子の手からコーヒーと紅茶がたっぷり入ったカップを受け取り、テーブルに並べたプリンアラモードの横に置いていく。


 沙織も織斗の炭酸飲料と自分のコーヒーが入ったカップを手に、テーブル傍まで近づいてくる。



「せっかくですから、いただきましょう。改めて、優季奈さん、十四歳の誕生日おめでとう」


「おめでとう、優季奈ちゃん」



 美那子も容器から板チョコを取り出すと、優季奈の正面に置かれたプリンアラモードの上にそっと乗せた。


 ミルクの板チョコにはホワイトチョコで"Happy Birthday!”と書かれている。



「おめでとう、優季奈。よかったわね」



 胸がいっぱいに詰まって言葉が出てこない。先ほど泣いたばかりだ。だから涙はこらえる。



 優季奈の目が沙織に、織斗に、そして最後に母の美那子に注がれる。ようやく口にできた言葉はこれだけだった。



「ありがとう」



 三人がそれぞれの想いを乗せて優季奈を見つめている。見守っている。


 三人に共通しているのは、ただただ温かい目ということだった。

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