第013話:プリンアラモードは幸せの象徴

 織斗おりと沙織さおりが出て行ってから、かれこれ二十分がとうとしている。



「お母さん、織斗君たち遅いね。何かあったのかな」



 待たされている優季奈ゆきなは不安な気持ちを抑えられないでいる。


 自分で食べたいと言っておきながら、なくてもいいから、ここで一緒にいてほしい。それが本心なのかもしれない。



「そうね、かなり遅いわね。お母さん、ちょっと見てくるから」



 美那子みなこが歩き出したところで、ようやく織斗と沙織が戻ってきた。



「優季奈ちゃん、遅くなってごめんね」



 入ってくるなり頭を下げてくる織斗を見て、優季奈は口をつぐんでしまった。



(もう、ずるいよ。何も言えなくなっちゃった)



「ほら、優季奈ちゃん、これだよね」



 エコバッグから取り出したプリンアラモードを、どうだとばかりに見せてくる織斗を可愛いと想ってしまう。



「えっ、これって」



 優季奈は差し出されたものを見て、すぐに気づいた。



「あれ、俺、間違ったのかな。でも、確かに」



 織斗のあたふたした声に、優季奈は視線をプリンアラモードから慌てて織斗に戻す。



「あっ、違うの。ほら、ここに貼ってあるシールがね。下のコンビニじゃないよね」



 上蓋うわぶたに意匠をらした店のラベルが貼ってある。



「織斗君、わざわざ買いに行ってくれたんだ。だから、戻ってくるのが遅かったんだね」



 一階のコンビニで棚中を探し回った織斗は、肝心のプリンアラモードを見つけられなかった。優季奈のためなら、恥ずかしいとか言っている場合ではない。勇気をもって店員にいろいろと聞いてみたのだ。



「店員さんが親切に教えてくれたんだ。歩いて五分ぐらいのところに人気のパ、パ、あれ、何だっけ」


「パティスリーよ。ケーキなどを販売している洋菓子店ね。覚えておきなさいね」



 沙織の言葉に織斗はうなづきつつ、食い気味に言葉を差しはさむ。



「そう、それそれ、パティスリーだ。すっごく美味しそうなケーキがいっぱい並んでるんだ。でも、プリンアラモードはなくて、お母さんが」



 三人の視線が、いっせいに沙織に注がれる。



「大したことではないのよ。事情を説明して、プリンアラモードを作ってもらえないか相談しただけなの。あのお店のパティシエール、女性の菓子職人さんね、とはたまたま知り合いだったから」



 子供二人から尊敬の目を向けられて、いささか恥ずかしい思いをする沙織に、今度は美那子が礼を述べる。



「沙織さん、優季奈のためにそこまでしていただいて本当にすみません。ありがとうございます。もちろん、織斗君もね」



 二人して首を横に振っている。大人らしい控え目な動作の沙織と、子供らしく大きな動きを見せる織斗、対照的な母と息子だ。



「あの、俺は、優季奈ちゃんが喜んでくれるのが一番なので。だから全然大丈夫です」



 我ながら情けない言葉遣いだと思いつつも、織斗の素直な気持ちだった。



「優季奈ちゃん、誕生日おめでとう」



 織斗は優季奈の小さな手の上にプリンアラモードをそっと乗せた。


 パーティークラッカーの一つでも鳴らしたいところだ。たとえ持っていたとしても、病室内で鳴らすような非常識さはない。そんなことをやろうものなら、母親の雷が脳天直撃、真っ逆さまに落ちるのは言うまでもない。



「織斗君、嬉しいよ。私、こんなに楽しい誕生日は、初めて」



 優季奈の唇かられた言葉で我に返る。天使の瞳からは水滴が静かに流れ落ちている。



(優季奈ちゃん、天使すぎる)



 意図せず、身体が勝手に動き出す。


 織斗は少しずつ優季奈に近づいていった。その首根っこを沙織が力任せに押さえつける。



「織斗、何をしようとしているの。まさかとは思うけど」



 沙織がじっと見つめてくる。微笑みの裏側、そこに般若はんにゃの顔が見える。



(あ、これ、だめだ。一番恐ろしい時のお母さんだ)



「な、何もしません。そんな、優季奈ちゃんに」



 正気に戻れば、絶対できるわけがない。危うく天使の吸引力に負けて、抱きしめたくなったなんて口が裂けても言えない。言えば間違いなく殺される。



「まあいいわ。そういうことにしておいてあげる。優季奈さん、プリンアラモードは気に入ってくれた」



 沙織は尋ねてから、織斗に目配せだけで指示を出す。いつもの風向家のリビングルームと同様だ。織斗も慣れたもので、手際よく優季奈のベッド周辺を片づけると、小さなテーブルと椅子三脚を並べていく。


 テーブルに残り三つのプリンアラモードを並べると、織斗はもう一つ、別の容器を取り出した。



「優季奈ちゃんのだけ特製だよ。お祝いのチョコをつけてもらったんだ」



 その容器にはメッセージが書かれた板チョコが入っている。織斗は容器ごと優季奈の母に手渡した。


 欲を言うなら、織斗自身が優季奈のプリンアラモードに飾りつけたい。そのためには、板チョコに直接手で触れなければならない。優季奈がいやがるかもしれないし、他人の織斗がするべきではない。だからこそ、美那子に預けたのだ。



「織斗君、私に渡してしまっていいの。優季奈なら気にしないと思うわよ」



 どういった意味をこめて渡したか、美那子はしっかり理解してくれている。そのうえで尋ねてくれた。


 織斗はいささか残念な気持ちをいだきつつも、躊躇ためらいなく答える。



「はい。俺なんかよりも、優季奈ちゃんのお母さんの方が安心できます。お願いします」



 美那子は視線を織斗から沙織に移した。沙織が頷くと同時、優季奈がぽつりとつぶやく。



「私は、織斗君が乗せてくれてもよかった、かな」



 あきらめていた気持ちがぐらついてしまう。妙案が浮かばない織斗は、苦肉の策として母親に助けを求めるしかなかった。



「優季奈さん、今日はお母さんにお願いするわね。来年の優季奈さんの誕生日には、織斗にしっかり働いてもらうから」



 途端に優季奈の顔が明るく輝く。



「来年の私の誕生日に。はい、今から楽しみにしています」



 織斗が感謝と感激の眼差しを向けてきている。沙織はわずかに頷き返すだけだ。



「あとは飲み物ね。優季奈さんは何がお好きなの」



 大人二人はコーヒー、お子様の織斗は炭酸飲料と決まっている。



「優季奈は、紅茶よね」



 先に母親に答えられてむっとしたのか、優季奈はやや頬を膨らませて抗議する。



「もう、私が織斗君のお母さんに聞かれたんだから、お母さんが答えないでよ」


「あらあら、それはごめんなさいね。お母さんが悪かったわ。それで、紅茶でいいんでしょう」



 美那子は苦笑を浮かべながらも、愛しい娘の豊かな表情変化を心から嬉しく思っている。



「お母さん、待合室まで飲み物を買いに行ってくるから、ここで待っていなさいね。沙織さん、織斗君、優季奈をよろしくお願いいたします」


「美那子さん、私も一緒に行ってよいでしょうか。お一人では大変でしょうし」



 美那子と沙織、二人の母親が気を利かせてくれたのか、そろって出ていく。その寸前だ。



「織斗、優季奈さんに変なことをしたらだめよ。いいわね」



 沙織がとんでもない言葉を落としていく。沙織からすれば、織斗を信じての言葉だ。



「な、な、何言ってるんだよ。そ、そんなこと、するわけないじゃないか」



 思わず振り返った先、優季奈は頬を赤く染めながら、じっと織斗を見つめている。



「ご、誤解だよ。俺、絶対に優季奈ちゃんにそんなこと、しないから」



 何を言っても、この状況では地獄だ。織斗は頭を抱えてうずくまってしまった。



(お母さん、何てこと言ってくれるんだ。ほんと、やめてくれよな。俺を殺すつもりか)



「うん、分かってるよ。織斗君はそんなことしないって。私も、気にしていないから」



 優季奈の言葉を素直に喜んでいいのか、複雑な思いを抱える織斗だった。

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