第013話:プリンアラモードは幸せの象徴
「お母さん、織斗君たち遅いね。何かあったのかな」
待たされている
自分で食べたいと言っておきながら、なくてもいいから、ここで一緒にいてほしい。それが本心なのかもしれない。
「そうね、かなり遅いわね。お母さん、ちょっと見てくるから」
「優季奈ちゃん、遅くなってごめんね」
入ってくるなり頭を下げてくる織斗を見て、優季奈は口を
(もう、ずるいよ。何も言えなくなっちゃった)
「ほら、優季奈ちゃん、これだよね」
エコバッグから取り出したプリンアラモードを、どうだとばかりに見せてくる織斗を可愛いと想ってしまう。
「えっ、これって」
優季奈は差し出されたものを見て、すぐに気づいた。
「あれ、俺、間違ったのかな。でも、確かに」
織斗のあたふたした声に、優季奈は視線をプリンアラモードから慌てて織斗に戻す。
「あっ、違うの。ほら、ここに貼ってあるシールがね。下のコンビニじゃないよね」
「織斗君、わざわざ買いに行ってくれたんだ。だから、戻ってくるのが遅かったんだね」
一階のコンビニで棚中を探し回った織斗は、肝心のプリンアラモードを見つけられなかった。優季奈のためなら、恥ずかしいとか言っている場合ではない。勇気をもって店員にいろいろと聞いてみたのだ。
「店員さんが親切に教えてくれたんだ。歩いて五分ぐらいのところに人気のパ、パ、あれ、何だっけ」
「パティスリーよ。ケーキなどを販売している洋菓子店ね。覚えておきなさいね」
沙織の言葉に織斗は
「そう、それそれ、パティスリーだ。すっごく美味しそうなケーキがいっぱい並んでるんだ。でも、プリンアラモードはなくて、お母さんが」
三人の視線が、いっせいに沙織に注がれる。
「大したことではないのよ。事情を説明して、プリンアラモードを作ってもらえないか相談しただけなの。あのお店のパティシエール、女性の菓子職人さんね、とはたまたま知り合いだったから」
子供二人から尊敬の目を向けられて、いささか恥ずかしい思いをする沙織に、今度は美那子が礼を述べる。
「沙織さん、優季奈のためにそこまでしていただいて本当にすみません。ありがとうございます。もちろん、織斗君もね」
二人して首を横に振っている。大人らしい控え目な動作の沙織と、子供らしく大きな動きを見せる織斗、対照的な母と息子だ。
「あの、俺は、優季奈ちゃんが喜んでくれるのが一番なので。だから全然大丈夫です」
我ながら情けない言葉遣いだと思いつつも、織斗の素直な気持ちだった。
「優季奈ちゃん、誕生日おめでとう」
織斗は優季奈の小さな手の上にプリンアラモードをそっと乗せた。
パーティークラッカーの一つでも鳴らしたいところだ。たとえ持っていたとしても、病室内で鳴らすような非常識さはない。そんなことをやろうものなら、母親の雷が脳天直撃、真っ逆さまに落ちるのは言うまでもない。
「織斗君、嬉しいよ。私、こんなに楽しい誕生日は、初めて」
優季奈の唇から
(優季奈ちゃん、天使すぎる)
意図せず、身体が勝手に動き出す。
織斗は少しずつ優季奈に近づいていった。その首根っこを沙織が力任せに押さえつける。
「織斗、何をしようとしているの。まさかとは思うけど」
沙織がじっと見つめてくる。微笑みの裏側、そこに
(あ、これ、だめだ。一番恐ろしい時のお母さんだ)
「な、何もしません。そんな、優季奈ちゃんに」
正気に戻れば、絶対できるわけがない。危うく天使の吸引力に負けて、抱きしめたくなったなんて口が裂けても言えない。言えば間違いなく殺される。
「まあいいわ。そういうことにしておいてあげる。優季奈さん、プリンアラモードは気に入ってくれた」
沙織は尋ねてから、織斗に目配せだけで指示を出す。いつもの風向家のリビングルームと同様だ。織斗も慣れたもので、手際よく優季奈のベッド周辺を片づけると、小さなテーブルと椅子三脚を並べていく。
テーブルに残り三つのプリンアラモードを並べると、織斗はもう一つ、別の容器を取り出した。
「優季奈ちゃんのだけ特製だよ。お祝いのチョコをつけてもらったんだ」
その容器にはメッセージが書かれた板チョコが入っている。織斗は容器ごと優季奈の母に手渡した。
欲を言うなら、織斗自身が優季奈のプリンアラモードに飾りつけたい。そのためには、板チョコに直接手で触れなければならない。優季奈がいやがるかもしれないし、他人の織斗がするべきではない。だからこそ、美那子に預けたのだ。
「織斗君、私に渡してしまっていいの。優季奈なら気にしないと思うわよ」
どういった意味をこめて渡したか、美那子はしっかり理解してくれている。そのうえで尋ねてくれた。
織斗はいささか残念な気持ちを
「はい。俺なんかよりも、優季奈ちゃんのお母さんの方が安心できます。お願いします」
美那子は視線を織斗から沙織に移した。沙織が頷くと同時、優季奈がぽつりと
「私は、織斗君が乗せてくれてもよかった、かな」
「優季奈さん、今日はお母さんにお願いするわね。来年の優季奈さんの誕生日には、織斗にしっかり働いてもらうから」
途端に優季奈の顔が明るく輝く。
「来年の私の誕生日に。はい、今から楽しみにしています」
織斗が感謝と感激の眼差しを向けてきている。沙織はわずかに頷き返すだけだ。
「あとは飲み物ね。優季奈さんは何がお好きなの」
大人二人はコーヒー、お子様の織斗は炭酸飲料と決まっている。
「優季奈は、紅茶よね」
先に母親に答えられてむっとしたのか、優季奈はやや頬を膨らませて抗議する。
「もう、私が織斗君のお母さんに聞かれたんだから、お母さんが答えないでよ」
「あらあら、それはごめんなさいね。お母さんが悪かったわ。それで、紅茶でいいんでしょう」
美那子は苦笑を浮かべながらも、愛しい娘の豊かな表情変化を心から嬉しく思っている。
「お母さん、待合室まで飲み物を買いに行ってくるから、ここで待っていなさいね。沙織さん、織斗君、優季奈をよろしくお願いいたします」
「美那子さん、私も一緒に行ってよいでしょうか。お一人では大変でしょうし」
美那子と沙織、二人の母親が気を利かせてくれたのか、そろって出ていく。その寸前だ。
「織斗、優季奈さんに変なことをしたらだめよ。いいわね」
沙織がとんでもない言葉を落としていく。沙織からすれば、織斗を信じての言葉だ。
「な、な、何言ってるんだよ。そ、そんなこと、するわけないじゃないか」
思わず振り返った先、優季奈は頬を赤く染めながら、じっと織斗を見つめている。
「ご、誤解だよ。俺、絶対に優季奈ちゃんにそんなこと、しないから」
何を言っても、この状況では地獄だ。織斗は頭を抱えてうずくまってしまった。
(お母さん、何てこと言ってくれるんだ。ほんと、やめてくれよな。俺を殺すつもりか)
「うん、分かってるよ。織斗君はそんなことしないって。私も、気にしていないから」
優季奈の言葉を素直に喜んでいいのか、複雑な思いを抱える織斗だった。
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