第012話:誕生日祝いはスイーツ
沙織は、こちらを見ている優季奈と視線を合わせる。驚きの表情は気づかれないように、そっと仕舞いこむ。
(織斗が夢中になるのも
「優季奈さん、はじめまして。風向沙織です。織斗がいつもお邪魔してしまってごめんなさいね。迷惑をかけていませんか」
優しい目をしている。とても綺麗な人だ。優季奈が最初に抱いた沙織の印象だった。
何よりも一目見て気づいた。織斗が母親似であるという事実に。
「はじめまして、織斗君のお母さん。
微笑みながら頷いている沙織に、優季奈は心地よい温かさを感じていた。母の美那子とはまた異なる安堵感がある。
織斗のパーカーを羽織っている優季奈を見つめ、沙織は織斗に視線を移す。
「織斗、気が利くわね。でも窓が全開よ。閉めた方がいいわ。優季奈さんの身体にも影響するでしょう」
これが大人の洞察力とでもいうのか。優季奈が沙織と目を合わせたのは、ほんの数秒足らずだ。その時間で今の状況を的確に把握し、適切な言葉を発している。
(織斗君のお母さんって、すごいなあ。私もこんな素敵な大人になれるのかな)
「パーカーは、うん、ちょっとかっこつけすぎだけど。窓は、優季奈ちゃんが望んだから。ほら、お母さんも見てくれたらわかるよ」
沙織も、もちろん美那子も見なくてもわかるし、知っている。この季節、ここから見える景色がどういうものなのか。
沙織は視線を織斗、優季奈、そして美那子の順に動かしていった。優季奈、美那子の二人が大丈夫だと頷き返してくる。
「
優季奈の口からゆっくりと言葉が零れ落ちる。今しがた、織斗に語ったばかりの内容と変わりはない。
受け止め方は子供と大人とでは雲泥の差、とりわけ優季奈の母の美那子が受ける衝撃は計り知れなかった。
ベッド上の優季奈に色と匂いを与えられたのは、満開の神月代櫻だけだ。その事実を優季奈の口から聞かされて、美那子は打ちひしがれていた。
一瞬、時が止まったかのように誰も動かない。そこから最初に立ち直ったのは、やはり母の美那子だった。
美那子が思わず優季奈を強く抱きしめる。
沙織も同じ想いだ。美那子を差し置いて、自分が先んじるわけにはいかない。ここはぐっと
「ごめんね、優季奈。そんなに苦しんでいるのに、お母さん、気づいてあげられなくて。ごめんね」
母と娘が流す優しい涙を前にしては、もはや言葉など不要だ。沙織に促されるまでもなく、織斗は無意識のうちに母親の
「こら、あまりじろじろと見ないの。こういうところも気を利かせなさい」
あまりに凝視していたのだろう。小声で
織斗は織斗で、目が離せないんだから仕方がないじゃないか、と思いつつ、当然言い返そうなどとは露ほども思わない。
「織斗、これからも優季奈さんの力になってあげるのよ」
力強く頷く織斗を見て、初めて頼もしさを感じる沙織だった。
(優季奈さんを見ていると、織斗でなくとも守ってあげたくなるわね)
「くれぐれも迷惑だけはかけないように」
念押しも忘れない。うんざりした織斗が沙織に聞こえないように文句を言っている。
「持ち上げるか、落とすか、どっちかにしてほしいよな」
耳聡い沙織が聞き逃すはずもない。それでも疑問形にしておく。ただし、少し低めの声で。
「何か言った」
何度も激しく首を横に振っている織斗を、いつの間に泣き止んだのか、優季奈が面白そうに眺めている。美那子も人前で泣いたのが恥ずかしかったのか、遠慮がちに沙織に向かって頭を下げてくる。
「織斗君、何をしているの」
わずかに目を
「織斗、四月になったら優季奈さんの誕生日と言っていたわね。いつなの」
織斗は返答に詰まってしまう。聞こう、聞こうと思っていながら、迂闊にも後回しになっていたのだ。援護は思いがけず、優季奈から来た。
「ごめんね。私、まだ言ってなかったね。実はね、今日なの。誕生日は毎年、病院のベッドだから。あまり言いたくなかったの」
絶句したまま動けない織斗、対照的に沙織は駆け寄ると優季奈を優しく抱きしめる。美那子の後なのだ。これぐらいは許してもらえるるだろう。もちろん、美那子への謝罪は忘れない。
「優季奈さん、そんなことを言わないで。優季奈さんにはご両親がいらっしゃる。それに、これからは織斗も私も一緒だから、ね」
沙織の行動を直視して、織斗はただただ
「優季奈さんに誕生日ケーキと言いたいところだけど、今すぐ用意できるとすれば、コンビニスイーツぐらいしかないわね。食べたいものがあったら言ってみて」
甘いものは大好きだ。優季奈は恥ずかしそうに、小さな声で答える。
「プリンが、食べたいです」
何て愛らしいのだろう。自分に娘がいたら、こんな感じなのだろうか。沙織は今一度抱きしめたくなるところを我慢して、優季奈からそっと離れる。
「美那子さん、優季奈さんを抱きしめてしまってごめんなさい。あまりに可愛らしくて。それから、プリンはよろしいでしょうか。大丈夫なら、すぐにでも織斗に買いにいかせますので」
どちらも許すとか許さないとかの問題ではない。美那子は優季奈を想ってくれる沙織と織斗の気持ちが何よりも嬉しかった。嬉しさのあまり、涙が
沙織は早速財布から一万円札を抜き出すと、織斗に手渡す。
「一階にコンビニがあったわね。それでプリンを買ってきなさい。優季奈さんの誕生日のお祝いよ。わかっているわね」
沙織の目が怖い。圧力が半端ない。
プリンはわかる。コンビニの棚に並んでることぐらい知っている。種類はどうか。色々なプリンがある。値段もピンキリだ。その中から、優季奈の誕生日祝いにふさわしいものを買ってきなさい。沙織は言外にそう告げている。
(プリンなら何でもいいじゃないか。でも、優季奈ちゃんの誕生日祝いなんだよな。もし、買ってきたものを見て、優季奈ちゃんががっかりしたら。俺、確実に死にたくなる)
さすがに無頓着な織斗を気の毒に思ったのか。沙織が少しだけ助け舟を出してくれる。
「優季奈さん、それほど種類も多くないでしょうけど、どんなプリンがお好きなの」
少し考え込む優季奈の仕草がまた可愛らしい。織斗は期待をこめた目で優季奈を見ている。
「我がまま、言っていいですか」
沙織が答える前に織斗が先んじて言葉を発していた。
「言って、言って。優季奈ちゃんの一番好きなプリン、すぐに買ってくるから」
調子よく、言ってくれなければ困るとばかりに食いつく。そんな織斗を見る目がいかにも対照的だ。母の沙織は
「あのね、プリンはプリンでも、プリンアラモードが好きなの。ここで一緒に食べられたら嬉しいな」
優季奈の言葉を聞くなり、織斗は猛ダッシュで病室を出て行ってしまった。
「あっ、織斗君、って、行っちゃった」
止める暇もなく、だった。
優季奈は母の美那子に視線を向けて尋ねる。それよりも先に美那子が口を開いていた。
「優季奈、覚えていたの」
優季奈は小さく首を縦に振る。沙織は訳がわからなまま、優季奈と美那子の顔を交互に見つめている。
「病院以外で迎えられた唯一のこの子の誕生日です。お店のショーケースに飾られていたプリンアラモードをこの子がとても気に入って、それを親子三人で食べたんです」
美那子も、事情を教えられた沙織もしんみりしてしまっている。優季奈だけが照れたような笑みをわずかに見せていた。
「ねえ、お母さん。下のコンビニって、プリンアラモード、売ってなかったよね」
美那子が、さあ、そんなこと知らないわよ、とばかりにお手上げの姿勢を取っている。
優季奈も、そうだよね、といった表情を浮かべてから、今度は沙織に視線を転じた。
「優季奈さん、美那子さん、ごめんなさいね、あんな息子で。少し心配になってきたので私も見に行ってきますね」
二人に向けて一礼をした後、沙織もまた慌ただしく病室から出て行く。
「いい言葉が思いつかないけど」
途中で言葉を切った母を不思議に思ったのか、優季奈は沙織が出て行った扉から母に視線を戻した。それを感じ取ったのか、美那子が続ける。
「織斗君と沙織さん、素敵な親子ね」
優季奈も全くの同感だった。
「うん」
素直な言葉が口から
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