第052話:プリンアラモードと女心

 双葉ふたばの大人としての視線が汐音しおん織斗おりと綾乃あやの優季奈ゆきなの順番で動いていく。


 何かを察したのだろう。双葉は面白そうにうなづくと、おもむろに言葉を発した。



「あなたたち四人、とても複雑なのね。お姉さん、心配になってきたわ。これはどうしたものかな。そう、特にあなたね。綾乃ちゃん、はだめだったわね。じゃあ綾乃さん、あなたよ」



 さすがに双葉はフランス育ちだ。綾乃を指差すような失礼な真似はしない。その代わり、即座に行動に移した。綾乃の細い腰に優しく右腕を回す。



「しばらく借りるわね。綾乃さん、私についていらっしゃいな」



 有無を言わせない。綾乃に至っては、ついていくも何も、ほぼ強制連行状態だ。双葉の唐突な行動に織斗たち三人は呆気に取られている。


 綾乃が、助けてよとばかりに懇願のまなこを向けてくるものの、時すでに遅しだ。双葉は我関せずとばかりに綾乃を連れて、店内奥へと三度みたび消えていった。



「ね、ねえ、真泉まいずみ君、綾乃ちゃんが連れていかれたよ。大丈夫なの」



 心配そうに尋ねてくる優季奈に対し、汐音は答えるよりも先に着席を促す。



(綾乃ちゃんがいなくなっちゃったから、私が織斗君の隣でもいいよね)



 "Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"に入店する直前のこと、綾乃と相談のうえ、今日は織斗の横に綾乃、汐音の横に優季奈という並びにしようと決めていた。四人そろって話し合いたいことがあったからだった。



 優季奈が座ったことを確認してから汐音が口を開く。



「心配は要らないよ。ああ見えて、姉さんはフランスでも名の知れた優秀な心理カウンセラーなんだ。鷹科たかしなさんの心に潜む悩みを感じ取ったんだろうな。姉さん、洞察力は抜群だから」



 汐音に釣られたのか、織斗も優季奈も同じようにため息をついている。



「それにしても、俺たちがここにいるってよくわかったね」



 頷きながら優季奈が答える。



「綾乃ちゃんが言ったの。男同士、重要な話をしているはずだから、このお店を選んでいるに違いないって。私たちも合流して話をしましょうって」



 織斗は無論、汐音でさえ驚きの表情を浮かべている。確かに、汐音は綾乃に行きつけの店として"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"を紹介している。それだけのことで二人の居場所を突き止めてしまうとは、さすがに汐音も読めなかった。



「鷹科さん、さすがだね。それで合流して話をって、何か相談事でもあるのかな」



 織斗が優季奈に尋ねかける。優季奈は首を横に振って応じる。



「綾乃ちゃん、何か心配事があるみたい。でも、その綾乃ちゃんが連れて行かれちゃったから」



 織斗は頷くと、視線を汐音に向けて、心当たりがあるか目で問いかけてみた。



「鷹科さんが考えるとすれば、今後の俺たちの関係じゃないかな。ほら、これまでは三人だったけど、鞍崎くらさきさんが加わることで四人になるわけだから」



 汐音と織斗の視線が優季奈に注がれる。優季奈はただただ驚くばかりだ。


 優季奈にとっての一番は織斗だ。織斗と過ごせるなら他の何も要らない。自分が消えるまでおよそ十一ヶ月、十八歳として歩む普通の人生など要らないとさえ想っている。


 それに何よりも三人の関係を壊すつもりもなければ、自分がその輪の中に入ってよいとも考えていない。



(私は普通の高校三年生とは違う。だから普通の人生を送れるとは想っていないし、送ろうとも想っていないの。私は織斗君の隣にいられるだけで幸せだから)



 あの話をして以来、綾乃は何かと力になってくれているし、そばにもいてくれる。その行為自体は嬉しいし、心から感謝している。



(でも、綾乃ちゃん自身はすごく無理をしているのがわかる。私、きっと綾乃ちゃんに甘えてしまっている)



 優季奈が葛藤している。織斗は優季奈がじっくり考えられるように気をつかったのだろう。



「洞察力か。双葉さんのように鷹科さんも優れているんだろうね。それに汐音がこのお店によく来ている理由がわかったよ。本当にいいお姉さんじゃないか。とても美しい人だし」



 汐音が慌てている。余計なひと言を、といった表情だ。優季奈もまた別の意味で同様だった。葛藤も吹き飛び、織斗の横顔を凝視している。



「織斗君は」



 名前を呼ばれた織斗が優季奈と目を合わせる。



(えっ、優季奈ちゃん、いったいどういうことなんだ)



 優季奈は笑みを見せているものの、その表情の奥に別の感情が潜んでいる。幼い頃から感情を読み取るのが得意な優季奈だ。ならば、きっと上手く隠すこともできるだろう。それをしないということは、よほど思い詰めているのだろうか。



「双葉さんのような大人の女性が好きなのかな。どうせ私なんて、お子ちゃまだから」



 言葉にすることで、奥に隠れていた感情がはっきりと表面に出てくる。



「えっ」



 さすがに思わず声を上げてしまった。驚くあまり、織斗もまた優季奈を凝視せざるを得ない。しばし見つめ合う二人をよそに、汐音が先ほどまでとは一転、軽やかな声を出した。



「織斗、よかったな。鞍崎さんが焼き餅を焼いてくれて。男冥利に尽きるじゃないか」



 見つめ合っていた二人の視線が途端に外れ、同時に汐音に注がれる。


 優季奈が真っ先に抗議してくる。



「私、焼き餅なんか焼いてないから。それに、同じお子ちゃまの真泉君に言われたくないよ」



 織斗は、頬を膨らませて文句を言う優季奈が可愛くて仕方がない。


 織斗にとっての天使は、いったいあと何度こういった表情を見せてくれるのだろうか。それを考えると、たまらなく辛くなってくる。



「誰がお子ちゃまだよ。俺は立派な大人だぞ。そもそも、鞍崎さんが」


「綾乃ちゃんが言ってたもの。コーヒーも紅茶も、お砂糖なしで飲めない真泉君はお子ちゃまだって」



 さながら、子供同士の喧嘩の様相をていしている。そんな二人の予想外の展開を織斗は楽しげに眺めている。



「それにお姉さんたちに囲まれて鼻の下を伸ばしてたでしょ。しっかり見てたんだからね」



 このひと言で汐音も織斗も表情が激変してしまう。



「ちょ、ちょっと待って、鞍崎さん。えっ、見ていたって、本当に、じゃあ鷹科さんも」



 綾乃と優季奈はちょうど"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"を視認できるところまで近寄っていた。何よりも織斗と汐音の座った場所が悪かった。テーブル横の大きな窓は外から丸見え状態なのだ。



「もちろんだよ。綾乃ちゃん、あきれ果てていたよ。そのあと、ちょっと不機嫌になって大変だったんだからね」



 言われて初めて気づく。確かに綾乃がここに来て発した第一声にはいささかの怒りが含まれていた。


 汐音はやってしまったという顔を浮かべながら、弁解の余地なしの状況ではいかんともしがたい。



「もう、織斗君もだよ」



 頬を膨らませて優季奈がにらんでくる。それさえも織斗にしてみれば可愛い。そんなことだから弁解しようとするも咄嗟とっさに言葉が出てこなかった。



 優季奈が身体ごと織斗の方にひねって、わずかに顔を近づけてくる。その拍子につややかな真っすぐの黒髪がふわりと揺られ、かすかに香り立つ。



「この香り、あの時の」



 忘れもしない。忘れたくても、決して忘れられなかった。織斗は記憶という名の引き出しから一つの扉を開き、大切に仕舞っていた香りを奥底から取り出す。



「えっ、香りって、ど、どうしたの」



 香りなど感じない優季奈が慌てふためいている。それも仕方がないだろう。織斗の左手が伸びてきている。あとほんの少しで優季奈に触れるほどの距離だ。



「お、織斗君」



 優季奈は動けない。むしろ動かないといった方が正しいのかもしれない。



(わ、私、このまま)



 名前を呼ばれたことで我に返ったのか。織斗は無意識のうちに伸ばしていた左手を素早く引っ込めた。



 表情だけはころころ変わりながら、無反応を決めこむ優季奈とは対照的に、汐音は盛大なため息をつくと、たまらず言葉をもららした。



「このへたれが」



 織斗がすかさず反応、言い返そうとしたものの、まさに汐音が指摘したとおりだ。本心では優季奈に触れたい。触れたくてたまらない。抱きしめたまま、ずっと離したくない。それぐらい強く想っている。



(でも、だめなんだ。触れたら折れてしまいそうで。だから、ある意味、へたれでよかったんだ)



 言い訳がましく自分自身を納得させながらも、どうしてかはわからない。織斗の直感がそう告げてくる。恐らくは、この香りこそが鍵となっているのだろう。織斗がわざわざ記憶の奥底に仕舞いこんでいたほどなのだ。



(この香りの正体さえわかれば、あるいは優季奈ちゃんの)



 一人じっと考えこんでいる織斗を心配したのだろう。汐音が声をかけてくる。



「織斗、大丈夫なのか。今日のお前、ちょっと変だぞ。せっかく可愛いさ、ごめん、鞍崎くらさきさんが横にいるんだ」



 ようやく優季奈から反応が返ってくる。心なしか喜んでいるように見える。やはり、可愛いという言葉は殺し文句なのかもしれない。そんな優季奈を眺めながら、汐音は今こそ、とばかりにけしかける。



「よし、いいことを思いついたぞ。織斗、ほら」



 悪い予感がする。織斗は汐音が指差すものを見つめた。



「どうしたらいいか、わかってるよな。幸いなことに今は鷹科さんもいない。絶好の機会だろ。違うか」



 優季奈は二人の会話についていけない。汐音と織斗を何度も交互に見つめ、これから何が起きるのか不安な気持ちでいっぱいになっている。



「ねえ、真泉君、織斗君に何をさせるつもりなの」


「鞍崎さん、織斗の目の前にあるもの、何かわかるよな」



 見間違えるはずもない。優季奈にとって、プリンアラモードは幸せを象徴するものに他ならない。何よりも十四歳の誕生日は絶対に忘れられない記憶となって、しっかり心の中に刻まれている。



「鞍崎さん、好きなんだろ」


「へっ」



 汐音の唐突な言葉に思わず間の抜けた声が優季奈の唇から漏れる。



「プリンアラモード、好きなんだろ」



 ちょっとした勘違いは誰にでもよくあることだ。優季奈は恥ずかしそうにわずかに頬を染め、小声で答える。



「あっ、うん、プリンアラモード、大好きだよ」


「織斗にとっても、プリンアラモードは本当に大切な想い出なんだそうだ。ということで、二人には俺から最高のアドバイスをしてやるよ」



 ますます悪い予感しかしない。織斗が口を開こうとするよりも先、そうはさせまいと汐音がすかさず言葉を発した。



「ほら、一目瞭然いちもくりょうぜん、明らかにカップル仕様だ。プリンが二つ仲よく寄り添うように乗っている。姉さんがどうしてこれを持ってきたのかはわからないけど。まあ、あの姉さんのことだし」



 苦笑を浮かべながら汐音は両手の人差し指をそれぞれ織斗、優季奈に向けて、ここぞとばかりに二人をけしかける。



「そこでだ。織斗、そのスプーンを使って鞍崎さんに食べさせてやれよ。二人にとっての幸せの象徴なんだろ」



 汐音はわざわざ自分のスプーンを手に、見本とばかりにプリンをすくって、それを食べさせる真似までしてくる。



「汐音、お前、完全に楽しんでいるな。それに何を言ってるんだよ。そんなのゆ、ごめん、鞍崎さんがいやがるに決まってるだろ。そうだよね、鞍」



 汐音と同じ間違いをしかけて謝るものの、織斗の言葉は途中で切れてしまう。優季奈の表情が何とも言えないほどの複雑さにいろどられていたからだ。



 またも汐音がため息を漏らしている。



「おいおい、織斗君よ、女心を全て理解しろなんて言わないけどな。鞍崎さんにこんな顔をさせたらだめだろ」

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