第051話:特別メニューに寄せる想い
そこへ
「男二人、どうしたの。随分としんみりしているわね。失恋でもした」
あっけらかんと言葉にする双葉に、
「それが汐音のいつものですか」
さすがに想像を上回っていた。双葉は笑顔で
「双葉お姉さん特製愛情満載"
汐音にとっては、どんな拷問だよ、になっているに違いない。気の毒に、という織斗の想いは見事に裏切られる。
「これ、いつも以上にフルーツ満載じゃないか」
文句ではなく、子供のように喜んでいる汐音が意外に可愛く見える。そのせいか、周囲の熱視線がさらに威力を増している。そして、その視線の熱さは織斗の前にプリンアラモードが置かれた瞬間に最高潮を迎える。
「織斗君にも。はい、双葉お姉さん"
実に流暢なフランス語が聞こえてきたのはどういうことだろうか。その疑問は汐音が解決してくれた。
「双葉姉さんはフランス生まれのフランス育ち、完璧なネイティブだよ。店名の"
"
「ええ、そのとおりよ。ここはそのような場所じゃないでしょ。誰も気にしないわ。それから」
汐音の発音に全く納得できない双葉は、ちっちっとばかりに人差し指を振ると、"
「とても美しい響きですね。店名の方はどういう意味なのですか」
「あっ、織斗、お前」
汐音の制止は間に合わず、双葉が待ってましたとばかりに食いつくと、織斗の横に堂々と腰を下ろしてしまった。
えっ、このお店、これで大丈夫なの、とは口が裂けても言えない。織斗は苦笑を浮かべ、汐音は頭を抱えてしまっている。汐音の顔には、俺は知らないからな、とはっきり書いてある。
双葉が座ったことが合図だったかのように、数人の二十代と思しき女性陣がスマートフォン片手に集まってくる。
「双葉さん、写真撮らせてもらっていいですか。そちらの格好いいお兄さんたちと一緒に」
またも汐音の制止は間に合わず、双葉が早々に許可を出してしまう。もちろん、二人には無断でだ。
「おい、こら、俺たちの意思は無視なのか」
(というか、お兄さんって、俺たち、確実にあなたたちより年下なんですが)
「汐音君、このカフェを維持するためにどれだけのコストがかかっているか知っているかな。少しは宣伝に協力してくれてもいいでしょ。いつも無料で食べさせてあげているんだから、ね」
双葉は汐音に向かって、これ見よがしな笑みを浮かべている。
「おい、汐音」
織斗の突っ込みも全く効果はなかった。汐音はもはや抵抗を諦めている。大人の女性たる双葉の首を
その間にも女性陣はスマートフォン片手に、二人のフルーツパフェとプリンアラモードを自在に動かして構図を決め、写真を何枚も撮っている。そのうち織斗と汐音もしっかり被写体にされてしまっていた。
「格好いい」「可愛い」などと黄色い声が聞こえてくる。織斗にも汐音にも単なる雑音でしかない。終いには「はい、もっと笑って」とか「視線を窓の方に向けてください」などと厚かましい注文まで飛び出す始末だ。
織斗も汐音も「これ、俺たちの個人情報は」などと口にするものの、双葉の微笑み一つで完全に打ち消されてしまっている。被写体になって満更でもないなと少しばかりは想いつつも、二人は一刻も早く終わってくれ、と祈るのみだった。
汐音が余計なひと言をぶつけてくる。
「織斗、こんなところを彼女に見られたら大変なことになりそうだな」
この状況でも楽しみを忘れない汐音だった。
「お店の紹介も忘れずよろしくね。それから、二人のプライバシーにはくれぐれも配慮してね。頼んだわよ」
かれこれ五分程度で女性陣は満足したのだろう。双葉の言葉に大きく頷くと、いっせいに波が引くかのごとく退散していった。
この数時間後、女性陣が思い思いに撮影した写真がSNSで爆発的に拡散するなど、今の織斗にも汐音にも知る
「はい、汐音君も織斗君もお疲れ様でした。存分に味わってね。食べ終わったら、コーヒーをご馳走してあげる」
ようやく立ち上がった双葉が最上の笑みを浮かべ、再び店内奥へと消えていく。
「なあ、汐音、双葉さんって、いつもあんな感じなのか」
ぐったりしている汐音が小さく首を縦に振って肯定する。
「もうこの話はよそう。織斗、食べようぜ。ところで、そのラブラブプリンアラモードだったか。それこそ
スプーンを手にした織斗の動きが一瞬止まってしまった。
双葉がラブラブと銘打つだけあって、たっぷりのフルーツと生クリームに加え、中央にプリン二つが仲よく横並びで乗っている。
どこからどう見てもカップル仕様のメニューなのだ。双葉がどういう意図でこれを持ってきたかはわからないものの、まさに汐音の指摘どおりだった。
「プリンアラモードは、俺にとって本当に大切な想い出なんだ。
汐音は織斗にかけるべき言葉が見つからなかった。
お互いに無言で目の前のフルーツパフェとプリンアラモードを味わう。感傷に浸っているせいだろう。本来ならもっと美味しいはずなのに、なぜかあまり味が感じられない。思った以上にスプーンを持つ手も動かない。
「汐音、さっき俺に話してくれたことだけど、
食べるのを
「鷹科さんには黙っておくつもりだ。余計なことを言って、受験の妨げにでもなったらたまらないしな」
汐音の目が泳いでいる。こういう時の汐音は十中八九、言葉と裏腹のことを考えている。長年のつき合いだ。それぐらいわかる。それに何より織斗には気になることがある。
「汐音、本気で言っているのか。他の誰でもない、鷹科さんなんだぞ。俺の言いたいこと、汐音ならわかるよな」
織斗の言葉が少しばかり荒々しくなっている。直接言葉にはしないものの、汐音の気持ちは理解しているつもりだ。
「織斗、十分すぎるぐらいわかっているよ。鷹科さんの気持ちが誰に向いているか、その相手の気持ちが誰に向いているのかもな。そのうえで、俺は卒業するまで今のこの関係を壊したくないんだ」
真っすぐに見つめてくる。目の泳ぎは一切ない。真剣そのものだ。
「汐音」
織斗には名前を口にするのが精一杯だった。しばらくの沈黙、二人とも既に食べるという行為自体を放棄している。
「鷹科さんとは」
汐音がようやく口を開いたその時だ。
「私とは何、私がどうかしたの」
織斗は汐音に、汐音は織斗に集中していたあまり、全く気づかなかった。二人が座る窓際テーブルのすぐ
「鷹科さん、それに佐」
佐倉と口にしようとしたところで織斗が厳しく制した。
「汐音」
店内には多くの人がいる。この場ではまずい。織斗はすかさず手話で短く【くらさき】とだけ表現した。どうやら汐音にしっかり伝わったようだ。慌てて、わざとらしく咳払いをしてから言い直す。
「
「ありがとう、
質問に答える前に優季奈が二人の目の前のものを指差し、綾乃もまた不思議そうに見下ろしている。
テーブルに置かれているフルーツパフェとプリンアラモードが何とも微妙な欠け方をしていて、それがいっそう
「あら、彼女さんたちと待ち合わせだったのね。汐音君も織斗君も隅に置けないわね」
優季奈と綾乃の背後から、まるで見計らっていたかのように双葉が声をかけてくる。汐音と織斗にしてみれば助かったといったところか。
いきなり声をかけられた綾乃と優季奈が驚いて振り返る。目の前に立つ女性を見て、さらにその色を濃くするばかりだ。
「こんにちは、お嬢さんたち。ようこそ、"
優季奈も綾乃も、同性ということを忘れてすっかり
「私はここのオーナーで真泉双葉よ。彼女さんたちのお名前は」
二人とも
「なあに、汐音君、そのいやそうな顔は」
双葉の指摘どおりだ。汐音は心底いやそうな顔で大きくため息をついている。
「あの、真泉って、真泉君の親戚の方なのでしょうか」
「ええ、そうよ。汐音君は私の義弟なの。ところで、あなたは」
綾乃は自己紹介が遅れたことを
「失礼しました。私は鷹科綾乃です。真泉君、
優季奈に視線を送ると同時、目力をもって佐倉と名乗ってはだめよ、と訴えかける。優季奈も承知したとばかりに頷いてみせた。
「はじめまして。
まずは無事に切り抜けられたようだ。
「そう、綾乃ちゃんに凪柚ちゃんね。素敵な名前ね。ところで、どちらがどちらの彼女さんなの」
興味津々の双葉に汐音がきつめの言葉を返す。
「姉さん、いいかげんにしろよな。俺たち四人はそういう関係じゃないんだ。それに、鷹科さんは綾乃ちゃんって呼ばれるのをきらっているからさ」
今度は双葉が不思議な顔を浮かべる番だった。
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