第091話:新たに命を繋ぐための条件

櫻姫さくらひめ聡明そうめいだったようね。想い人の男の名は伝わっていないものの、二人は心の底から愛し合っていた。風向かざむかいさん、あなたの推察どおりよ。櫻姫は延命方法を探し求めて、当時の朔玖良さくら神社宮司ぐうじを訪ねてきたの」



 佳那葉かなはは的を絞って要点だけを語っている。路川季堯みちかわすえたかによる口伝くでんはさらに詳細だ。


 今の二人には本当に知りたい、聞きたいことだけで足りている。つまびらかにする必要性もない。



「当時の宮司は、これもお二人が推察したとおりね。神月代櫻じんげつだいざくらを通して、早宮埜さくやから櫻姫のおとないを聞かされていた。夢でも見たのだろうと信じていなかったようだけど、現実のものとなって相当に驚いたみたいね」



 苦笑を浮かべている佳那葉の向こう側に、当時の宮司の姿が透けて見える。驚く気持ちがよくわかるというものだ。



「やはり早宮埜さんが教えていたんですね。佳那葉さんも早宮埜さんの声を聞かれたのですか」



 優季奈ゆきなの問いに、今度は佳那葉も即座に応える。



「そうよ。優季奈さんの訪いは早宮埜から聞かされていたわ。私も初めてのことで信じられなかったもの。でも、こうして優季奈さんがやって来た。しかも想い人と一緒にね。そろってける者というのも納得だわ」



 沙希さきから優季奈の特徴を聞かされていた佳那葉は、恐らく聞いておらずとも、一目見た瞬間に優季奈だとわかっただろう。



 織斗おりとと優季奈は一様に首をかしげている。佳那葉が口にした言葉の意味が分からない。


 顔を見合わせて無言で意思疎通を図る。こういった時、尋ねるのは織斗の役目だ。



「佳那葉さん、享ける者とは何を意味するのでしょうか」



 漢字から想像はできても、具体的な意味合いまではわからない。



「優季奈さん、あなたは木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様から生を享けた、文字どおり享ける者よ」



 優季奈については素直に納得できる。異論もない。間違いなく神月代櫻から、木花之佐久夜毘売から生を与えられた存在だ。


 佳那葉の言葉が続く。



「風向さん、あなたもまた木花之佐久夜毘売様から恩寵おんちょうを享ける者なの。あなたの過去にまつわることよ。だからこそ、あなたは神月代櫻の結界内、すなわち幽世かくりよの領域に入ることができた」



 想い出すまでもない。織斗には神月代櫻の結界内に入った記憶がはっきりと残っている。当時は神月代櫻の隠された秘密はもちろんのこと、結界の存在など知るよしもなかった。



「優季奈ちゃんに贈ったヘアクリップアクセサリーを神月代櫻の根元に埋めた時ですね」



 優季奈が息をみ、想わず両手で口を押さえている。優季奈は木花之佐久夜毘売の力によって幽世を渡り、現世うつしよへと戻ってきた存在だ。だからこそ幽世が何たるかを知っている。



「織斗君、神月代櫻の結界内、幽世に入ったって本当なの」



 恐ろしいものでも見るような目をしている優季奈に、織斗は小さくうなづき返す。



「優季奈ちゃんが髪にしているヘアクリップを優季奈ちゃんが愛した神月代櫻のそばに埋める。それしか考えていなかったんだ。それに当時は何も知らなかったから」



 優季奈にはわかる。幽世に存在できるのは死者のみだ。生者が足を踏み入れてよい場所ではない。仮に生者が幽世に入れば、その時点で命を失うだろう。


 織斗はどうして生きているのだろうか。優季奈にはわからない。恐ろしくて想像もできない。



 助け舟を出してくれたのは佳那葉だった。



「優季奈さん、言ったでしょう。風向さんもまたける者だと。木花之佐久夜毘売様の恩寵が彼を守っていたのよ」



 佳那葉の言葉とはいえ、にわかに信じがたい。優季奈は弱々しく首を横に振りながら問い返す。



「で、でも、どうして織斗君が木花之佐久夜毘売様の恩寵を享けているのですか」



 織斗も優季奈同様に神月代櫻との接点を持っている。まだ幼かった頃だ。当然ながら、織斗には当時の記憶が全くない。想い出せるのは、ここに来たことがあるという事実のみだ。



「結界内に入っていく風向さんを沙希は止めなかった。路川家の者として、本来は止めなければならなかった。でも、正確に言うなら、沙希は止められなかったの」



 それは沙希の意思を制するほどの力が結界内で働いていたということにほかならない。



顕現けんげんしてやるといい。そのための印を先ほど打っておいた。心臓の真上だ。そなたなら、できるであろう≫



 初代こと路川季堯すえたかが最初に享ける者だと口にした際、佳那葉は気づけなかった。それほどまでに巧妙に隠されている。


 いつの世も、木花之佐久夜毘売の恩寵を享ける者はただ一人と決まっている。それもまた女神の摂理せつりであり、時を同じくして複数の者に恩寵を与えるなど、過去に一度たりともなかった。



 優季奈と織斗、この二人に関しては例外に次ぐ例外が続いている。



≪初代様、木花之佐久夜毘売様の意図はどこにあるのでしょうか。そして、この二人に何をさせたいのでしょうか≫



 季堯はわずかに逡巡しゅんじゅん、すぐさま黒猫を通してかぶりを振る。



≪さあな。女神のご意思がどこにあるかなど、凡庸ぼんような我らにわかるはずもあるまい≫



 そこまで言われると、実もふたもないというのが正直なところだ。


 佳那葉は納得できないものの、納得するしかない。もう少し踏みこんだところまで知れたらと想わなくもない。


 それが二人の試練にきっと役立つだろうから。



≪やむを得ないのですね。神々のなさることですものね≫



「風向さん、こちらへ。あなたにもあるのよ。木花之佐久夜毘売様がつけられた証が」



 佳那葉が断定する。


 優季奈は自らの心臓の上に両手を重ね、織斗の心臓部分に視線をゆっくりと移す。



(もしかして、織斗君の心臓にも私と同じような)



 沙希にはえずとも、佳那葉の目には結界内へと入っていく織斗の全身が櫻色に包まれているのがおぼろげながらに視えていた。


 いかなる理由があって、織斗に木花之佐久夜毘売が恩寵を授けたのか、佳那葉でもわからない。まずは証を具現化してからだ。



「私にそのような証が。じっくりと自分の身体を眺めたことなどありませんが、証ははっきり見えるものなのでしょうか」



 佳那葉が首を横に振っている。



「風向さんの場合は、優季奈さんと違って少しばかり特殊ね。木花之佐久夜毘売様のご意思は私などにはわからないものの、ゆえあって恩寵を授けられた。その証は巧妙に隠されているの」



 手招きする佳那葉に向かって、織斗は素直に応じる。優季奈はその場に留まったままだ。優季奈なりの配慮といったところだろう。


 一緒に来るものとばかりに想っていた織斗はいったん足を止め、不思議そうに振り返る。



「私はここにいるから。織斗君だけ佳那葉さんに見てもらってね」



 なぜか恥ずかしそうにしている優季奈が何ともいじらしい。織斗は頷き返すと、再び歩を進めて佳那葉の傍まで近寄っていった。



 優季奈の時と同様、佳那葉は右手の人差し指と中指を重ねて剣とす。



「風向さん、心臓部分が見えるようにシャツをまくり上げて」



 織斗はここでようやく合点がいった。優季奈が一緒に来なかった理由だ。



(優季奈ちゃん、俺のこんな姿、見たくないよね。でも、それはそれでちょっとなあ。あれ、ということは優季奈ちゃんも同じことを)



 想像してはだめだ。そうは想うものの、織斗も欲望には勝てない。脳裏にまざまざと優季奈の姿が浮かび上がっている。



(煩悩ぼんのう退散、煩悩退散、煩悩退散)



 三度も繰り返せば大丈夫だろう。いや、それは甘い。背後から優季奈の声が飛んでくる。



「織斗君、何を想像しているのかな」



 慌てて振り返る織斗の目が明らかに泳いでいる。



「い、いや、何でもないよ。うん、優季奈ちゃん、何でもないから」



 全てお見通しと言わんばかりに笑みを絶やさない優季奈がかえって恐ろしい。



「佳那葉さん、お願いします」



 ここは誤魔化ごまかすに限る。織斗は締まらない笑みとともに優季奈から視線を外すと、すかさず佳那葉の前でシャツをまくり上げる。



「あなたたち、本当に仲がいいわね。若さ故の特権かしらね」



 織斗は照れ隠しもあったのだろう。いささかぶっきらぼうな口調で応える。



「優季奈ちゃんを二度と悲しませたくないですから」



 佳那葉が何度も頷いている。



「早速始めましょうか。そのまま動かないで」



 心臓の真上に剣と成した二本の指を留め置く。これもまた優季奈の時と同じく、左手も同様の剣を作り、自身の唇に添えた。



かいけん



 織斗の心臓が小さくねる。


 されたものがあらわになろうとしている。そこに不快感はない。少しばかり熱を帯びているのか、佳那葉が手を添えた部分を中心に温かさが広がっていく。



「ご覧なさい」



 佳那葉が剣と成した右手を静かに離し、代わって左手に持った円鏡えんきょうを心臓に向けてくれる。



「私の身体にこのようなものが」



 淡桃色たんとうしょくに染まった五枚花弁の花びらが心臓の真上に浮かび上がっている。織斗は信じられない想いで凝視している。



「それこそが木花之佐久夜毘売様の刻まれた証よ。間違いなく、あなたも優季奈さんと同じく、享ける者なの」



 織斗の問いに佳那葉は力なく首を横に振るだけだ。


 なぜ織斗が木花之佐久夜毘売の恩寵を享けられたのか、それは直接聞いてもらうしかない。



「優季奈さんもこちらへ。享ける者として資格を有する二人に、櫻姫に当時の宮司が語ったことを教えるわ」




 そこからおよそ一時間にわたって、宮司が櫻姫に教えたように、佳那葉は優季奈と織斗に寿命が尽きた後、さらに延命できるか否かの真実を伝えた。



 結論から言えば、できるであり、できないでもある。あまりに酷い内容でもあった。



 櫻姫は絶望しかいだかず、聞き終えるや泣き崩れたと言われている。



 条件は十もあり、そのいずれもが厳しすぎるのだ。




 一つ、与えられた一年の寿命が尽きる前に幽世に下ること


 一つ、幽世に下る際には想い人と共にあること


 一つ、想い人は現世の者であり幽世に下るための条件を備えること


 一つ、幽世に下ったからといって必ずしも願いが聞き届けられるとは限らないこと


 一つ、幽世の摂理に従うこと


 一つ、幽世から無事に現世に戻れたとして一年の寿命が全うできない時は無効になること


 一つ、互いの想いが途切れた時もまた無効になること


 一つ、一年の寿命を全うした後、再び寿命を得られるまでの時は知り得ないこと


 一つ、次なる延命は再び一年となること


 一つ、延命の一年は想い人の寿命と等価交換となること




 佳那葉のおごそかな語りが終わる。



 優季奈と織斗、二人はまさに対照的だった。


 優季奈は櫻姫同様、泣き崩れてしまっている。



「だめだよ。そんなの、絶対だめだよ」



 あふれる涙の中で、それしか言葉にできない。



 一方の織斗は即断即決、迷いも躊躇ためらいも一切見せない。優季奈と共に過ごす時間が、この先も手に入れられるなら、それを逃す手などない。



「佳那葉さん、私の一年で優季奈ちゃんの一年が交換できるなら何の問題もありません。幽世に下るための条件を教えてください」



 佳那葉に深々と頭を下げる織斗を、優季奈は涙にれる瞳でただ呆然ぼうぜんと見上げるだけだった。

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