第090話:櫻樹伝説のもう一つの顔
☆ ☆ ☆
満たされし月が天の頂きより降り注ぐ刻、櫻花咲き乱れ、厳かに舞い踊る。
月は雫をもちて櫻花を濡らし、影を光の下へと誘わん。
影となりし花びらが月の光に
散るは命の集いとなりて、今
☆ ☆ ☆
あまつさえ、
その全てを知る唯一が初代こと路川
誰彼構わずに伝えられるような内容ではない。身内だからといって、皆が信用できるわけでもない。
死者が生き返るなどと
佳那葉はそのお
「とても抽象的な内容でしょう。櫻守や
織斗も優季奈も落胆の色をはっきりと浮かべている。ぬか喜びになってしまったのだろうか。
櫻樹伝説によると、満月の輝く空の下、
佳那葉から聞かされた話は、ここまで二人で推論してきたことと変わりはない。本当に知りたいことは何一つわからないままだ。
「落胆するのはまだ早いわ。ごく限られた櫻守や宮司に口伝でのみ教えられる櫻樹伝説には、もう一つの顔が存在するの」
途端に二人の顔色が変わる。自然と互いに握る手に力が入る。
「真櫻樹伝説と呼ばれているわ。櫻樹伝説を知る櫻守や宮司でさえ、可能性なき者には教えられない。幸運なことに、私は教えられた極めて少ない中の一人よ」
佳那葉の言葉に織斗と優季奈が顔を見合わせている。今度こそ何かしらの手がかりが
「可能性なき者とは、何を意味するのでしょうか」
ふと疑問に感じた織斗が尋ねる。およその推察はできている。佳那葉はそれを見越したうえで逆に問いかける。
「風向さんのこと、ある程度の想像はできているのでしょう。まずは聞かせてもらえる」
やはり佳那葉は簡単に答えをくれない。
織斗の横で優季奈は別のことを想っている。沙希の行動や思考が佳那葉そっくりなのだ。
(沙希ちゃんは佳那葉さんに可愛がられているんだなあ。だから、櫻守を継ごうとしているのかな)
結論から言うと半分は正解、残り半分は不正解だ。沙希の思惑はもっと他のところにある。
「櫻樹伝説から一歩踏み込んだものが真櫻樹伝説だと考えれば、私と優季奈ちゃんが一番聞きたい寿命を全うした後の話ではないかと想うのです」
織斗と優季奈の強い願望でもある。もし真櫻樹伝説にその部分の話が含まれないなら、もはや打つ手なし、絶望しかない。
「限られた中の、さらに限られたわずかな櫻守さんと宮司さんだけが知る真櫻樹伝説です。では、なぜ知ることができたのか。恐らくですが、今の私と優季奈ちゃんのように、生き返った者が一年を生きた後の話を聞きたくて、櫻守さんか宮司さんのもとに尋ねてきたのではないかと」
可能性とは、二面性を持つのではないか。
佳那葉が言うところの可能性は、櫻守または宮司の面から見たものだ。すなわち、生き返った者と相対する可能性がないなら、口伝の必要性もなくなる。
織斗が考えるもう一面は、生き返った者の面から見たものであり、一年の寿命を全うした後の可能性だ。
「でも、そうなるとおかしいのです。神秘的な生き返りがどの程度の頻度なのかもわからず、さらに沙希さんの話から、生き返った者が寿命を全うできる確率は一パーセントもないとか。なぜ、佳那葉さんに真櫻樹伝説が口伝されたのでしょうか」
佳那葉は沈黙したままだ。柔和な笑みを
「二つあると考えています。一つは優季奈ちゃんの前に佳那葉さんを尋ねてきた生き返りの人がいた。もう一つは優季奈ちゃんの来訪が事前にわかっていた」
佳那葉はなおも沈黙を守っている。ここまで来ると、さすがに織斗も佳那葉が何を求めているのか察するというものだ。
「織斗君はどちらだと考えているの」
佳那葉に代わって優季奈が言葉にしてくれる。これまでの話を聞く限り、どちらもあり得そうで、優季奈自身は判断がつかない。
「後者、優季奈ちゃんの来訪を知っていた。あるいは知らされていた、と言った方が
優季奈が
「生き返った人の寿命は一年だね。そうなると、最短で一年
優季奈は
「せっかく生き返っても、大半の人が寿命を全うできないまま短い生を終えていく。ましてや、神月代櫻から語りかけてもらえるなどあり得ないと想うんだ」
優季奈は例外中の例外ということだ。そんな優季奈でさえ、一年という寿命を全うできる保証はどこにもない。
「本当に俺の勝手な推量なんだけどね。路川家の櫻守さんや宮司さんは特別な存在、優季奈ちゃん同様、神月代櫻の声を聞けるのではないかと考えてみたんだ。それこそ心に響く声なのかもしれない」
織斗は今さらながらに想い出している。
「優季奈ちゃんは言ったよね。『神月代櫻はずっと私に話しかけていたような気がするの。声にならない声が心の中に響いてくるとでも言うのかな。だから私以外には聞こえない』と。櫻守の佳那葉さんも同じなんじゃないかな」
優季奈は織斗の言葉を自身の中で消化している。
「ねえ、織斗君、櫻守さんも宮司さんも特殊な力を持っているんだよね。それはずっと神月代櫻を守ってきたから。私の存在を佳那葉さんに知らせたのは」
優季奈の言葉に
「そうだね。神月代櫻は
まさしくそのとおりだ。優季奈はそびえ立つ雄大な神月代櫻に目を向け、想いを
(神月代櫻に早宮埜さんが同化し、
「佳那葉さん、教えてください。佳那葉さんは私のことを知っていたのですか」
ここからが本題だ。
櫻守の佳那葉でなければ知らない真実、真櫻樹伝説の全てが日の目を見ようとしている。
「よくぞここまで考えて、
織斗も優季奈も佳那葉の厳かな言葉に圧倒されている。それは櫻守としての威厳か。小さな佳那葉が一回りも二回りも大きく見えている。
「真櫻樹伝説はまさに寿命を全うした後の事象を現したものよ。悠久の歴史の中で真櫻樹伝説に登場するのは
櫻樹伝説に続き、またもや櫻姫だ。織斗と優季奈が最も聞きたかった事象が櫻姫の名のもとにようやく明かされる。
二人は息を呑んで佳那葉の言葉を待ちわびた。
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