第089話:月読命と満月と月の雫と

 その様はさぞや幻想的だろう。優季奈ゆきなの話を聞いた時にも感じた。今もまざまざと脳裏に浮かび上がってくる。



(優季奈ちゃんの生き返り、この目で見られなかったのは返す返すも悔しいな)



 佳那葉かなはの言葉が続く。



朔玖良さくら神社そのものが月読命つくよみのみこと様のための結界、御力を集積するために創建されたのよ。路川みちかわの者はそのように信じているわ。もちろん、縁起書えんぎしょなどにしるされているはずもないけれど」



 恐らくは間違いないところだろう。やしろや鳥居、ほこらに至るまでが月読命つくよみのみことの力を蓄えるための、ある種の集積装置なのだ。


 朔玖良神社だけではない。もう一つ、絶対に欠けてはならないのが神月代櫻じんげつだいざくらだ。あまねく降り注ぐ月読命つくよみのみことの力は神月代櫻をも包み込み、美しい櫻色をもって朔玖良神社を染め上げていく。



 朔玖良神社を現世うつしよの象徴とするなら、神月代櫻は幽世かくりよのそれだ。


 月読命つくよみのみことは、優季奈が述べたとおり、死と再生を司る。死は幽世、再生は現世と考えれば矛盾はどこにもない。



「佳那葉さん、お話をさえぎりますが、二人で考えた推論を先に述べてもいいでしょうか」



 佳那葉に断る理由などない。二人が導き出した推論には大いに興味をそそられる。先ほどからの二人との会話からかんがみても、十中八九は正鵠せいこくを射た内容に違いない。


 佳那葉はただうなづき、織斗に先を促す。



月読命つくよみのみこと様の御力が最大となるのが満月です。生き返りというあまりに神秘的な奇跡は、最大の力をもってしかせないのではと考えました。満月の時にしか生き返りは起こらない。それが最初の条件です」



 織斗の言葉を引き取って、今度は優季奈が言葉を発する。



「次は鎮魂樹ちんこんじゅとして植えられた神月代櫻です。沙希さきちゃんの話によると、何度となく泰山府君祭たいざんぶくんさいり行われながら、死者蘇生は極めてまれだったようです。確率的には一パーセントもなかったとか。泰山府君祭が死者蘇生のための儀式でないこともありますが、それ以前に復活のための大前提を、当時の陰陽師おんみょうじが知らなかったから」



 その大前提とは、神月代櫻が満開を迎える時季であり、さらに空に満月が輝いていることだ。この二つの条件がそろってこそ、次なる段階へと進める。



「前提条件が整ったうえで、月読命つくよみのみこと様の御力は神月代櫻の五枚花弁を透過して、結界と化した朔玖良神社へと浸透していきます。結界内に蓄えられた御力は社を、鳥居を満たし、木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様がまつられている祠へと還流かんりゅうするのです」



 織斗が引き取った言葉を佳那葉は真剣な面持ちで聞いている。優季奈の足元でじゃれているように見える黒猫も同様だ。


 黒猫の正体は路川季堯みちかわすえたか、自身が見聞きしてきたことを、ここまで寸分違わずに言ってのけている。二人が感心するのも無理はない。



月読命つくよみのみこと様の御力で満ちた結界内は神聖な領域、けがれのない現世うつしよだと想うんです。そうなると神月代櫻は、その樹内は幽世かくりよだと考えらえます。あっ、ごめんなさい。神月代櫻に穢れがあるとか、幽世だから穢れがあるとか言うつもりは全くないんです」



 慌てて言葉を継ぎ足す優季奈に織斗が、大丈夫だよと優しく声をかけている。確かに神道しんとうでは死は穢れでありみ嫌う。そのような意識は、今を生きる織斗にも優季奈にも毛頭ない。



「ここで優季奈ちゃんが語ってくれた言葉が生きてきます。『神月代櫻は生命の大樹、それが本当の姿だって。願いの強さと深さ、その二つが神月代櫻に伝わった時、二つの世界を一つとするべく架け橋ができる』ということです」



 月読命つくよみのみことの力で満たされた朔玖良神社と神月代櫻が結ばれ、二世ふたよを繋ぐ架け橋ができる。つまり、ここに現世うつしよ幽世かくりりよが一つに結ばれるのだ。



 かくして神月代櫻は幽世かくりよの扉を開く。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめは最も強く深く想う者の魂を扉の内より呼び起こし、神月代櫻に産み落とす。では、二世ふたよの境目はどこになるだろうか。



泰山府君祭たいざんぶくんさいが執り行われる際に陰陽師が、早宮埜さくやさんを同化させる際に保顕やすあきらさんが神月代櫻の周囲に結界を展開しました。この結界内こそが幽世かくりよであり、外が現世うつしよではないんじゃないかと想っています」



 優季奈の言葉に織斗が大きく頷いている。



 ここでようやくもう一つの大切な要素が加わってくる。


 月のしずくだ。月の漢字がつくとおり、間違いなく月読命つくよみのみことの力の影響を受けている。そのように考えるのが自然だ。



 現世うつしよへと呼び起こされる魂に、月読命つくよみのみことの力をまとった月の雫をもって肉体を与える。


 一パーセントにも満たない成功率は、偶然が幾重にも合わさった結果でしかない。



「私は月の雫こそが優季奈ちゃんの身体を作ったのではないかと考えています。全くの当て推量ですし、原理などもわかりません。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様が産み落とした命に身体を与えるなど、それこそ死と再生を司る月読命つくよみのみこと様の御力でないと無理なんじゃないかと想うのです」



 これなら優季奈が全く寒さを感じないと言った理由も理解できる。



 織斗と優季奈、二人して、どうでしょうかと尋ねかけてくる。佳那葉はもはや感嘆かんたんのため息しか出てこない。



≪初代様、何と素晴らしい若者たちでしょう。この二人なら試練にも≫



 今の今まで優季奈の足元でじゃれていた黒猫が素早く離れ、威嚇いかくにも近いうなり声を発する。



≪そなた、本気で言っておるのか。確かに、先にも言ったとおり、二人はける者だ。資格だけは有している。それでもあまりに危険すぎる≫



 さすがに看過できない。神の定めた摂理は絶対だ。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめが魂に与える寿命は一年と決まっている。一年を待たずに消える者は多くいれど、一年を超えて生き続ける者は皆無だ。



≪そなたは櫻守さくらもり何故なにゆえ木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様が寿命を一年と定められたか知らぬはずもなかろう。やはり、この二人には気の毒だが≫



 これまで一度たりとも路川季堯すえたかに反論したことのない佳那葉が初めてそれを覆す。



≪お言葉を返すことになりますが、その摂理を覆そうとなされたのは、誰あろう初代様ではありませんか≫



 痛いところを突かれたか。黒猫は息が詰まってしまったかのような鳴き声を発している。



≪若気の至りだったのだ。私とて愛しき者を失った哀しみを経験しておる。だからこそ逢いたい。願いが叶えば、また次の欲が芽生える。人とはそういう生き物だ。私は不遜ふそんにも木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様に願いたてまつった≫



 路川季堯は生まれ持ったすさまじい霊力によって、幼き頃より神々と対話できる稀な存在だった。異端児とも呼べる彼はまぎれもなく人の子であり、死者を蘇生させるような力は持ち合わせていなかった。


 季堯が朔玖良神社の宮司となり、まつられている全ての神々と対話したのは必然とも言えよう。特にかれたのが他ならぬ木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめだった。


 司る力は無論のこと、女神でありながら慈母じぼのようにも感じたのだろう。だからこそ、路川家は木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめを最も大切な神として手厚く祀ってきたのだ。木花之佐久夜毘売もまた季堯をいたく気に入り、様々な知恵を授けたりした。



木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様は何かと私に力をお与えくださった。私は嬉しかったのだ。ついつい甘えてしまった。木花之佐久夜毘売様がお定めになった摂理を、木花之佐久夜毘売様に破らせるなど、決してあってはならぬことなのに。もはや、若気の至りでは済まされぬ≫



 自嘲じちょうする季堯の並々ならぬ後悔が伝わってくる。いったいどのような願い事を木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめにしたのか。



≪亡き妻にもう一度逢いたい。私は異端児でも何でもない。他人よりも少し力があるだけのただの人だ≫



 季堯を哀れに想ったか、木花之佐久夜毘売はその術を語って聞かせた。それは到底信じ難い内容だった。



≪神が口になさる言葉はまさしく言霊ことだま、絶対だ。そして、そのとおりとなった。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様の御力をもって生き返った妻は一年という寿命を全うし、再び消えていった。一度望みが叶えば、もうわかるであろう。後は坂道を転がり落ちていくようなものだ。欲というものは際限なく膨らんでいく≫



 二度と逢えないと想っていた最愛の者と邂逅かいこうできた。その願いが叶えば、次に来るものが何であるかは誰しも想像できるだろう。それこそが人の理というものだ。


 季堯が口にしたとおり、不遜にも木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめに尋ねてしまった。叶える方法はないのかと。



木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様はお応えになられた。方法はある。教えてほしくば教えよう。ただし、それは神が定めた摂理を神自らが破ることと同義である。摂理を曲げてでも成すには相応の代償をもらわねばならぬ。そうおっしゃられた≫



 その方法こそが櫻樹伝説へと繋がっていく。




「風向さん、優季奈さん、お二人の推論は賞賛に足るわね。補足が必要な部分もあるけど、私のこれからの話を聞けば十分でしょう。沙希から言葉だけは聞いているわね」



 幽世に下った櫻姫と現世でその死を嘆き悲しむ一人の男の物語だ。



 佳那葉の口から静かにゆっくりと紡ぎ出されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る