間奏

第027話:天使からの返歌

 こんなに辛く哀しい思いをするなら、出逢わなければよかった。


 出逢ったとしても、声をかけなければよかった。


 声をかけたとしても、友達にならなければよかった。


 友達になったとしても、好きにならなければよかった。



 深い後悔が心をさいなみ続ける。


 最後まで言えなかった言葉が、自分自身の情けなさが、大きな傷となって残っただけだ。



 ただ一人、初めて好きになった少女は、もういない。


 天使だった少女は、もういない。



 灰色に染まった世界で、少女への想いだけを胸に抱いて生きていく。




 もう、誰も好きにならない。




◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇



 織斗は一通の手紙を手にしていた。


 優季奈が織斗に残した最初で最後の手紙だ。葬儀の時に母の美那子より手渡された。



 まるでそれは織斗の心情に対する返歌のようでもあった。




◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇



 織斗くんがこの手紙を読んでいるとしたら、私はこの世からいなくなっているんだろうなあ。


 そんなの、絶対にいやだよ。



 私ね、いつもベッドの上で辛く哀しい思いをしてきたの。


 織斗くんと出逢わなければ、ずっとこの気持ちを引きずったままだったんじゃないかな。だからね、織斗くんに出逢えてほんとによかった。



 あの日、偶然にも織斗くんが病室の私を見つけてくれた。声をかけてくれて、とっても嬉しかったんだよ。


 私も頑張ったんだからね。勇気を出して織斗くんを見たんだから。でも、最初は逃げられちゃったね。あれはすごく哀しかったなあ。


 それも今では楽しい思い出になっているよ。



 たった一度のあの出逢いが、私の心を温かくしてくれたの。


 織斗くんがまたお見舞いに来てくれる。そのことを考えるだけで、私の気持ちは穏やかになったの。


 今日かな、明日かな、ってずっと考えながら過ごしているとね、これまで苦痛でしかなかった入院生活もちょっとだけよくなったんだ。



 ねえ、織斗くん。


 私たちってね、お友達だよね。きっと、それは織斗くんも同じだよね。



 じゃあね。好きなのかな。


 書きながら、恥ずかしくなってきてるよ。



 正直に言うね。



 うん、私は織斗くんが好き、心から好きだよ。


 きっと一目ぼれだったのかも。一目ぼれなんて絶対ないって想っていたのにね。自分でも不思議だよ。



 ほんとはね、言葉にして言わなくちゃいけないの。言葉にしてこそ、だものね。


 でも、もう無理かもしれない。残された時間が少ないから。何となくわかるんだ。



 だから、この手紙に書いちゃった。ごめんね。



 織斗くんは私のこと、どう想ってくれているのかな。


 一緒の気持ちだといいなあ。私を好きでいてくれたら、こんなに嬉しいことはないもの。



 私ね、ここまで生きてきた中で、この一年が一番幸せだったんだ。


 それはね、私の隣に織斗くんがいてくれたからだよ。



 だから、何度だって言うね。


 織斗くん、ありがとう。



 この頃はね、織斗くんと出逢うために生きてきた、なんて想ったりもするの。おおげさだよね。



 それでね、私、ずっと信じていることがあるの。


 人の想い、特に女の子の想いはずっしりと重いんだよ。その重さがね、いつかどこかで形になって結ばれるんじゃないかなあって。


 その想いが、好きな人の想いと繋がっていくんじゃないかなあって。



 私の想い、織斗くんの迷惑になっていなければいいんだけど。




 それでね、もしも、もしもだよ。


 私が織斗くんの前からいなくなったら、私のことは忘れていいからね。


 素敵な人を見つけて、私の分まで幸せになってね。



 それが、私の、願い、だから。




 違う、違うよ。そんなの、私の願い、なんかじゃない。



 いやだよ。織斗くんと一緒にいたいよ。

 いやだよ。この先もずっと、ずっと離れたくないよ。



 私って我がままだよね。こんな時まで、織斗くんを独占したいって想ってる。いやな子だよね。


 だんだん何を書いているのか、わからなくなってきちゃった。




 今ね、私の心の中は織斗くんでいっぱいなんだ。


 だから、私は織斗くんを忘れたくないし、絶対に忘れない。私のこの想いだけは誰にも負けないし、誰にも壊せない。



 織斗くん、大好きだよ。幸せな時間をありがとう。



 この先もずっと、ずっと、織斗くんに寄り添える私でいたいなあ。




 この手紙が読まれないまま、笑って、破り捨てる日が訪れることを願ってしたためました。



 大好きな織斗君へ



 優季奈



◇◇ ◇◇◇ ◇◇ ◇◇◇ ◇◇



 この手紙を優季奈がいつしたためたのか、日付は書かれていない。



 織斗は手紙を読み始めたところから、枯れ果てたはずの涙があふれ出していた。


 止めどなく湧き出してくる涙をぬぐおうともせず、無心に優季奈の残してくれた手紙に目を走らせる。



 涙で紙をらさないよう気をつけていても、幾つかの大粒の水滴は避けようがなく、優季奈の想いが詰まった文字をにじませていく。



 比較的、大きな句点を書くのが優季奈の癖のようだった。


 落ちた水滴が句点を滲ませ、変形させ、それがハートマークになっていく。



 奇しくも絶妙な位置だった。



 声をかけてくれて嬉しかったんだよ。

 心から好きだよ。

 織斗くんに寄り添える私でいたいなあ。



 この三箇所の句点だ。



 まるで優季奈がそうなるように織斗を導いたのではないかと想えるほどの不思議な事象だった。



 読み終えた織斗はしばし放心状態に陥っている。



 灰色の濃淡にしか見えない優季奈の手紙から浮かび上がるハートマークだけが、なぜか桜色に感じられ、今の織斗を慰めてくれている。




 流れ落ちる涙はいつまでも、いつまでも止まらなかった。

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