第028話:遠景

 織斗おりとはうなされていた。



(優季奈ゆきなちゃん、優季奈ちゃん)



 優季奈が亡くなって以来、毎晩繰り広げられる悪夢が織斗を責め続ける。




 夢の中でどれほど願おうとも、優季奈が生き返ったことはないし、顔さえ振り向けてくれない。



 去っていく優季奈を必死に追いかける。


 追いかけながら、精一杯手を伸ばす。その距離が永遠に埋まらない。そして、悲しげな後ろ姿だけをおぼろの中に溶けこませてしまう。



 織斗は声にならない絶叫をあげ、ひざから崩れ落ちていく。





 あれから三年が経った。



 今もあの出来事だけは忘れられない。昨日のことのように想い出してしまう。


 頭の中にこびりつき、決してがれ落ちない強固な記憶の欠片かけらだ。




(またいつもの夢か)



 織斗は汗がびっしり貼りついた寝巻を脱ぐと、ゆっくり立ち上がった。頭が重い。ベッド横に置いているカップから水を一口含み、タオルで汗をぬぐう。


 起床時間には随分と早いものの、悪夢の後は一睡もできない。何度も繰り返し見ることで、いやな習慣になってしまっていた。



 失った声は、未だに戻ってこない。




(優季奈ちゃん、おはよう。俺、もう高校三年生になったよ。この三年、よく壊れなかったものだと自分でも想っているよ。それはずっと心の中に優季奈ちゃんがいてくれたから)



 あの日を境にして、織斗は変わってしまった。



 失ったのは声だけではない。目の前は灰色一色に染まっている。美しい色彩などとうに忘れてしまった。ある一つを除いて。



 言いたくても言えなかった、言わなければいけなかった言葉は、胸の奥深くに突き刺さったままだ。あふれんばかりの自責の念が、今もなお胸を焼き尽くしている。




 織斗は緩慢な動作で窓を開け放った。


 部屋にカーテンはない。暗闇が怖くて仕方がない。優季奈を連れ去っていったように、全てを無にしてしまう。少しでも明かりがないと眠れない織斗にとって、外の薄暗さは心地よかった。



 吹き込んでくる早朝の冷たい風が、火照ほてった身体を包んでいく。




 織斗は焦点の合っていない目で、はるか遠くを見つめた。何の問題もない。視覚では何もとらえていないからだ。


 映像は脳裏の中にある。とある光景が色も鮮やかに映し出されている。唯一、織斗に残された灰色以外の色だった。



 約束の地、小高い丘の上だ。一本桜の巨樹が威風堂々とそびえ立っている。推定樹齢千五百年とも二千年とも伝えられるこの荘厳な桜は、神月代櫻じんげつだいざくらだ。


 三年が経った今も、神月代櫻は何も変わらない姿を誇示している。



 月の光に照らし出され、薄桃色はくとうしょくに彩られた神月代櫻は五枚花弁の花びらを風に乗せて舞い踊らせる。




(今日は四月四日、優季奈ちゃんの命日に神月代櫻は満開を迎える。皮肉だな)




 もう一度、逢いたい。



 織斗がどれほど心から願おうとも、二度と叶わない。



 優季奈はもういない。天使は、天に召されてしまった。




 織斗は脳裏に浮かぶ神月代櫻を見つめ、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込む。

 

 あたかも自分自身を痛めつけているかのようでもあった。




(俺の天使は、桜の天使は、もうどこにもいないんだ)

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