第017話:約束を明日に控えて

 優季奈の十四歳の誕生日から一年が経とうとしている。


 病状は思ったように回復を見せなかった。入退院を繰り返し、大半の時間を病院のベッドで過ごさなければならなかった。


 当然、まともに中学校生活が送れるはずもない。学校行事はもちろんのこと、季節毎のイベントなども楽しめないままに時が過ぎ去ってしまった。



 そんな中にあっても、織斗おりとはほぼ毎週、優季奈の見舞いに訪れていた。少しでも優季奈の気が紛れるならという、その一心でだ。


 足繫く優季奈の見舞いに通う織斗は、二人してさらに病院内の有名人になっていた。


 主治医の加賀と長谷部が、鈴本恵美めぐみを筆頭とする内科ナースステーションの看護師たちが温かく見守ってくれた。感謝しても感謝しきれない。


 優季奈とは逢えたり、逢えなかったり、だった。調子の良し悪しによって大きく左右されるからだ。


 優季奈の苦しむ姿を見るのは耐え難かった。代われるものなら、今すぐにでも代わってあげたい。


 優季奈の病状が悪化する一方で、織斗の方は日に日に良くなっていくきざしを見せている。だからこそ、織斗はいっそう苦しかった。



 短いようで長い、長いようで短い一年だった。



 そして、いよいよ明日を迎える。一年越しの約束を果たす時が間近に迫っている。幸いなことに、今年も神月代櫻じんげつだいざくらの満開と優季奈の十五歳の誕生日とが重なっている。



 織斗は気が急いて仕方がなかった。案の定、母親の沙織に何度も小言を食らう羽目になっている。



「織斗、優季奈さんの様子はどうなの。一時外出の許可は出たとはいえ、無理はさせられないわよ」



 沙織は織斗以上に優季奈が心配でならなかった。美那子とは頻繁にやり取りを続け、誰よりも優季奈の状況に詳しかったりする。そのうえで、あえて織斗に尋ねたのだ。



「わかっているよ、お母さん。もしも、優季奈ちゃんの体調が悪かったら外出は諦める。それしかないよ。残念だけど」


「わかっているならいいのよ。ところで、明日の準備はできているの」



 沙織の問いかけに織斗は素直にうなづくと、隣室の扉を開けて入っていく。本来なら、隣室もリビングルームの一部だ。間仕切りを設置することで二室に分け、もっぱら沙織のアクセサリー制作室兼材料置き場となっている。



「お母さん、これでどうかな。何とかプレゼントにできそうなんだけど」



 戻ってきた織斗が手にしているのは、約五センチメートルのヘアクリップアクセサリーだ。


 一年前、優季奈と約束した時から決めていた。優季奈が好きだと言った神月代櫻を、優季奈の黒髪に舞い下りた桜の花びらをモチーフにしたヘアアクセサリーを作り、来年の誕生日プレゼントにしようと。


 壮大な構想、一年もかければ十分合格点に届くものが作れるだろう。現実は時として残酷だ。織斗には全く時間が足りなかった。


 手先の不器用さがわざわいとなったのか、失敗に次ぐ失敗の連続だった。何よりも見こみが甘すぎた。いざとなったら、母が手伝ってくれる、いや作ってくれるだろうと安易に考えていたのが間違いの始まりだった。


 母の沙織は売れっ子アクセサリー作家だ。この程度のアクセサリーなら、お茶の子さいさいとばかりに作ってしまうだろう。


 そんな織斗の底の浅さを見通していたのだろう。沙織はぴしゃりと跳ねつけた。



「なめすぎよ。それに優季奈さんへの誕生日プレゼントよね。だったら、織斗が一人で作りなさい。アドバイスぐらいはしてあげるから」



 まさに沙織の指摘どおりだ。反省しきりの織斗は、それなら一人で作ってやると意気ごんではみたものの、何から手をつけてよいのか全くわからない。やはり泣きつく先は母親だった。


 沙織の指導は、とにかく厳しかった。最初の二週間、みっちりと基礎講習を受けさせられ、そこからは悪戦苦闘、最初の完成予想図作りからしてつまづいた。手先の不器用さと同じぐらいに絵心のない織斗を待っていたのは、第一の地獄だ。



「いったい、これは何の絵なの。芋虫がのたうち回っているようにしか見えないけど」



 最初に書き上げた絵を沙織が見た時の感想だ。大爆笑されたのは言うまでもないだろう。


 結局、完成予想図を仕上げるのに一ケ月を要し、さらに紆余曲折うよきょくせつを経て今に至る。なお、残り十一ヶ月にわたる第二、第三の地獄の製作過程は、織斗にはあまりにこくすぎたので省略する。



 沙織に慎重に手渡す。この一週間、寝る間も惜しんで製作に没頭してきた。形にできたのは二日前のことだ。仕上げのコーティングなどを済ませ、完全に乾くのを待った。それが今、沙織の手にあるものだ。


 沙織は手にしたヘアクリップアクセサリーをプロとしての目で念入りに確認している。ピンセットで土台部分を慎重にはさみ、ルーペを用いて不備がないかを見極めている。要した時間はおよそ五分程度だ。その間、織斗は緊張しっ放しだった。



「初めての自作アクセサリーとしては上出来よ。優季奈さんもきっと喜んでくれるわね」



 やったあ、とばかりに諸手もろてを挙げて喜ぶ織斗を見て、沙織はようやく相好を崩した。



「ありがとう、お母さんのおかげだよ。優季奈ちゃん、本当に喜んでくれるかな。そうだったらいいなあ」



 沙織が横に置いているバッグから二つの化粧箱を取り出してくる。いずれも桜色で、形状や大きさも同じ、違いは色の濃淡だけだ。



「織斗の指紋がべたべたついているから、きれいにしておいてあげる」



 沙織はピンセットで掴んだアクセサリーを柔らかいクロスで磨き上げ、指紋を丁寧にぬぐっていく。



「どう、立派なプレゼントになったでしょう。最後の仕上げね。リボンを掛けるのは織斗よ」



 作業を終えた沙織が、淡い桜色の箱に織斗自作のヘアクリップアクセサリーを収める。箱の内部にはアクセサリーを安定して持ち運べるように台座があり、保護のための布地が敷かれている。布地は桜色の補色、淡い水色だ。



「すごくきれいだね。俺の下手くそなアクセサリーが見違えるようだよ。お母さん、もう一つの箱は何が入っているの」



 淡い桜色の箱の横に並べ、沙織が濃い方の箱のふたを開ける。見た瞬間、織斗は言葉を失った。



「お母さん、こっちを優季奈ちゃんにプレゼントしたらだめかな」



 一蹴された。



「だめに決まっているでしょう。これは美那子さんをイメージして作ったものよ。優季奈さんには、まだ大人っぽいものは似合わないわね」



 織斗のアクセサリーは土台がゴールドのヘアクリップだ。そこにやや大振りの桜の五弁花びらが三つ配されている。三つの花びらは少しずつ配色を変え、白色、白色と桜色の中間、そして桜色に塗られている。


 優季奈の黒髪に合わせ、花びらの色は薄めに抑えた。その代わり、可愛らしさをより引き立たせるために大ぶりの花びらに仕上げている。


 対して、沙織が作った美那子のためのアクセサリーは土台がシルバーのヘアピンだ。優季奈のものとは対照的に、五弁花びらは中心に一つのみ、花芯も一本一本見事なまでに作り込まれている。


 それ以外は小ぶりの花びらが幾重にも散っている。まるで風に吹かれて舞い踊っているような美しさだ。配色もやや濃いめの桜色で、花びら一枚一枚がグラデーションで仕上げられていた。



「美那子さんには折を見て差し上げるつもりよ。織斗が一年間、精魂こめて作ったアクセサリーは優季奈さんにとって何よりのプレゼントになるわ。もっと自信を持ちなさい」



 母親ってすごいなあ。織斗は改めて実感している。小さい頃から厳しくしつけられてきた。どうしてこんな目に遭うんだと反発したことも数えきれないほどある。


 年齢を一つ積み上げる毎に織斗は気づいていった。気づかされていった。全ては織斗を想ってのことなのだと。


 その事実を言葉にして聞かされたのは、優季奈の誕生日祝いの場だった。それは母の沙織ではなく、優季奈の母の美那子の口から語られた。


 今だからこそ心の底から想える。沙織の子供で本当によかった。



「リボンを掛けたら、もう開けたらだめよ。明日、優季奈さんにプレゼントするのが楽しみね。どんな表情を見せてくれるか、想像して一晩過ごしなさいね」



 茶目っ気を見せる沙織に、織斗は何とも言えない笑みを浮かべるしかなかった。



 最後の難関だった優季奈へのプレゼントも用意ができた。これで明日を待つばかりだ。織斗は楽しみで仕方がない。どうやって優季奈を喜ばせようか。頭の中はその想い一色だ。


 満開の神月代櫻の下、佐倉家と風向家そろって花見弁当に舌鼓を打ちながら、優季奈に誕生日プレゼントを手渡す。花見弁当は両家の母親の手作りだ。きっと優季奈と織斗の好きなものばかりが詰まっているに違いない。


 想像するだけで涎が出てきそうになる。そんなことよりも、織斗にとっての最大のご馳走は、もう決まっている。



(満開の桜の下、天使が可愛い微笑を浮かべている。天使の黒髪には俺の作ったアクセサリーが。これこそが一番のご褒美かもしれないなあ)



 妄想世界に浸っている織斗が身体を奇妙にくねらせている。沙織は大きなため息をつきつつ、また小言をこぼしている。

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