第016話:次はお家に遊びに来てね
ようやく口を覆っていた両手を下ろした
破壊力抜群の上目遣いだ。
織斗は今日初めて三つ目の意味を感じ取っていた。怒っていて睨みつけてくる時、照れて恥ずかしがっている時、その両方が複雑に混ざり合っている。どちらかと言えば、後者が優勢だろうか。
「ここでそんなことを言うのって、ちょっとずるいなあ。反則だよ」
この心情は怒りの部分、それもすぐに収まって次の感情へと移り変わっていく。
「でも、嬉しい。そんなことを想ってくれて。私もね、不思議だったんだ。織斗君がどうして私の病室前にいたのかなあって」
優季奈は初めて出逢った時の様子を思い出していた。
「うん、あの時はちょうど加賀先生の診察を終えた帰りだったんだ。ちょっとだけ気分を変えて、違う道を通ってみよう。何となく選んだ道がここだったんだ」
まさに偶然の導きがもたらした巡り合わせだった。
「優季奈にとって、運命の出逢いになったらいいわね」
ふと
「もう、なによ。そんなに驚くほどのことじゃないでしょ」
「だ、だって、お母さんがそんなことを言うなんて」
優季奈と美那子、互いに苦笑を浮かべつつ、その輪に織斗も沙織も交じっていく。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。こうして優季奈の特別な一日は終わりを迎えようとしていた。
「織斗、あまり長居をしてもいけないわ。最後に写真撮影して、お
写真なら、先ほど二人の母親のスマートフォンで撮り終えたばかりだ。それも十分すぎるほどに。
「お母さん、撮影って、さっき終わったんじゃないの」
織斗の問いに、沙織は
「そう、優季奈さんとのツーショットは要らないのね。じゃあ、すぐに帰りましょうか」
背を向けようとする母親を大急ぎで引き止める。これを引き止めずして何をするというのだ。
「ちょっと、ちょっと待って、お母さん。えっ、優季奈ちゃんと、ツーショットって。えっ、優季奈ちゃん、いいの」
落ち着きのない織斗が沙織から、今度は優季奈に視線を転じる。
「私、織斗君となら、いいよ」
上目遣いで恥ずかしそうに告げる優季奈に織斗は完全にやられてしまっている。
「織斗、優季奈さんを待たせたらだめでしょ。早く横に並びなさい」
写真を撮ろうと言い出したのは織斗自身だ。実のところ、撮られるのが好きではない。
カメラを前にすると、変に身構えてしまって自然な表情が作れない。だから、自分が写った写真を見て、いつもがっかりする。
今日は絶対に失敗できない。その想いがさらにぎこちなさを作り出してしまう。
「織斗、いつもと同じよ。表情が硬すぎるわね。せっかく優季奈さんと一緒なのよ」
スマートフォンを手にした沙織は、遠く窓の外に見える
「織斗君、緊張してるの」
「緊張というか、俺、写真撮られるのって好きじゃないんだ。いつも変な顔になってしまうし」
優季奈とのツーショットにもかかわらず、この有様では自分以上に優季奈をがっかりさせてしまいかねない。それだけはいやだ。優季奈をこれ以上悲しませるようなことは絶対にしたくない。
「私と二人だけの写真でも、いやかな」
即座に否定する。
「いやなわけないよ。むしろ、俺の方から優季奈ちゃんにお願いしたいぐらいだし」
ようやく構図も決まったようだ。沙織が早くしなさいと促してくる。
「織斗君、カメラを意識せずに、私とお話している時を思い出してみて。きっと大丈夫だから」
気休めで言ったわけではない。優季奈は確信していた。
(私とお話している時の織斗君はね)
「はい、こちらを向いて」
沙織と美那子、二人がほぼ同じ位置でスマートフォンを縦にして構えている。思わず優季奈も織斗も吹き出しそうになっている。それが功を奏したのだろう。織斗の表情が随分と
シャッター音が連続して数回鳴り、無事に撮影が終わった。
母親同士、後で写真を交換しましょうと言っている。優季奈と織斗は、どれも同じような写真だろうと想いながら、お互いの顔を見合わせて、嬉し恥ずかしの笑みを浮かべていた。
「織斗、そろそろ」
そうだった。いつもなら三十分程度で済ませているところを、今日は最初に二人だけで約三十分使っている。その後、プリンアラモードを買いに行ったこともあって約一時間、合わせて一時間半ほども費やしてしまった。
優季奈の身体を思えば、もっと早くに切り上げるべきだった。織斗が心配そうに優季奈を見つめる。
「優季奈ちゃん、ごめんね。俺、気がつかなくて。身体は大丈夫かな」
沙織は沙織で美那子に謝罪している。さすがにいつもの三倍近い時間を過ごしてしまったのだ。
「平気だよ。私ね、とても楽しかった。とても嬉しかった。こんなに幸せな時間を過ごせるなんて想ってもみなかったもの。今日のこと、絶対忘れないよ。だから、謝らないでね」
織斗は何も言えなくなってしまった。口をぱくぱくさせながら、何度も
「優季奈さん、長居してしまってごめんなさいね。そう言ってもらえて嬉しいわ。早く元気になって、今度は美那子さんと一緒に我が家に遊びに来てくださいね」
思いがけない沙織の提案に優季奈は大喜びしている。それは
「はい、必ず元気になって遊びに行きます。楽しみがまた一つ増えました」
今日最後となる天使の笑みを堪能した織斗が、名残惜しそうに優季奈から離れていく。
優季奈は思わず伸ばしかけた手を慌てて引き戻した。
「織斗君、今日はありがとう。最高の誕生日になったよ。また来てね」
寂しさが残る声だった。それぐらい織斗にだってわかる。許されるものなら、もう少しだけ優季奈の傍にいたい。
(それはだめだ。優季奈ちゃん、絶対無理してるから。だって、少し息が苦しそうに感じるんだ)
笑みで別れるしかない。次に来る時は、もっと優季奈を楽しませてあげたい。織斗は心から想った。
「俺も、すごく楽しかった。優季奈ちゃん、また来るからね」
「うん、絶対だよ。織斗君、さよなら」
優季奈の視線が織斗に、それから沙織に向けられる。
「織斗君のお母さん、今日は本当にありがとうございました」
もう一度ぎゅっと抱きしめたい。沙織もまた心から想った。
(今日は我慢ね)
「優季奈さん、こちらこそよ。貴重なお時間をありがとう。さようなら」
「さようなら」
沙織が織斗に目配せした。
「優季奈ちゃん、さよなら」
織斗の別れの言葉に、優季奈は手を振って応える。沙織と美那子もまた別れの挨拶をしている。
「優季奈、お母さんは沙織さんと織斗君を送ってから、ナースステーションに寄ってくるわね」
三人が連れ立って出ていく。静寂が戻った病室で優季奈は一人、この特別な一日を思い返していた。
「こんな幸せな時間がずっと続いたらいいなあ。早く退院して、織斗君のお家に遊びに行きたいよ」
やはり疲れてしまったのだろう。優季奈は咲き誇る神月代櫻に想いを馳せながら、身体をゆっくりと横たえた。
「来年の誕生日、そこに行くからね。すごく楽しみだよ」
優季奈のまぶたが落ちていく。
眠りに落ちる寸前のこと、神月代櫻の語りかけてくる声が聞こえたような気がした。
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