第100話:両親との攻防戦

 皆の紅茶がそろったところで、キッチンから戻ってきた綾乃あやの沙希さき優季奈ゆきなの三人が席に着く。


 誰一人として緊張の面持ちを隠そうとしない。


 簡単でぎこちない自己紹介を一とおり終えた後は、誰もが口を固く閉ざしている。沈黙が支配する中、ティーカップがかなでる硬質音だけが響いてくる。


 誰が口火を切るのか。皆が皆、様子見の状態だ。


 全員を見知っているのは織斗おりと、優季奈、鞍崎慶憲くらさきよしのりの三人だけで、それ以外の七人は初対面の者が少なくとも一人いる。


 大きな長卓の片側に織斗と優季奈の両親四人が、片側に相対する形で子供たち五人が、例によって鞍崎慶憲はお誕生日席に位置している。


 利孝としたかがしきりに鞍崎慶憲に向けて視線を送っている。


 鞍崎慶憲は察しながらも未だ行動に出ない。事情は優季奈から話を聞かされている。あり得ない。それが最初に頭をよぎった想いだった。



(思考とは別のところで信じたい想いも強い。そもそも優季奈がここにいることこそ、あり得ない事象だ。二度目、三度目があっても、もはや不思議ではないだろう)



 これ以上の沈黙が続くようなら、いよいよ口火を切らなければと考えていた織斗も、父が向ける視線に気づいている。五度目となる利孝の視線を受け止め、鞍崎慶憲が大きく息をつく。



(全く強引な男だ。本当に変わっていないな。優季奈と織斗少年を除けば、ここにいる皆を知るのは私のみか)



「せっかく集まってもらったのに、いつまでもこのような状態では日が暮れてしまう。優季奈、そして織斗少年の一生を左右しかねない重要な話をしなければならない。簡単には終わらないだろう。そろそろ始めたい」



 一同の顔を順に見回し、異論がないかを確認する。もちろん誰にも異論などない。張り詰めていた緊張の糸がゆるみ、ようやく音が戻ってくる。



「まず最初に、優季奈から聞いた範囲での話をまとめておきたい。補足があれば都度、優季奈と織斗少年、それから路川みちかわ君にお願いする」



 三人がそろってうなづく。それを受けて鞍崎慶憲が言葉をつむいでいく。



 優季奈、綾乃、沙希による三人娘の話を発端に、神月代櫻じんげつだいざくらの長い歴史とそこに関わってきた路川家、彼らがどういった家系でこれまでに何を担ってきたか、優季奈が生き返った謎、さらには櫻樹おうじゅ伝説と盛りだくさんの内容になった。



「最後に、最も頭を悩ませている問題だ。すなわち、幽世かくりよに下るという非現実的な話をどこまで理解し、信用し、さらには優季奈と織斗少年、二人の意思を尊重したうえで、その行動を認めるかいなか」



 鞍崎慶憲は最初に優季奈と織斗を最初に視線を向けた。



「優季奈、それから織斗少年、二人の意思はいささかも変わらない。幽世に共に下る。そうだな」



 先に答えたのは織斗だ。



「はい。俺の意思に変わりはありません。優季奈ちゃんと一緒に行きます。両親にも伝えました」



 織斗の言葉を受けても、この場での返答はない。沙織さおりは織斗をじっと見つめながら、時折優季奈にも目を向けつつ複雑な表情を浮かべている。利孝は腕を組んだまま目を閉じている。



叔父おじさん、私も同じだよ。本当はこの一年だけで十分だと想っていたの。でも、その先の可能性が少しでもあるのなら、私は、私は」



 優季奈は言葉に詰まる。


 ここに来て、迷いが生じているのか。そこに美那子みなこの言葉が割って入る。



「優季奈、もう十分よ。優季奈がその姿で兄さんに連れられてきた時から永遠に続くものでないとわかっていたわ。母として、二度と逢えないはずの娘と一年間も過ごせるのよ。これ以上を望んではいけないの。それに、これだけははっきりと言っておくわ」



 美那子の強い視線が優季奈をとらえ、ゆっくりと織斗に移っていく。



「織斗君を巻き込むことだけは絶対に許さない。これはお父さんも同意見よ」



 再び優季奈に視線を戻した美那子が断言する。



「お父さん」



 優季奈のはかなげな声に、父の光彰みつあきは一度だけ頷いてみせた。



「優季奈、娘の幸せを願わない親などいない。その前提で、今から言うことをよく聞きなさい」



 これ以上ないというほどの真剣な表情で光彰が語りかけてくる。



「この先、優季奈と織斗君の進む道は違うんだ。まじわる可能性があるという話は聞いたよ。だが、その方法は決して認められない。もしも、織斗君が命を失ったらどうなる」



 その先は言葉にしない。たとえ親馬鹿だと言われようとも、優季奈ならきっとわかってくれるだろう。



 優季奈は優季奈でそれ以上は言葉にできなくなっている。さすがにこのままではらちが明かない。


 鞍崎慶憲が口を開こうとするよりも早く、織斗が言葉を発していた。



「美那子さん、光彰さん、俺のことを想ってくださってありがとうございます。お気持ちはとても嬉しいです。でも、俺はもう決めているんです。それに、あの時のような後悔は二度としたくないんです」



 美那子には織斗が何を言っているのか、即座に理解できた。


 織斗は優季奈の月命日に欠かさず佐倉家を訪れた。何度目かの訪問時、美那子にその想いを告げている。


 美那子との約束を守れなかった。病床で苦しむ優季奈に想いを伝えられなかった。それが決して抜けない大きなとげとなって胸に刺さっている。



「織斗君」



 わずかに心がぐらつきそうになる。ここは心を鬼にしてでも言い聞かせなければならない。



「優季奈をそこまで想ってくれて、親として、また一人の女としてとても嬉しいわ。でもね、織斗君を優季奈と一緒に行かせるわけにはいかないのよ」



 織斗もあの時とは違う。少しは成長できている。感情をき出しにして美那子に反論するような真似は決してしない。



「理由をお聞きしてもいいですか」



 冷静に言葉を返す。答え合わせをするつもりで、あえて尋ねてみただけだ。


 美那子にも伝わったのだろう。苦笑を浮かべている。



「織斗君の命は織斗君のものだけじゃない。織斗君を失った沙織さんや利孝さんを想像してご覧なさい。優季奈を失った私たちを三年間見てきた織斗君ならわかるわね。そんな想いをご両親にさせたいの」



 美那子の指摘はもっともすぎるぐらいにもっともだ。織斗も頭ではわかっている。優季奈を失った美那子が、光彰がどれほど悲嘆に暮れた日々を送ってきたか。それと同じ想いを両親にさせようとしている。



(わかっている。わかっているんだ。それでも俺の気持ちは変えようがない。優季奈ちゃんは俺を信じて、残りの人生を預けてくれたんだ。その想いに応えないでどうするんだ)



 織斗は真摯しんしな目を向けてきている美那子を見つめ、心の整理をしたうえで両親に移す。



「お母さん、お父さん、どうしても俺は優季奈ちゃんと一緒に行きたい。いや、行かなければならない。俺は絶対に死なない。必ず優季奈ちゃんと一緒に生きて戻ってくるから。だから」



 さえぎるようにして沙織が口を開く。織斗にはわかる。声音こわねが一段階低い。間違いなく静かな怒りがこもっている時の母親だ。



「織斗、その自信はいったいどこから来るというの。生きて戻ってくる。よくも簡単に口にできるわね」



 抑揚よくようを廃した口調だけに沙織のすごみだけが際立っている。助力しようと想っていた綾乃も汐音も、初めて目の当たりにする沙織の怒りに言葉を失っている。



「優季奈さんを一途に想う気持ちは尊いわ。それと一緒に行くのとは全く別問題よ。子供を守るのは親の責務なの。このような状況で許可など、とてもできないわ」



 沙織の視線に射貫かれた織斗は固まってしまっている。その視線がわずかにやわらぎ、横に座る利孝に向けられる。



「お母さんの言うとおりだ。今の織斗は、優季奈さんと一緒にいたいという想いがあまりに強すぎて空回りしている。明らかに頭と心が一致していないだろう」



 先ほど口を開こうとしていた鞍崎慶憲は、ここまでの展開を冷静に分析しながら、それぞれの動向を注意深く観察している。



(鷹科たかしな君や真泉まいずみ君は圧倒されているな。利孝君の奥方、想像どおりといったところか。さすがに大人でも言葉を封じられるだろう。利孝君の言葉も的を射すぎている。織斗少年は優季奈を中心に物事を捉えすぎている。やむを得ないとはいえ、これでは誰にも認められないだろう)



 ここで鍵となるのは誰なのか。鞍崎慶憲は自分自身と、そしてもう一人いると考えている。



「こういう展開になるのはおよそわかっていたことだが、一度落ち着こうか。鷹科君、紅茶をもう一杯お願いできるか」



 息が詰まりそうなところでひと息入れるのは誰にとっても好都合だ。


 綾乃がすかさず立ち上がる。釣られて優季奈と沙希も続こうとしたところで、鞍崎慶憲が声をかけた。



「路川君、君だけは残ってくれ」

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