第072話:埋葬の地における死者の復活

 やはり三年間の空白は大きいということか。綾乃あやのからしてみれば、その点も大きな疑問の一つだった。


 亡くなった時点で精神年齢は止まっているにもかかわらず、肉体は現時点での年齢、すなわち十八歳だ。それ以外のところはどうだろう。綾乃が優季奈ゆきなから聞いた限りでは、記憶は精神年齢同様だ。


 知識はというと、亡くなってから生き返るまでの世間一般的な動向や常識といったものは不思議と身についている。これは神月代櫻じんげつだいざくらそばに立った時点でその状態にあったということだ。



「ごめん、優季奈。もう少し優しい言葉で話を進めるね」



 うなづく優季奈を見てから綾乃が推論を続ける。



「願いの強さと深さこそが神月代櫻のかてであり、生命力の源よ。そして、それらを受けて神月代櫻の生命力が輝く時、そう、文字どおり輝くのよ。二つの世界、すなわち死者の世界と生者の世界が結ばれる。神月代櫻そのものが架け橋となってね」



 優季奈は無論のこと、沙希さきも沈黙を守っている。綾乃は不安になりながらも、締めとなる言葉をつむいでいく。



「この推論に基づいて、優季奈の一件を当てはめてみるわね」



 優季奈が生きたいという切なる想い、織斗のもう一度逢いたい、言えなかった言葉を告げたいという想い、二人のそれぞれの両親と優季奈の叔父の想いなど、それら全てが神月代櫻のもとで一つとなって昇華し、強く深く浸透していった。


 神月代櫻はそれらを糧として樹内に取り込んで生命力に変え、結果として命の還元が行われた。



「何の確証もないのはわかっているわ。でも、私の推論にどこか矛盾はあるかな」



 沙希がすかさず応じる。



「矛盾はないわね。綾乃の推論どおりに定義すればね。優季奈が生き返った筋道も理解できる。ただ、確証は何もない。だから、私が知っている限りで補完してあげる」



 沙希の言葉に綾乃が頷き、口を開く。



「ちょっと待って。沙希の話を聞く前に、私の推論はあくまで優季奈が生き返ったところまでなのよ。生き返った後のことや、それに伴う三つの代償については何もわかっていないわ。本当はその部分が一番知りたいのだけど」



 綾乃の目が沙希に問いかけている。ひたむきな真剣さが伝わってくる。それほどまでに優季奈を大切に想っているのだろう。沙希はそんな優季奈と綾乃の関係が羨ましくてならない。



「あなたたちの関係、本当にいいわね。どうしてか、私の気持ちを穏やかにしてくれる。残念だけど、生き返った後のことは私にもわからない。私なりに調べてはみるけど、聞いた方が早いわね」



 それについては後から教えるということで、沙希は綾乃の推論の肉付けから始めていく。



「神月代櫻が優季奈に語って聞かせたという話は、路川家みちかわけに残る古文書にも記されているわ。漢文を簡単に書き下したものと照合すると、おおむね優季奈の言葉どおりね。ただ、幾つかの齟齬そごがあるわ」



 沙希が指摘したのは三点だ。一つは生命の大樹、一つは願いの強さと深さ、一つは架け橋という言葉だ。もちろん路川家に残された古文書が絶対的に正しいとは限らない。文字として残されている分、何世代も経た口伝くでんよりは正しいだろう。ただそれだけだ。



「文字になっているとはいえ、大元は口伝よ。それ自体が間違っていたらどうしようもないわ。また、文字そのものの記載間違いだってあり得るわ。それを大前提として進めるわね」



 沙希はいったん立ち上がると本棚から数冊のノートを取り出し、綾乃と優季奈の前に広げてみせた。ノートは全部で五冊だ。



「全てを解読するだけの能力はないから、気になった部分、興味を持った部分だけを書き下し文にして、さらに口語体にしているわ。私なりの注釈も含めてね。もちろん、人伝ひとづてに聞いた話もあるけど」



 ノートには流れるように美しい文字がびっしり書きこまれている。いかにも沙希らしい。その内の一冊を手にした沙希が該当部分を読んでいく。



「まずは生命の大樹からね。この言葉はそもそも古文書に出てこないの。神月代櫻は樹齢千四百年余と伝えられているわ。当時、あの辺一帯は埋葬の地だったの。至る所に野辺送のべおくりのみちがあったらしいわ。その象徴として植えられたのが神月代櫻なのよ」



 綾乃が沙希の話を聞きながら、テーブルに置かれた他のノートを手に取ろうとしている。几帳面な沙希らしい。ノートの表紙に通し番号とともに、いつ頃解読したかの日時まで記載されている。


 沙希が音読しているノートは、五冊の中では二番目に古いものだ。綾乃は迷わず最も古いノートを手にして、表紙をめくった。沙希も気にしないのか、綾乃の好きなようにさせている。



「そう、あそこは埋葬の地だったのね。初めて知ったわ。ということは、神月代櫻は鎮魂のために植えられた、ということなのかな」



 目次を見た綾乃は、沙希の整理の巧みさに驚きつつ、インデックスが貼られた目当てのページへ飛ぶと、探したかった言葉を即座に見つけ出す。



(沙希とは意外に気が合うのかも)



 綾乃同様、沙希も気になっていたのだろう。その言葉を丁寧に赤字で強調している。赤字にしている言葉は他にも幾つか見かけられた。



「鎮魂の櫻、今の時代とは比べるまでもなく、人は簡単に死んだ。貴族でもない庶民ならなおさらね。死者を見送った人々は心から願う。復活あるいは蘇生、櫻に祈りを捧げる。儀式的なものが行われていたのかもしれない」



 沙希が感嘆かんたんのため息をこぼしている。



「綾乃はすごいわね。埋葬の地において、死者の復活のための儀式が執り行われたとの記載があるのよ。西暦で言えば七百年代以降かな。その時の神月代櫻の樹齢はおよそ百年から百五十年くらいと言ったところね」



 沙希は手にしていたノートのページをめくりながら説明を続ける。そのかたわらで優季奈が心配なのか、時折視線を傾け、彼女からの合図を待つ。首を縦に振ったら前に進めて、横に振ったら改めて言葉を変えての説明のやり直しだ。


 普段の沙希なら、間違いなく苛立っていただろう。相手が優季奈だからだろうか。不思議とそういった気持ちが全くきあがってこない。



(こんな感覚、初めてね。優季奈がそれだけ特別な存在ということなのかもしれないわね)



 沙希の優季奈に対する関心度は高まるばかりだ。



「今の私の言葉を聞いて、綾乃も優季奈も何かひらめいたりしない」



 その答えは沙希と綾乃が手にしていない、別のノートに記載している。沙希はあえて取り上げず、二人に問いかけている。昨今、中学校や高等学校で使う一部の教科書には、その答えとともに最も有名な人物の名前も出てくるらしい。



「私が閃くとしたら、陰陽師おんみょうじかなあ。その年代くらいだよね。彼らが台頭し始めた頃って。死者の復活を願う儀式、泰山府君祭だったかな」



 沙希はもちろんのこと、綾乃でさえ目を丸くして優季奈を凝視する。これほど早く答えが出るとは考えていなかっただろう。二人の表情から敏感に察したのだろう。



「私、本が好きだから。入院している時にたくさん読んだんだよ。陰陽師に関する本もかなりいろいろと読んだなあ。懐かしい」



 沙希も綾乃も想った。優季奈、頼りなさげに見えて、あなどがたしと。


 優季奈にしてみれば、二人の感情は手に取るようにわかってしまう。ただただ苦笑を浮かべるしかなかった。

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