第073話:死者蘇生と寿命延長

 綾乃あやの優季奈ゆきなに向ける目は何とも優しく、誇らしげでもある。沙希さきが横でしきりにうなっている。



(これ、どう見ても可愛い妹を褒めたたえている姉の目よね。優季奈を前にしたら、綾乃でなくても。どうも不思議な感覚ね)



 わざとらしい咳払いを一つ、沙希が優季奈に問いかける。



「優季奈は陰陽師おんみょうじに詳しそうね。泰山府君祭たいざんぶくんさいについて、どこまで知っているの」



 そこまで詳しくないと言いつつ、優季奈は要点だけをまとめて端的に答えた。



「本来は国家祭祀さいし、宮中でのみ執り行われていたと書いてあったかな。時代が下るにつれて、かなり高位の貴族にも広がったみたい。でもね、泰山府君祭って死者蘇生のためではなく、長寿延命のための儀式だって。死者を復活させたという記録はないみたい」



 沙希がうなづいている。さすがの綾乃もこの分野にはうといのか、いささか悔しそうな顔をしている。



「そうね。泰山府君こと東岳大帝とうがくたいていは道教の神で泰山の神、泰山は死者の霊が集まる場所と考えられている。泰山の神は冥界の最高神でもあり、人の寿命や在世での地位をつかさどると言われているわ。日本では、あの閻魔えんま大王とも同一視されたりするわね」



 沙希はその辺の内容が完璧に頭に入っているのか、何も見ずに淀みなく答えていく。


 綾乃は素直に想った。本当にもったいななあと。本気を出せば響凛きょうりん学園高等学校トップと言った言葉にも大いに頷ける。そんな綾乃の表情を知ってか知らでか、沙希は淡々と言葉を繰り出していく。



「優季奈、すごいね。この時代の歴史の話は綾乃となら突っ込んでできそうだけど、陰陽師を絡めてとなると無理よね」



 沙希の視線を受けて、綾乃が渋々といった様子で仕方なさそうに頷いている。



「私が古文書で調べた限り、神月代櫻じんげつだいざくらを舞台にして泰山府君祭が執り行われた記録があるのよ。それも一度や二度ではないわ。当時、神月代櫻のある一帯を統治していた有力者の請願せいがんで都より陰陽師がつかわされたの。ちなみに、それは路川みちかわ家の祖先ではないわよ」



 優季奈が首をかしげている。それはどちらの意味での泰山府君祭だろうか。寿命延命か、あるいは死者蘇生か。


 今昔物語こんじゃくものがたり(巻第一九第二四話「代師入太山府君祭都状語しにかわりてたいざんぶくんのまつりのとじょうにいるそうのこと」)には安部晴明あべのせいめい三井寺みいでらの名僧の命を救った話が載っている。


 中世の陰陽師たちにとって、泰山府君祭は秘匿ひとくされた儀式でもなく、ごく一般的なものだったようだ。いわば作法さえ正しく守れば、陰陽師なら誰でも可能となっている儀式だと言えよう。



「優季奈は死者蘇生ではなく、寿命延長だと考えているのでしょ。半分正解、半分不正解よ。古文書に記されているの。死者を現世に呼び戻し、さらに寿命を授けるために執り行われたってね」



 沙希の言葉に優季奈は息を呑む。



「神月代櫻を舞台に泰山府君祭、でもこの儀式では死者復活は考えられない。そうだよね、沙希ちゃん。もしかして、その二つに成功したという記述があったりするのかな」



 期待半分で優季奈が問いかける。



「あるわ」


「ないに決まって、えっ」



 沙希と綾乃、同時に発した言葉がかぶさって、実に聞き取りにくい。三人が三人ともそれぞれの顔を見回して、思わず笑い出してしまった。



「それ、本当なの。具体的には何と書かれているのよ。気になって仕方がないじゃない」



 せっついてくる綾乃を微笑ましく見ている優季奈、さも面倒そうにあしらう沙希、実に好対照だ。



「これから説明するんだからあせらないでよ。それに記載はあっても、正しいとは限らないのよ。願望をさも真実のように記している可能性だってあるんだから」



 沙希が釘を刺してくる。過度に期待するなということだろう。



「ねえ、沙希ちゃん、ちょっと考えてみたんだけど、ここで話してもいいかな」



 これまでずっと聞き手に徹していた優季奈が初めて自らの考えを表に出そうとしている。綾乃も沙希も驚きつつ、優季奈が真剣になるのは至極当然だった。自身の秘密に少しでも迫りたいという想いは誰にも負けないだろう。



「優季奈の意見、ぜひ聞いてみたいわ。ねえ、綾乃」



 綾乃が即座に頷いて、優季奈に視線を動かす。



「泰山府君祭はあくまで寿命延命のもの、だから死者復活はこの儀式がもたらす効果ではない。一方で、沙希ちゃんの家に伝わる古文書には死者を現世に呼び戻したとの記載があるんだよね。それなら、泰山府君祭ではない、別の儀式が関与しているんじゃないかな」



 言葉を切った優季奈に対して、沙希の目が、話を続けてと促してくる。綾乃も同様だ。



「神月代櫻が私に語りかけてきた時、陰陽師の話は全く出なかったよ。死者の復活には関係ないと想うんだ。もし、泰山府君祭が関わっているなら、それは生き返った後の寿命に限るんじゃないかな」



 綾乃が尋ねてくる。



「泰山府君祭とは切り離して考えるということね。沙希、神月代櫻を舞台にした理由は書かれているの」



 沙希がノートに記載している該当部分に目を走らせ、言葉にする。



「神月代櫻だけが舞台ではないわ。やしろほこら、そして光、この三つは絶対に欠かせない要素になっているみたい。社と祠は一体のものとして考えられるわね。もう一つの光が何を意味しているのか、具体的には記されていないわ」



 綾乃と優季奈がそろって口を開こうとして、優季奈が綾乃に譲った。



「儀式、社に祠とくれば、光は炎じゃない。祭壇のようなものを組み上げているのでしょう。私ならすぐに火を想像するけど」



 沙希からの応答はない。綾乃の言葉を受けて、次は優季奈が答える。



「光、私は月の光じゃないかと想うの。この姿で神月代櫻のそばに立った時、頭上には美しい満月が輝いていた。どうしてか私は全身ずぶ濡れ状態だったんだけど、月の光が守ってくれていたような気がするの。だから寒さを全く感じなかった」



 沙希が驚くほど大きな声をあげた。叫声きょうせいと言ってよいかもしれない。



「それよ」



 優季奈はもちろんのこと、あまりに例外づくめの沙希を前にした綾乃も、いったい何事かと慌てて様子を確かめる。



「ごめんなさい。驚きのあまり、大声を出してしまって。そう、そうよ、どうしてこんな単純なことを考えられなかったのか。私も今の今までは炎だと想っていたけど、そうよ、光は月光よ。間違いないわ。ありがとう、優季奈」



 沙希は手にしていたノートを二人の前に向けて、これを見て、とばかりに広げた。

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