第071話:神月代櫻の還元

 ため息を一つこぼし、沙希さきが続きを引き取る形で言葉を発する。



「また途中で口を挟むような真似はしたくないけど。まさに綾乃の言ったとおりよ。神月代櫻じんげつだいざくらは人の想い、愛する者への痛切な想いをかてにして生命力を維持しているの。なぜ、そう言い切れるのか。その話をするには神月代櫻の歴史そのものを紐解ひもとかなければならない」



 沙希はそこで区切ると、綾乃あやのが入れてくれたマルコポーロを味わうように口に含む。



「さすが綾乃セレクト、本当に美味しいわね。優季奈ゆきなも飲んでみて。砂糖が要るのでしょ。好きなだけ入れていいわよ」



 甘党の優季奈は早速とばかりに、いきなりスプーンを砂糖の容器に入れると、すり切れどころか山盛りにして、そのままティーカップに放り込もうとしている。



「ちょ、ちょっと優季奈、それは」



 綾乃にしてみれば、まさしくあり得ない状況なのだろう。すかさず制止しようとするも、後の祭りだ。大量の砂糖は既に優季奈のティーカップ内に遠慮なく注ぎこまれていた。


 綾乃と沙希、実に対照的な表情を浮かべている。



「うん、沙希ちゃんが言ったとおり、すごく美味しいね。お花の香りとフルーツの甘酸っぱさなのかな」



(よくもそれだけ砂糖を入れて、香りや味がわかるわね)



 思わず心の声がれ出そうになっている。そこを何とか自制して呑みこむ。苦いお茶を一気に喉に流しこんだような渋い表情は消せはしない。



 一方で沙希はこの状況を完全に楽しんでいる。


 はたから見れば、砂糖の味しかしないだろう紅茶を悠然と飲む優季奈、そんな優季奈を異物でも見るかのようにあきまなこを浮かべている綾乃、二人を何度も交互に眺めつつ、遂には声をあげて笑い出してしまった。



「珍しいわね」


「やっぱり可愛い」



 綾乃と優季奈、これはひとえに沙希と接してきた時間差が生み出す反応だ。学校で笑い顔など見せない沙希を見慣れている綾乃、先ほど見せた小さな笑みが印象に残っている優季奈、どちらも沙希の特徴をつかんでいるのは間違いない。



「あなたたち、今からでも遅くないから本当の姉妹になったらどう。それに、優季奈、あなたには周囲の人たちの力が今以上に必要になってくるわ。綾乃、風向かざむかい君、汐音しおん、そして私だけでは手に負えなくなる。確実にね」



 意味深な言葉を突如として投げ落とす沙希に、優季奈も綾乃も無言のまま身じろぎ一つしない。



「ところで、綾乃の推論はまだ終わっていないわよね。最後まで続けてくれない」



 唐突に話題を切り替えるところも沙希らしい。この場合は本筋に戻すという意味でも正しい判断だ。



「今から言うことは、本当に私の想像の域を出ないのよ。だから、笑わないで聞いてね。それくらい突拍子とっぴょうしもないことなの」



 沙希が鋭い目で、前置きはいいから早く話せとけしかけてきている。横で優季奈は苦笑を浮かべるだけだ。



「わかったわよ。そんなににらまないでよね。そう、神月代櫻は生命の大樹であり、それこそが真の姿だと優季奈に語ったわ」



 綾乃の視線を受けて、優季奈が小さくうなづいている。



「生命の糧、源となっているのは人の願い、それは想いと同義、強く深い愛の想いよ。すなわち、神月代櫻は人から得た想いを己の生命力へと変換し、成長し続けている。ここまでは簡単に組み立てられる推論よ。問題はここからなの」



 いや、全く簡単ではないだろう。頭脳明晰な綾乃だからこそできる芸当だと、優季奈も沙希も突っ込みを入れたくなっている。



「神月代櫻は樹齢が既に一千年を超えているのに、全く衰弱していないわ。私には植物の、とりわけ桜の成長限界がわからないから、具体的な説明はできないけど、成長限界を迎える前に余剰の生命力を還元している。だからこそ、たくましい姿を維持できているんじゃないか、そう考えてみたの」



 沙希がすかさず尋ねてくる。



「余剰の生命力を還元ね。どうして、神月代櫻がわざわざそんなことをするの。植物も生物と定義されているけど、樹木の還元といえば光合成でしょう。生命力なんてものを、いったいどうやって還元するというの。仮に余剰しているとしても、樹内じゅないに蓄えておけば済む話じゃない」



 沙希の鋭い指摘は至極真っ当だ。



「ごめん、綾乃。また口を挟んでしまって」



 綾乃は気にもしていないのか、むしろ歓迎しているようでもある。綾乃も沙希同様、当然その部分に疑問を持ったうえで言葉にしているのだ。



「還元という言葉で伝わらないなら、こう置き換えてもいいわ。神月代櫻は人から想いを与えられて成長する。そのお返しとして自らの生命力を人に分け与える。それが死者の復活なのよ。もしそうだとすると、沙希が神月代櫻はとても特殊な樹木と言ったことにも大いに頷けるわ」



 あまりに壮大な、あまりに現実離れしている綾乃の推論を前にして、優季奈は完全に置いてけぼりを食らっている。



「なるほどね。ああ、もうだめね。ついつい尋ねかけてしまう。綾乃の推論を全て聞いてからと想ったけど無理だわ」



 ここからは綾乃と沙希の問答形式になるだろう。沙希が推論の続きを再び綾乃に促す。



「それと、もう少し噛み砕いて説明した方がいいかもよ。ほら、優季奈がちょっとついていけてないみたいだから」



 優季奈のために言っておくと、彼女も十分すぎるほど賢い。鞍崎慶憲くらさきよしのり荒業あらわざ響凛きょうりん学園高等学校に転入したとはいえ、担任の磯神和奏いそがみわかなも認めるとおり、学力に何ら問題はない。


 学年一位か二位の綾乃、本気さえ出せば綾乃をも上回るに違いない沙希の頭脳があまりに明晰すぎるのだ。



「綾乃ちゃんも、沙希ちゃんもね、頭の回転が早すぎるから。ちょっとついていくのが大変かなあって」

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