第085話:新たな依代と過去の邂逅

 佳那葉かなはの語りが続く。


 朔玖良さくら神社にとって最も重要なほこらは失せて久しく、今では痕跡こんせきさえ探せない。


 当然のことながら、路川家みちかわけにも廃仏毀釈はいぶつきしゃくの波が押し寄せた。朔玖良神社は木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめまつるれっきとした神道しんとう系譜けいふであり、その対象でないことは明らかだ。


 にもかかわらず、無知な民あるいは路川家には豊富な財が蓄えられているとにらんだ一部の略奪者が廃仏毀釈の名を借りて朔玖良神社を破壊し尽くした。



「祠を失ったことで、現世うつしよ幽世かくりよつなぐ大切な架け橋を失ってしまった。宮司ぐうじ櫻守さくらもりも大いになげいたわ。路川家が人生の全てをけて守護してきたものよ。はい、これでお仕舞とはいかないわね」



 朔玖良神社の祠の力は絶大だ。決して相容あいいれない二世ふたよを結ぶ力を蓄え続けてきたのだ。朔玖良神社は祠を守護するためのいわば巨大な結界であり、路川家はその維持に全力を尽くしてきた。



 朔玖良神社そのものの由緒ゆいしょは不明だ。路川家が、さらにはその数代前の一族がこの地を統治していた頃より存在したと伝えられている。路川家の古文書にもいわれなどは記されていない。



「祠にたてまつ木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様の御霊みたま遷座せんざしなければならない。そのための依代よりしろ早急さっきゅうに必要になったの」



 織斗おりと優季奈ゆきなも依代が何であるか、すぐさま頭に浮かんだのだろう。二人そろって振り返ると、雄大な姿を誇示する神月代櫻じんげつだいざくらあおぎ見た。二人の瞳には畏敬いけいの念がこめられている。



「その依代こそが神月代櫻なのですね。では、廃仏毀釈によって祠が破壊されるまでは、祠と神月代櫻の有する機能、その言葉が相応ふさわしいのかはわかりませんが、は全く別物だったということでしょうか」



 祠が二世ふたよを繋ぐ架け橋なら、神月代櫻にその役割はない。単純に考えれば、鎮魂ちんこんのための大樹ということになる。果たしてそうなのだろうか。


 沙希さきの話では、神月代櫻を舞台として泰山府君祭たいざんぶくんさいり行われていたという。それは決して廃仏毀釈が起こった明治時代の話ではない。織斗は首をかしげ、はたと気づく。



「佳那葉さん、もしかしておっしゃっている廃仏毀釈は明治時代ではない。もっと昔の出来事なのではありませんか」



 正解よ、とばかりに笑みを浮かべて佳那葉がうなづく。



風向かざむかいさんは博識で頭の回転も早いのね。素晴らしいわね」



 織斗はすかさず首を横に振った。



「そんなことはありません。鷹科たかしなさんや汐音しおん、それに沙希さんもです。私よりも優れていますから」



 謙遜けんそんではなく、心からそう想っている。綾乃あやのと汐音は間違いなく響凛きょうりん学園高等学校の双頭であり、そこに沙希が加わればトップスリーの構図は確実に変わる。



(トップスリー陥落が悔しく想えないんだよな。三者三様、俺も含めると四者四様か、それぞれに得意、不得意分野がある。俺なんて、もともと学校の勉強がきらいだったわけだし)



 織斗の中学時代の成績は、いて言うなら中の上といったところだ。それを押し上げたのは皮肉にも優季奈の死だった。漠然ばくぜんと主治医の加賀、優季奈の主治医だった長谷部たちにあこがれ、医師になりたいという強固な想いが形成された。


 そこから受験までの一年間、死に物狂いで勉強して響凛学園高等学校に晴れて合格した。織斗にとって、成績ランキングなど正直なところどうでもよく、ただ医学部に現役合格できるだけの学力が維持さえできれば満足なのだ。



「沙希をそんなふうにめてくれて嬉しいわ。そうね。風向さんのような人が沙希と一緒になってくれたら私も安心できるんだけど」



 佳那葉がとんでもない爆弾を落としてくる。予想だにしなかった発言に織斗は戸惑いつつ、優季奈に目を向けるよりも早く痛みが襲ってきた。


 優季奈は無意識の中の行動だったのだろう。織斗の手を握り締める力は、とても普段の優季奈からは想像さえできないほどだった。手を握り合っていたのだ。織斗は甘んじて耐えるしかない。



「あら、ごめんなさいね。風向さんには優季奈さんしか見えていなかったわね。それにしても不思議な縁よね。あの時の少年が、こんな立派な青年になっていたなんて」



 佳那葉の言葉の意味が理解できない織斗はただただ困惑するばかりだ。



「風向さんは気づいていないのでしょう。沙希と風向さんは中学三年生に上がる直前、出逢っているのよ。まさしく、この場所でね」



 織斗も優季奈も驚きの表情を浮かべて、互いに顔を見合わせている。



「織斗君は沙希ちゃんに気づかなかったの。あれほどの美人だよ。一度見たら忘れられないと想うんだけど」



 確かに優季奈の言うとおり、世間一般的に見ても沙希は美人だ。織斗は全く記憶がない。そして、見たとしても恐らくは、いや間違いなく記憶にすら残っていないだろう。なぜなら、佳那葉の言ったその時期は、織斗にとっての最悪の時期だったからだ。


 優季奈ではなく佳那葉に向かって応える。



「すみません。佳那葉さんが仰るとおり、出逢っていたのかも、いえ出逢っていたのでしょう。ですが、優季奈ちゃんを失った私は何も考えられず、何かをする気力もなく、ひたすら哀しみのからに閉じこもっていました」



 その時の記憶が蘇ってくる。この地を訪れた織斗は神月代櫻を呆然ぼうぜんと見上げていた。


 どんな表情をしていたかは想い出せない。確実に言えるのは、あの時の織斗は神月代櫻を好きになれなかった。むしろ優季奈を連れ去った根本原因だと想いこみ、恨みさえしていた。



(今でも、その気持ちがなくなったわけじゃない)



「私がここに来たのは優季奈ちゃんのお母さん、美那子みなこさんとの約束を果たすためでした」



 佳那葉は頷くと、織斗に先んじて言葉を発する。



「大切なものを埋めに来たのね。風向さんは神月代櫻を前にして、同じ姿勢を崩さず立ち尽くしていたわね。そんなあなたを沙希が見つけた。血相を変えて私を呼びに来たわ。あなたが自殺するんじゃないかと想ったそうよ」




 沙希が見つけた時、織斗は神月代櫻に最も近づける限界位置に立っていた。そこから一歩でも踏み込んだら大声で注意しよう。沙希はそう心に決めて、遠く離れた場所から織斗の行動を注視していた。



「全く動かないわね。こうなったら根比こんくらべね。私に勝てるとは想わないことよ」



 この頃から沙希は全くぶれない。一度ひとたび関心を抱いたら最後、とことん突き詰める。織斗に何を視たのかは沙希に尋ねるしかない。


 織斗はまるで生気が抜けたかのごとく、神月代櫻を仰ぎ見ながらひたすら立ち尽くしている。


「あれから一時間よ。自殺でもしそうな雰囲気ね。どうやら私の手には負えそうにないわ」



 目を離した隙に自殺するのではないか。万が一も考慮しつつ、沙希は即座に行動に移す。最も頼りになる祖母の佳那葉を呼びに行ったのだ。佳那葉を連れて、ここに戻ってくるまでのおよそ五分がどれほど長く感じられたか。



「お祖母ばあちゃん、あの子なの。かれこれ一時間もあのままよ。何か、視える」



 櫻守たる佳那葉は一目ひとめ見るなり、織斗の心の深い哀しみを感じ取っていた。



「沙希と同じぐらいの男の子ね。それなのにここまでの深い哀しみを抱えている。絶望と言った方がいいかもしれないわね。心が壊れてしまわないか心配ね」



 刹那、織斗が天に向かって絶叫した。沙希も佳那葉も一瞬たりとも目が離せなくなっている。



「どうして、死んじゃったんだよ。どうして、俺を置いて行ってしまったんだよ」



 心の奥底から絞り出したかのような悲痛な叫びだった。


 ひざから崩れてしゃがみこんだ織斗は、緩慢かんまんな動作でかばんから大切なヘアクリップアクセサリーを取り出す。


 沙希は固唾かたずんで見守っている。先ほどまでの決意はどこへやら、織斗が何をするのか最後まで見極めたかった。



「あっ」



 ため息にも似た言葉がこぼれる。


 織斗は両膝をりながら、意にも介さず神月代櫻のすぐそばまでにじり寄っていく。既に織斗は限界位置を越えてしまっている。警告と共に今すぐめさせなければならない。意思に反して、今度は沙希が動けなかった。



「お祖母ちゃん」



 それ以上続かない。沙希は土壇場で迷いが生じている。


 なぜ、限界位置が定められているのか。それより先はいわば禁足地きんそくち、そのための目には視えない結界なのだ。常人ならここで忌避や畏怖といった感情を覚え、おのずと引き返す。それが織斗には通じなかった。



 佳那葉には沙希の声が届いているはずだ。にもかかわらず、何も応えてくれない。それは沙希への信頼からか、あるいは他の理由にるものか。



「お祖母ちゃん、あの子をあのまま行かせてあげていいかな」



 沙希自身、なぜこのような発言をしているのかわからない。路川家に生きる者として、織斗の行為は許してはならない。



「沙希の直感は正しいわ。彼の哀しみとその姿に深く胸を打たれたのでしょう。それに神月代櫻も彼を見守ってくれているわ」



 沙希には視えずとも、櫻守たる佳那葉には視えている。それが何かとあえて尋ねる沙希ではない。



「あの子、何かを埋めているみたい」



 沙希の小さな呟きに佳那葉が応じる。



「恐らくは死者の形見でしょう。これもまた因果なのかもしれないわね」



 不思議そうに佳那葉の横顔を見つめ、沙希が問いかける。



「お祖母ちゃん、それはどういうこと」



 柔和な笑みを浮かべた佳那葉が沙希に視線を向けてくる。それだけで沙希には十分伝わった。



「あっ、応えなくていいわ。お祖母ちゃん、私も母と同じく、櫻守を継ぐつもりはないから」



 この時、既に佳那葉には視えていた。沙希は必ず櫻守を継ぐだろう。そして、そのきっかけを作ったあの少年と再会するだろうこともだ。



 織斗は佳那葉の説明を聞いて、今さらながらに想い返している。



 入学早々、汐音と問題を起こして、その後に沙希を紹介された時のことだ。沙希は一目見るなり、不思議な顔を浮かべてこう言ったのだ。



「君はあの時の。そう、風向君と言うのね。まさか同級生だったなんてね。ところで、私を、覚えていないわよね」

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