第079話:新しい五人の関係

 沙希さきの話はなおも続く。



路川みちかわ家としての責務、櫻守さくらもりを祖母から引き継ぐには少なくとも一年かかるわ。大学に入って落ち着くまでは無理よ。しかも、櫻守になったとしても簡単に知識の全てが手に入るわけではない。私はこれまで距離を置いてきたわけだしね」



 沙希はひと息つくと、冷めてしまったコーヒーを飲み干す。気を利かせた綾乃あやのが通りがかった店のスタッフを呼び止める。お代わりの注文前に四人の顔を見回す。変更はないかの確認だ。



「俺、アイスコーヒーで」


「あっ、私もアイスティーをお願いします」



 汐音しおん優季奈ゆきな以外は変更なし、綾乃が手際よく注文を済ませる。スタッフの女性は綾乃からの注文にうなづくと、きびすを返してすぐさま去っていった。双葉ふたばによるスタッフの接客指導は完璧なようだ。



「双葉姉さん、スタッフ教育は徹底しているからな。しかも、日本流の接客方法は取り入れていない。店のスタッフと客は対等なんだ。時々いるんだよな。お客様は神様だってふんぞり返ってる奴がさ」



 汐音の表情を見れば、そのふんぞり返った客がどうなったか一目瞭然だ。



「どうせ、お店のスタッフさんに偉そうにしていたんでしょ。そこを双葉さんに論破されて叩き出された。目に浮かぶわね。双葉さんのカウンセリング、ある意味で怖いぐらいだもの」



 綾乃が想い出したかのように身体を震わせている。


 汐音との間には、まだまだぎくしゃくとしたところが感じられるのは仕方がないだろう。いずれ時が解決してくれるとはいえ、簡単に消えるものでもない。それでも互いに歩み寄っていこうという姿勢は二人から窺えた。



(真泉まいずみ君には織斗おりと君が、綾乃ちゃんには沙希ちゃんと私がついているもの。だからきっと大丈夫だよ)



「路川さんは、どうしてそこまで優季奈ちゃんのために」



 問われる意味がわからないとばかりに沙希が不思議そうにしている。どう応えようかとわずかに思案したのも束の間、やはり沙希は沙希だ。



「変な質問ね。優季奈の力になってあげたい。そう言ったら傲慢ごうまんかもしれないけど、その気持ちに理由など必要なの」



 沙希の言うとおりだ。人を助けるのに理由など要らない。そして、理由は後からついてくるものだ。


 汐音でさえ沙希には勝てないのだ。汐音よりも口下手な織斗が対抗などできるはずもない。さすがに沙希も気の毒に想ったのだろう。



いて言うなら、風向かざむかい君と同じよ。私も優季奈が好きだから。もちろん、私が優季奈と接した時間などしれているわ。でもね、好きになるのに時間は関係ないでしょ」



 まさしく正論だった。織斗も初めて出逢ったあの一瞬で優季奈を好きになったのだ。



「そうだね。路川さんの言うとおりだよ。優季奈ちゃんのために、本当にありがとう」



 座したままの織斗が沙希に向かって、テーブルに額がつくほどに頭を下げる。



「お、織斗君」



 優季奈のつぶやきがれる。沙希は表情一つ変えない。



「そんな必要はないわ。少なくとも、ここにいるみんなは同じ想いでしょ。あっ、汐音だけは違ったかもしれないわね」



 汐音が目をいて抗議の声を上げる。



「おい、何で俺だけ仲間外れなんだよ。俺だってな」



 珍しく織斗が汐音の言葉をさえぎる。



「汐音があの時言ったことは忘れていないからな」



 根に持っていたとしても、さすがに織斗も鬼ではない。何よりも優季奈を前にして、その言葉を口にするほど愚かでもない。四人の視線がいっせいに注がれ、優季奈がたじろいでいる。



「汐音は優季奈の存在をうとましく想った。そうでしょ」



 織斗が躊躇ためらったにもかかわらず、沙希は遠慮なく言葉にした。無論、汐音が語ったとおりではない。



「えっ、私」



 優季奈はそれ以上言葉にならない。



「汐音の気持ちもわからないではないわ。正直に言うと、三人の関係は良好に見えて、一つの些細ささいなきっかけで壊れるほどの危うさだった。少なくとも私にはそのように見えたわ。私以上に感情を読み取るのがたくみな優季奈にはひと目でわかったんじゃない」



 沙希が確認を求めてくる。優季奈は小さく首を横に振ってから言葉を発する。



「私が鞍崎凪柚くらさきなゆとして転入してきた初日、綾乃ちゃんが織斗君を好きだというのはすぐにわかったよ。あの屋上での出来事は追認でしかなったもの」



 気まずそうに綾乃と視線を交わし、互いに苦笑を浮かべる。当時の険悪な雰囲気は全くない。二人の関係は嘘のように穏やかだ。



「真泉君が綾乃ちゃんをどう想っているのかに気づいたのはそれからしばらくしてからだから。その話はつい先日、織斗君にもしたの」



 汐音が驚いている一方で、聞いたばかりの織斗は黙って頷くだけだ。



「そして、鞍崎凪柚ではない。風向君が真名まなである佐倉優季奈さくらゆきなと認識したその時、三人の関係は終わりを告げたのよ。その責任は三人それぞれが等しく負うべきであって、誰か一人がというものではないわね」



 いつの間にやって来たのか。少し離れた位置から双葉がそれぞれの様子をうかがっている。明らかにカウンセラーとしての立ち位置だ。



「ここから五人の関係が始まるというわけね。女三人に男二人、ちょうどいいんじゃない」



 織斗と汐音の横、余っている椅子に双葉がさも当然のように腰を下ろすと同時、スタッフの女性がケーキをテーブルに並べていく。それを見た優季奈が目を輝かせている。綾乃と沙希とは好対照だ。



「沙希ちゃんと綾乃ちゃんは少しせすぎね。もう少しふっくらした方がさらに魅力が上がるわよ。それに比べて優季奈ちゃんは可愛らしいわね。美味しものを見て目を輝かせる。私たち飲食業に携わる者にとって、何よりのご馳走ちそうよ」



 双葉の言葉を受けて、綾乃と沙希の視線が優季奈に注がれる。見ているのは顔ではない。



「な、何かな。綾乃ちゃんも、沙希ちゃんも、ちょっと目が怖いよ」



 綾乃を差し置いて、すぐ隣の沙希がにじり寄ってくる。



「優季奈、ちょっと確かめるから大人しくしてなさいね」



 優季奈の許可なくして、沙希がいきなりあちこちをさわり始める。



「ちょっと沙希、何しているのよ。私に断りもなく、もう、私もまぜなさいよ」



 男二人は、いったい何をやっているんだと半ば呆然ぼうぜんとしつつ、双葉は微笑ましく眺めている。



「優季奈って幼児体形に見えて、実は、なのよね」



 逃げたくても逃げられない優季奈を入念に調べる沙希と、その沙希が邪魔になってなかなか手を伸ばせない綾乃だった。



「なあ、織斗、こんなのを見せつけられている俺たちって何なんだろうな。どんな羞恥しゅうちプレイなんだよ」



 汐音のなげきに織斗も同感するしかない。いや、正直に沙希がうらやましいと想わずにはいられない。



「はいはい、沙希ちゃんも綾乃ちゃんもそこまでよ。優季奈ちゃんが困っているでしょ。ケーキを食べながら話を進めるわよ」



 双葉が絶好の助け船を出してくれたお陰で、ようやく窮地を脱した優季奈が恨めしそうに沙希と綾乃をにらみ、もっぱら非難の対象は沙希だったが、それから織斗に視線を転じた。


 ずっと見られていたのだ。羞恥心しゅうちしんが一気にこみ上げてくる。織斗が何とも言い難いぎこちない笑みを向けてくる。



「もう、沙希ちゃんのせいだからね」



 頬をいっぱいに膨らませて涙目で怒っている優季奈もまた可愛い。



「ねえ風向君、知りたい」



 唐突に沙希が問うてくる。知りたいって何を、と逆に尋ねようとしたところで、すかさず続きの言葉が来る。



「優季奈のスリーサイズ、今ならただで教えてあげてもいいわよ」



 危うく口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった優季奈が慌てて両手で口を押さえこんでいる。



「沙希、今のだけでわかったの。でも、だめよ。まずは私に教えてからよ」



 盛大にむせ返っている優季奈の背を沙希がさすりながらも、沙希と綾乃は二人で勝手に話を進めていく。



「もちろん誤差はあるけど、ほぼ正確にわかるわよ。そう、綾乃も聞きたいのね。じゃあ上から」



 勢いよく身体をねじじって沙希の言葉を制する。



「沙希ちゃん、言ったらどうなるか、わかってるよね。本気で怒るよ」



 優季奈の剣幕に、沙希もやりすぎたとばかりにまずは素直に謝罪する。ただそれだけで終わらないのが沙希が沙希たる所以ゆえんなのだろう。



「でも優季奈、すごく聞きたそうにしているわよ。ほら」



 飛び火した。標的をすかさず優季奈から織斗に移す。沙希が、ほらねとばかりに織斗の顔辺りを指差している。


 これから起きるであろうことが容易に想像できたのだろう。織斗の顔が瞬時に青ざめていく。睨みつけてくる優季奈の顔が怖い。途轍とてつもなく怖い。



(どんな表情でも優季奈ちゃんは文句なしに可愛い。それだけは間違いない)



「路川さん、どうしてそこで俺に振るんだよ」



 織斗の抗議と優季奈の問いかけの声が見事に被る。



「織斗君、そんなの聞きたくないよね。ないよね」



 沙希はもはや無関係とばかりにだんまりを決めこんでいる。むしろ織斗がどのように答えるのか、楽しみに待っているようでもある。



(聞きたいと言ったら、優季奈ちゃんに軽蔑けいべつの目を向けられるに決まっている。逆に聞きたくないと言ったら、優季奈ちゃんを傷つけてしまいかねない。だめだ。この二者択一、どちらも最悪じゃないか)



 織斗が助けを求めて汐音に視線を動かす。当然、汐音も答えようがない。こういう時に頼れる存在は双葉だけだ。



「なあ、双葉姉さん、これ、いつまで続くんだ。いい加減にしてほしいよなあ」



 汐音のぼやきに双葉も苦笑を浮かべるしかない。さすがに二度目となると、少し厳しく警告しなければならない。



「はいはい、ご馳走様でした。もうその辺で終わりにしないさいね。肝心の本題に入らないと日が暮れてしまうわよ。話を前に進めましょう」



 双葉の言葉で仕切り直し、そこからの展開は沙希主導であっという間に進んだ。




 結局のところ、沙希の祖母の話を聞くことが最優先課題なのは変わらない。それまでにやるべきこととして、優季奈は自身のDNA型鑑定に必要なサンプルを用意、それを汐音がアメリカにいる叔父に送って鑑定を依頼する。事前交渉などに関しては全て汐音に一任された。



「織斗君、綾乃ちゃんは優季奈ちゃんを支えてあげてね。汐音君も含めて受験勉強の時間は大事だけどね。私もその道に詳しい知り合いが数人いるから、それとなく聞いてみるわ」



 双葉のこの言葉をもって、ようやく今日の集まりはお開きとなった。




 既に午後三時を過ぎている。


 テーブルに残っているのは綾乃と沙希だけだ。優季奈と織斗は最初に帰っていった。汐音は双葉に引っ張られるようにして店の手伝いに駆り出されている。



「綾乃、お疲れ様。よくこらえたわね」



 沙希の言わんとしていることが理解できない綾乃ではない。



「仕方がないわよ。私は振られたんだから。優季奈と風向君を応援するしかないじゃない」



 よしよし、よく言ったとばかりに沙希が綾乃の頭をでる。



「もう、めてよね。子供じゃないんだから」



 そうは言いながらも、抵抗しない綾乃をただ黙って慰め続ける沙希だった。

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