第078話:沙希の願い事

 織斗おりと汐音しおんを前に、沙希さきが淡々と言葉をつむいでいく。


 最初の十分は完全に説教だった。綾乃あやのに対する二人の言動そのものに対する厳しい指摘だ。沙希の言葉には全く容赦がない。二人の胸を深々とえぐるかのように言葉を投げつけてくる。



「沙希、お前な、いくら何でも」



 汐音の抗議など受けつけないとばかりに氷の視線でにらみつける。むしろ汐音のなけなしの抵抗は、火に油を注ぐようなものだ。



「自業自得でしょ。違う、汐音。風向かざむかい君も同罪よ」



 ぐうの音を出ない二人を、むしろ気の毒そうに見守る綾乃と優季奈の表情が何とも言いがたい。



「まあいいわ。今さら蒸し返しても仕方がないもの。それに三人の間では解決した、ということでいいのよね」



 沙希の視線が汐音と織斗、それから綾乃へと順に移っていく。それぞれのうなづきを確認し、この話は終わりとばかりに話題を切り替える。



 そこからはいよいよ本題だ。


 店内はまさにランチ時で、周囲の喧騒はかえって好都合だった。時折、合いの手を入れてくる汐音との息もぴったり、沙希もいやな顔一つ見せずに円滑に進めていく。


 綾乃も優季奈も、織斗でさえ、沙希と汐音がまるで二人だけの世界にいるかのような錯覚をいだいている。



 重要なところだけに絞って、沙希が話し続けることおよそ一時間、終わった頃には既に十三時を回っていた。



「ねえ、おなかが空いたわ。もうこんな時間だし、みんなでランチにしない」



 やはり機転が利いて、頼りになるのが綾乃だ。その一言で、ようやく場の緊張感が途切れ、皆の顔に安堵感が広がっていく。


 汐音でさえ、沙希の実家については詳しく知らなかったのだ。知っていることと言えば、神月代櫻じんげつだいざくらを含むあの一帯の大地主だということぐらいで、沙希もその辺りについては触れたくないのだろう。汐音もこれまで踏み込んだことはなかった。



「はあ、それにしてもそんな話を三人でしていたなんてなあ。沙希の話には驚かされるばかりだ。俺もその場にいたかったよ」



 沙希がすかさず、綾乃がかつて見せた目と全く同じ目を向けてくる。つまりは、何言ってんだ、こいつは、だ。



「汐音、馬鹿なの。やはり馬鹿なのね。そもそもの責任は汐音にあるのよ。何を遠慮して一歩も二歩も引いてるのよ。そんなことだから綾乃に振られるのよ」



 先ほど失恋したばかりの汐音の胸をさらにえぐっていく。沙希の情け容赦なしの言葉を前に、汐音はたまったものではない。沙希は昔から汐音に対して遠慮などしない。それが幼馴染おさななじみとしての特権でもあるのだろう。


 沙希のあまりの抉り方に汐音が思わず息を呑みこみ、盛大にむせている。横に座る織斗が慌てて汐音の背をさすりつつ、沙希に苦言の一つでもと想ったところで機先を制せられる。



「風向君、汐音を甘やかしちゃだめよ。責任は汐音と言ったけど、風向君にも当てはまるのよ。これ以上は蒸し返さないけど」



 沙希の冷たい視線を真正面から浴びて、織斗もまたぐっと生唾を飲みこむしかできない。何とも情けない男二人だった。


 優季奈と綾乃が真ん中に座る沙希の腕を引っ張りながら、もういいよとばかりに目で訴えかけている。



「二人ともよかったわね。綾乃も優季奈も優しくて。私なら絶対に容赦しないけど。せいぜい綾乃と優季奈に感謝することね」



 まさしく沙希の捨て台詞ぜりふだった。



「沙希ちゃんは相変わらずね。見ていて気持ちがいいぐらいよ。その分、汐音君も織斗君も滅多打めったうち状態といったところかしらね」



 さも愉快そうに笑みを浮かべながら、双葉が注文もしていないのにテーブルに五人分のプレートを次々と並べていく。



「"Croque monsieurクロックム(ッ)シュー"よ。みんな、お腹が空いてるでしょ。そんなことでは妙案も出ないわよ。"Bon appétitボナペティ!"」



 "Croque monsieurクロックム(ッ)シュー"とはパンにハムとチーズ、ペシャメルソースを挟みこみ、フライパンでかりっと焼き上げたものだ。フランスでは軽食として愛されている。


 プレートには"Croque monsieurクロックム(ッ)シュー"以外に色とりどりのサラダがたっぷりと盛りつけられている。



「男性陣のプレートにはチキンソテーを、女性陣の方にはスモークサーモンのマリネを添えているわ。苦手だったら適宜交換してね。飲み物はあとで持ってきてあげる」



 双葉が颯爽さっそうとカウンターに戻っていく。いつものごとく嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。双葉に圧倒されたのか、五人のいるテーブルからはしばらく音が消えたままだった。



「あっ、双葉さんにお礼を言ってないよ。ねえ、本当にいただいてもいいのかな」



 優季奈が沙希と綾乃に問いかけている。沙希は当然だとばかりに頷き返す。



「佐倉さん、遠慮しなくていい。双葉姉さんのおごりだよ。遠慮なくいただこう。沙希の説教で腹が減って仕方がない」


「あっ、汐音、お前」



 織斗の静止は間に合わない。分厚ぶあついノートを振り上げた沙希がそのかどを思いきり汐音の頭に叩きつける。束の間、汐音の絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。



 五人ともが空腹だったのだろう。しかも、"Conte de Féesコント・ドゥ・フェ"で供されるメニューはスイーツのみならず、しっかりお腹にたまるカフェご飯への評価も高い。さすがに美味しいもので満たされると、自ずとなごやかになるというものだ。



 すっかりランチを堪能した五人は、食後のお茶をいただきつつ、今後の各々の動き方を煮詰めていく。



「話の中で言ったとおり、私の祖母の話を聞くことが何よりも重要ね。日程調整は私がするから、それ次第でみんなに集まってもらうわ」



 沙希がコーヒーを飲みながら議事進行役を務めている。


 三人の関係が続いている中では、もっぱら綾乃がになっていた部分だ。五人になった途端、役割も完全に入れ替わるのだろう。適材適所、しかも今回の話に関しては誰よりも沙希が詳しい。打ってつけの役目に違いない。



「今から言うことは私の願望よ。風向君はきっといやがるでしょうね」



 それだけで織斗は察する。沙希が告げようとしているのは優季奈に関することだ。それも悪い方向性のものだろう。



「路川さんは優季奈ちゃんに何をさせたいんだ。そして、それは優季奈ちゃんの承諾を得ているんだろうね」



 織斗は冷静であろうと努めている。だからこそ感情を抑制した口調になっている。それがかえって冷淡さを生み出していることに織斗自身が気づいていない。気が気でない優季奈が思わず口を開く。



「織斗君、私なら大丈夫だから。私はここにいるみんなを信頼しているよ。織斗君はもちろん、綾乃ちゃんも沙希ちゃんも、真泉まいずみ君も。だって、みんなは私がずっとほしかった大切な友人だから」



 優季奈の言葉で織斗はもはや抵抗する意味を失っている。沙希が優季奈の頭を二度、三度と優しく叩いて感謝の意を伝えている。



「優季奈のDNA型鑑定をしてほしい。汐音、アメリカにいる叔父さんって確かその道の専門だったわよね」



 口を開きかけた織斗を制して、汐音が沙希に問いかける。その汐音をしても首をかしげざるを得ない。必要性を感じないうえ、わざわざアメリカにサンプルを送って結果が戻ってくるまでの手間暇を考えれば、日本でも料金さえ支払えば検査してくれる民間会社が幾つもある。



「勘違いしないで。私は優季奈の同一性など問題にしていないの。むしろ、優季奈は優季奈よ」



 優季奈の頭に手を置いたままの沙希が続ける。



「私の推論が正しければ」



 その先を引き取ったのは綾乃だ。



「沙希は遺伝子変異を疑っているのね。それを確かめるにはDNA型鑑定しかないけど、でも」



 綾乃が心配そうに優季奈を見つめる。



「路川さんは優季奈ちゃんに遺伝子変異、しかも後天的な遺伝子変異が起こっているんじゃないかと考えているんだね」



 織斗の言葉に、話が早くて助かるとばかりに沙希は静かに首を縦に振る。綾乃同様、そのまま視線を優季奈に転じる。



「私は構わないよ。沙希ちゃんがそうしたいというなら。沙希ちゃんは悪用しない。知的好奇心を満たすためだけ、だよね」



 優季奈のいささかもうれいのない笑みを見せられたら、織斗にできることなど何もない。



(俺にだけ向けてくれる笑顔じゃないのは少し寂しい気もするけど。優季奈ちゃんは本当に心が優しいんだ。路川さんの話を聞いて、さらに確信したよ。やっぱり優季奈ちゃんは桜の天使だ)



 織斗は優季奈の愛らしい横顔をじっと見つめながら、心の想いをいっそう強くしている。



「私の推論が当たっていたら、優季奈のこの先に繋がる手がかりがきっと得られるはずよ」



 織斗がたまらず尋ねかける。



「路川さん、それは本当なのか。遺伝子変異があったとして、それがどう繋がっていくのか全く見えないよ」



 汐音が同調しながらも混ぜ返す。



「なあ沙希、佐倉さんも承諾してくれているようだけど、なぜアメリカでDNA型鑑定なんだ。日本でも調査してくれるところはあるだろ。その方が時間もかからないぞ」



 沙希が直ちに首を横に振り、説明を加える。



「私が鑑定してほしいのは優季奈のDNA型だけじゃない。もう一つのものと併せてお願いしたいのよ。その照合までがセットね。汐音の叔父さんは、人のDNA型鑑定以外も詳しくできるんでしょ」



 汐音が凍りついたかのような表情になっている。賢明な汐音のことだ。沙希の言葉から意図を察したのだろう。もちろん、それは綾乃も織斗も同様だった。



「私のここまでの話を聞いていたでしょ。それなら私の意図は理解できるはずよ」

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