第009話:母と共にお見舞い
「私、循環器内科でお世話になっている
理由は問われなかった。お待ちください、との応答ですぐに保留音楽に切り替わる。待つこと十秒足らず、すぐに柔らかな女性の声に変わった。
「お待たせいたしました。内科病棟ナースステーションです。ご用件を
沙織はてきぱきと用件のみを伝え、円滑に会話を進めていく。織斗はそんな母親を尊敬の眼差しで見つめている。
「失礼ですが、風向さんは
電話を取ったのがたまたま看護師長の
恵美が美那子に目配せし、メモを寄越してくる。そこには乱れた文字でこう書かれてあった。
≪織斗君のお母さん、今から見舞いに行っても構わないかって≫
美那子は驚きつつ、優季奈のためにも歓迎しかない。
≪もちろん≫
メモに書き足して、恵美に戻す。横目で確認した恵美が電話越しに言葉を返す。
「面会時間は十四時から十八時までとなっております。お越しになられたら、最初にナースステーションまでお立ち寄りください。私、看護師長の鈴本が承りました」
挨拶を済ませ、恵美が電話を切る。二人が顔を見合わせ、互いに笑みを浮かべた。
「こんな偶然ってあるのね。噂をしていたところに織斗君のお母さんから電話がかかってくるなんて」
美那子の言葉に恵美も同感だとばかりに大きく頷く。
「優季奈ちゃんの想いが通じたのかもしれないわね。それで、どうするの」
優季奈に伝えるか
「織斗君のお母さんも一緒に来るのよね」
質問に質問で返す美那子に、恵美は即答だった。
「間違いないわね。織斗君の診察日は、まだ一週間ほど先だったはずだから」
織斗が来ることを優季奈に知らせるのは問題ない。心待ちにしているのだ。精神衛生的にも優季奈の
織斗の母親が同行することも併せて伝えておくべきか。親としては悩ましい。余計な緊張感を与えるだけかもしれない。それは優季奈の身体に負の影響を及ぼしかねない。
「最初にここに来るのよね。私もご挨拶したいと思っていたし、ひと足先にお会いするわ」
そこからの話は早かった。すぐさま打ち合わせを済ませ、恵美は仕事に、美那子は優季奈の待つ病室に戻っていった。
「お母さん、織斗君、またお見舞いに来てくれないかなあ」
まだまだ寂しげな表情を見せることが多い中、少しずつ笑顔が戻りつつある。
優季奈にとって、たった二度しか会っていない織斗が心を温かくしてくれる存在になっているのは間違いない。
「そうね。今日ぐらい来てくれるかもね」
毎日繰り返す母と娘の問答だ。
母が自分のことを思って、気休めで言ってくれていることぐらいわかっている。今日も来ないんだろうなあ、と漠然と思う自分もいる。だから、期待もしていなかった。
美那子としては、確信をもっての言葉だけに優季奈に悟られないように誤魔化すのが何とも難しい。
その時、美那子のスマートフォンが震えた。これ幸いとばかりに取り出し、画面を見つめる。
決して病室内でスマートフォンを使わない母の、いつもとは違う行動に不安を感じた優季奈が尋ねてくる。
「お母さん、どうかしたの。何かあったの」
優季奈を
「何でもないわ。お母さん、ちょっとナースステーションに行ってくるから」
優季奈が、えっ、また、といった表情を浮かべている。つい今しがたナースステーションから戻って来たばかりなのだ。おかしいと思って当然だろう。
「大丈夫よ。優季奈のことじゃないわ。ここで待っていなさいね」
会話を打ち切って美那子が病室を出て行く。急いでナースステーションに向かう。
織斗の隣に立つ一人の女性に自然と目が向く。美那子から見ても、きれいな女性だった。どこか織斗の顔立ちと似ている。いや、逆か。一見すれば、女性とも思える織斗の中性的な顔立ちは母親譲りなのだ。妙に納得してしまう。
先に気づいたのは織斗だった。母親に何か話しかけている。彼女が
「優季奈ちゃんのお母さん、こんにちは」
織斗の挨拶の前に、母親が背中を軽く叩くのが見えた。この仕草一つ見ても、美那子は素敵だなと思った。
「織斗君、こんにちは。優季奈のお見舞いに来てくれたのね。嬉しいわ」
目線を上げ、織斗の母親と向き合う。
「織斗君のお母様ですね。はじめまして。佐倉優季奈の母の美那子です。ご挨拶したいと思っていました」
いささか緊張している美那子に対して、織斗の母親は
「こちらこそ、はじめまして。風向織斗の母親の沙織でございます。先ほど、看護師長さんからお聞きしたのですが、突然のお見舞いにもかかわらず、ご快諾いただきありがとうございました」
母親同士の挨拶は長引きそうだ。見かねた看護師長の鈴本恵美が声をかけてくる。
「風向さん、佐倉さん、そちらの待合室へどうぞ。ここはナースステーションですからね」
待合室を指しながら、ちくりと一言、看護師長の立場から言うのも忘れない。
二人の母親、そして織斗の三人が小さなテーブルを囲むようにして座る。最初に口を開いたのは美那子だ。
「織斗君、ごめんなさいね。つき合わせてしまって。実は、優季奈には織斗君とお母様がお見舞いに来てくれることを伝えていないの」
織斗は自分に向かって語りかけてくる美那子を不思議そうに見つめ、それから母の沙織に目をやる。
織斗にはわからずとも、同じ母である沙織には美那子の想いが手に取るようにわかる。
「同じ母親として、美那子さんのお気持ちはとてもよくわかります」
美那子と沙織、互いに病気の子供を抱えている。恐らく胸に抱くものは同じだろう。だからこそ、相通じるものを感じ取った。
「美那子さん、織斗だけ先に優季奈さんのところへ行かせてもよろしいでしょうか」
質問の意図がよくわからない美那子だった。
織斗だけが行くなら何の支障もない。答えは決まっている。
「はい、そうしてもらえると優季奈も喜びます」
同意が取れたところで、やや手持ち無沙汰の織斗に沙織が言葉をかける。
「織斗、優季奈さんのところへ行ったら、頃合いを見て、こう言いなさい。『今日は母親も一緒に来ている。とても優季奈さんに会いたがっている。もし、優季奈さんの体調に問題がなければ、連れてきてもいいですか』と」
織斗の返事を待つまでもなく、今度は美那子に再び問いかける。
「私には優季奈さんの病状がわからないのですが、どれぐらいの面会時間なら影響が出ないでしょうか」
美那子が少し考え込む。優季奈に聞いた限りでは、織斗のお見舞いは三十分ほどとのことだった。それぐらいなら何も問題ないだろう。本当はもう少し長くしてあげたいところだ。
「織斗君、いつもは三十分ぐらいだったかしら」
突然振られた織斗は、考えるまでもなく答えを返す。
「はい、だいたいそれぐらいです。あまり長くなると、優季奈ちゃんの身体が心配なので」
美那子は先ほどから感心しきりだった。この親にしてこの子あり、もちろんよい意味でだ。それをまざまざと見せつけられている。
「美那子さん、ありがとうございます」
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