第109話:優季奈と織斗の繋がり

 沙希さき長卓ちょうたくまで戻ると、すぐさま護符を置いて、この場から立ち去ろうとする。そこへ橙一朗とういちろうから待ったがかかった。



≪沙希、済まぬが織斗おりと君のご両親にも声をかけてもらえぬか。奥方の体調がすぐれぬようなら、ご主人だけでも構わぬでな≫



 沙織さおりは先ほど、隣室から戻ってきたばかりだ。顔色はまだ悪いものの、呼吸などは正常に見える。


 沙希は渋々ながら沙織と利孝としたかに近づくと、遠慮がちに橙一朗からの伝言を預けた。



 利孝が心配そうに沙織の顔を見つめている。沙織は大丈夫だとばかりに小さくうなづくと、沙希に声をかける。



「沙希さん、皆さんと一緒に聞きます。どうすれば」



 五人が横並びになると、詰めたとしても到底小さな護符には手が届かない。



「では、こうしたらいかがでしょう」




 沙希の提案どおり、佐倉家、風向家それぞれが向かい合って着座している。沙希は長卓の真ん中に護符を置くと、すぐにキッチンへと戻っていった。



 誰かが率先するわけでもなく、合図もない。それでもほぼ同時、五人の指が恐る恐る護符に近づき、ゆっくりと触れる。



 先ほどと同じだ。


 橙一朗の声が脳裏に飛び込んでくる。違っているのは、口調におごそかな静謐せいひつさがただよっていることだけだ。



≪お待たせいたしましたな。では、お教えできる最大範囲において、皆様方に真実をお見せいたしましょう≫




 それからおよそ一時間、ほぼ全ての映像を見せ終えたところで、橙一朗がめの言葉を口にする。



≪これがお見せできる全てですじゃ≫



 橙一朗の声が途切れても、五人ともが口を開かない。開けないといった方が正しいのかもしれない。


 護符に指を添えたまま、まるで何かにじっと耐えているようでもある。



 まるであの時の状況とうり二つだった。


 場所も同じ、鞍崎慶憲くらさきよしのりの自宅で優季奈ゆきなの正体を明かし、その秘密を説明した際のように、ただ静寂が支配している。


 イタリア製アンティークの壁掛け振り子時計がかなでる音だけが響いている。



 橙一朗もまたそれ以上の言葉は発していない。誰かが切り出すまで待ちの姿勢なのだろう。



 いつまでも沈黙を守っているわけにはいかない。口火を切ろうと動いたのは二人だ。


 利孝と鞍崎慶憲が同時に橙一朗に話しかけようとして、言葉を出す前に引っ込める。どちらが先にするか、譲り合いとなっている。


 利孝は織斗の父、鞍崎慶憲は優季奈の叔父おじ、どちらが第三者的立場かといえば後者になる。利孝はその意も込めて、鞍崎慶憲に先に話すよううながした。


 了承したとばかりに頷いた鞍崎慶憲が咳払せきばらいを一つ、おもむろに言葉を投げかける。



≪路川さん、幾つかお尋ねしたい。一つ一つご説明いただきたいのだが、よろしいだろうか≫



 すぐさま橙一朗から返事が戻ってくる。



≪では、早速ですが。今の映像が真実だという証拠はお持ちですか≫



 五人は一方的に映像を見せられているだけだ。どういう仕組みになっているかなどは度外視するとして、問題はあの場で起こった本当の出来事を映し出しているかいなかであり、誰もが半信半疑だった。



≪証拠と言われると、正直なところ難しいですな。わしの妻で櫻守さくらもりを務める佳那葉かなはがその目で見たものをお見せしたにすぎぬでな。信じるかどうかは皆様次第ということになろう≫



 予想していたとおりの回答だ。鞍崎慶憲はそれ以上踏み込まず、先に進める。



≪一度目の映像と違って、光彰みつあき君が出逢った女性の顔が鮮明になっていましたね≫



 鞍崎慶憲の視線が沙織に向けられる。若かりし頃の沙織の顔を見間違うはずもない。


 光彰と美那子みなこは今になって初めて気付いた、といった表情になっている。それは沙織も同じだった。



≪そうですじゃ。光彰殿が出逢った女性は風向殿の奥方ですな。さて、これを単なる偶然という言葉で片づけてよいものか≫



 偶然か、あるいは必然か、いずれにせよこの話が終わるまでに正答はられるだろう。



≪とても偶然とは考えられません。あの時、あの場所で風向さんと出逢い、しかも優季奈と織斗君まで≫



 光彰は何度もかぶりを振って、混乱する思考を整理しようとしている。



≪そうね。偶然にしては、あまりにできすぎているわね。私たちは沙織さんたちと十五年も前に出逢っていたのに、今の今まで気が付かなかったなんて≫



 忸怩じくじたる想いは誰も同じかもしれない。



≪光彰君、美那子に私も同感だ。路川さん、あなたは偶然などではなく、必然だったとでも言いたいように聞こえる≫



 眼光鋭く護符をにらみ付ける。鞍崎慶憲の圧は護符を通じて橙一朗に届いている。橙一朗はあまりの迫力に息をんでいた。


 一足いっそく飛びに話を進めてしまうことに躊躇ためらいを感じていた橙一朗は、改めてその考えを自ら打ち消す。



(風向殿の奥方だけが少々心配じゃが、ここまでの反応を見るに、恐らくは大丈夫じゃろう)



 橙一朗が護符から意識を外し、佳那葉と路川季堯みちかわすえたかに明言する。



「今から女神様の御名みなを出しつつ、全てを語るつもりじゃ」



 佳那葉は柔和にゅうわな笑みだけをもって、好きにしなさいと告げている。路川季堯は言葉をもって返す。



≪もっと取り乱すかとも想ったが。よくぞ受け止め、消化したうえで自らの考えを述べておる。大人としては当然と言えば当然だが、ひとえに親としての愛か。強き意思も感じられた≫



 橙一朗が返答しようとしたところで、さえぎる形で次の言葉をぐ。



 ≪全てを語るのは構わぬ。配慮は必要だがな。万が一にも橙一朗が暴走するようであれば私が止めてやろう。遠慮なくやるがよいぞ≫



 苦笑を浮かべる橙一朗と佳那葉とは対照的に、黒猫は大きなあくびを一つ、背を伸ばすと長卓から佳那葉のひざめがけて飛び下りていった。



 橙一朗の意識が再び護符とつながる。



≪鞍崎殿、あなたのおっしゃるとおり、この世に偶然などないのですじゃ。少なくとも、路川家の人間は等しくそのように考えておるでな。およそ十五年前のこの出来事は、まさしく必然じゃったのじゃ。しくも、二人の女神に呼ばれた二人の幼児は出逢うべくして出逢ったのじゃ。ご両親は、いわば立会人ということになろうな≫



 ここまで無言のままの利孝が初めて口を開く。



≪路川さん、さらに詳しい説明をいただけるとして、少しだけ聞いてほしいことがあります≫



 護符の向こうで橙一朗が了承している。言葉はないものの、感情として伝わってくる。



≪私も妻も、ずっと不思議に想っていたのです。神月代櫻じんげつだいざくあの話はいったん置いておいて、織斗が優季奈さんと初めて出逢った時のことです。あの日に限って、織斗はどうして優季奈さんが入院している部屋の前を通ったのか≫



 織斗もあの日の行動についてうまく説明ができなかった。


 普段なら、循環器じゅんかんき内科での診察終了後、寄り道せずに真っすぐ一階受付まで下りてきて、会計を済ませたら帰宅する。



 気分を変えたかったから、といういかにも不明瞭な理由だけで、診察棟から離れた、しかもえんもゆかりもない入院棟に足を踏み入れるだろうか。



≪細かいところはさておき、もう一つあります。私たち三人が優季奈さんの病室に入った際の出来事です。織斗だけが、花のにおいがする、と言ったのです。妻にも私にも、全く感じられませんでした≫



 美那子と光彰が顔を見合わせ、互いに目で問いかけている。二人とも利孝たちと同じく、全く感じ取れなかったようだ。首を横に振っている。



≪それから三年、優季奈さんと再会した後です。織斗はようやくその匂いの正体に出逢い、気付いたと言いました。ええ、そうです。優季奈さん自身です≫



 利孝にもまだ具体的な繋がりははっきり見えない。それでも、心のどこかで何かを媒体にして、ここでは匂いだ、優季奈と織斗を結びつけていることだけは理解できた。



≪そこで神月代櫻の花見にまでさかのぼります。優季奈さんと織斗は神月代櫻のそばで出逢っていた。もちろん、この時点ではお互いに赤の他人と言ってもよいでしょう。佐倉さんご一家と私たちも顔を合わせていたはずが、今の今まで気付けませんでした≫



 もはやここまで来ると、何かしらの明瞭な意図が働いているとしか想えない。



≪先ほどの二度目の映像で、ようやく光彰さんにも美那子さんにも妻の顔が見えるようになりました。ですが、まだよく見えないままの映像があります≫



 利孝はさらに切り込んで、橙一朗に尋ねる。




≪優季奈さんの傍に立つ女性、そして織斗の傍に立つ女性、この二人はいったい何者なのですか≫

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