第087話:月に隠された秘密

 織斗おりと優季奈ゆきな佳那葉かなはつむぎ出す言葉に真剣に聞き入っている。



「どうしてだろ。早宮埜さくやさんをとても身近に感じているの。私が神月代櫻じんげつだいざくらに命をいただいたからなのかな」



 佳那葉の話に出てくる人物は見たことはもちろん、聞いたことさえない、まさしく赤の他人だ。それなのに、なぜか親近感をいだいてしまう。



 早宮埜の最後の言葉が脳裏から離れない。



(枯れ果てるその時まで、新たな命を産み落としましょう、か。優季奈ちゃんはまさに早宮埜さんのおかげでここに立っている。もしも早宮埜さんの強い想いがなかったら。そんなこと、考えたくもない)



 織斗にしても確信は全くない。それでも優季奈の言葉が十中八九正しいだろうと考えてしまう。



「佳那葉さん、保顕やすあきらさんの私術しじゅつによって、早宮埜さんは本当に神月代櫻と同化したのでしょうか。同化できたとして、その後に何かが実際に起きたのでしょうか」



 ここからだ。織斗が、優季奈が、本当に聞きたかった話がようやく聞ける。


 早宮埜が同化した神月代櫻は、本当に新たな命を産み落とすのか。



「その前に、もう少しだけ神月代櫻について語っておくわね。沙希さきから聞いているとおり、神月代櫻を舞台にして幾度となく泰山府君祭たいざんぶくんさいり行われた。路川みちかわ家の統治前、早宮埜の生前前からよ」



 それが何を意味しているのか。


 沙希の話では、既にこの時には死者復活がった、との記録が残されているとのことだった。


 死者に対する復活、復活後の寿命は別々の儀式によるものだと結論づけている。泰山府君祭は後者のためであり、前者ではない。では、いったい前者を成すための儀式とは何なのか。



 優季奈が沙希たちとの会話を想い出しながら、言葉にして反芻する。



「神月代櫻はあくまで舞台装置であって、必要なのはやしろほこら、そして光の三つ。社と祠は一体と考えて問題はなく、光は空に輝く満月で、さらには月のしずくが必要になる」



 佳那葉が小さな拍手を贈っている。



「優季奈さん、そのとおりよ。泰山府君祭の儀式は神月代櫻の周囲に陰陽師おんみょうじたちが結界を張り巡らせ、執り行われる。朔玖良さくら神社の社に天頂より満月の光が降り注ぎ、神月代櫻の周囲には月の雫がきらめく。光は社を透過し、祠へと注がれることで木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様の御力がお目覚めになるの」



 織斗も優季奈もその光景を頭に描き出している。


 陰陽師の台頭は平安時代だろう。まさしく夜は闇一色で塗りこめられている。


 仮に野辺送のべおくりの地に一人で立てと言われたら、絶対に断るに違いない。百鬼夜行ひゃっきやぎょうを目の当たりにしたかのような耐え難い恐怖心にあおり立てられるのがおちだ。



 そこに天頂から満月の光が降り注ぐ。まさに救世主さながらに幻想的だ。


 光は社全体をあまねく照らし出し、さくら色の輝きとなって祠をも包んでいく。それは月の神による恩寵おんちょうなのかもしれない。



「天頂に輝く満月、降り注ぐ月光が朔玖良神社の全てを照らし出す。さらには月の雫の発生も絶対的要件となっている。月がこれほど重要な要素になっているなんて」



 織斗が復習の意味をこめてつぶやいている。優季奈もすぐ横で聞きながらうなづいている。仲睦なかむつまじい二人の様子を佳那葉がいとしげに見つめている。



「そうね。月が重要な理由、風向かざむかいさんはどう考えているのか聞かせてもらっても」



 理解しているだけで明確な答えは見つからない。織斗の知識は断片的で、それらの寄せ集めにすぎない。決定打となる情報もなければ、そもそも他者に語れるほどの豊富な知識も持ち合わせていない。


 織斗は素直にわからないと首を横に振るしかない。



 佳那葉が小さく頷き、織斗から優季奈にゆっくりと視線を移す。沙希から聞かされている。教科書にっていない、読書好きならではの知識を持っているのが優季奈の面白い特徴の一つだと。



 佳那葉自身、二人に具体的な正答を求めているわけではない。ましてや、聞けるとも想っていない。そこに至るまでの過程こそが大切なのだ。



「沙希から聞いたわ。月の雫は優季奈さんのお手柄だったのね」



 められて照れくさそうにしている優季奈が可愛い。織斗にしてみれば、どのような優季奈であろうとも可愛いに違いない。


 佳那葉の促しに優季奈が恐る恐る応じる。



「私にとっての月といえば、満ち欠けするもので、女性の代名詞でもあって、それにすすきにお団子かなあ」



 途端に織斗が吹き出している。



「もう、織斗君」



 恥ずかしかったのだろう。優季奈が思わず両手でほおを押さえている。


 間違いなく、中秋ちゅうしゅうの名月からのすすきと月見団子の連想は、どうやら織斗のつぼにはまったようだ。



「あら、素敵じゃない。秋の風物詩でもあるし、お月見団子は私も大好きよ」



 佳那葉の助け舟に破顔一笑はがんいっしょうの優季奈を間近で見つめ、織斗はますます好きになっていく気持ちを抑えきれない。



(こんな優季奈ちゃんをずっと見ていたい。それがもう十ヶ月足らずで終わってしまうなんて。俺はどうすればいいんだ。本当に何もできることはないのか)



 そのための手がかかりを探したくて佳那葉の話を聞いている。それでもどうにもならなければ。いやな想いだけがよぎる。



「織斗君、どうかしたの。怖い顔してる」



 心に複雑な想いを抱えたせいだろう。如実にょじつに表情に出ていたようだ。



「ちょっと考え事をしていたんだ」



 優季奈に心配をかけてはだめだ。織斗はすぐさま話題を切り替える。



「優季奈ちゃんは和菓子も好きなんだね。また一つ、優季奈ちゃんを知ることができたよ」



 取って付けたかのような織斗の言葉だ。優季奈には手に取るようにわかってしまう。感情と一致していない。その要因が自分にあることも正しく理解している。


 だからこそ、優季奈はあえて口にした。



「織斗君、一人で悩まないで。私に何でも話をしてほしいの。二人で一緒に考えたいの」



 織斗と優季奈のやり取りを見守りながら、佳那葉は心からこの二人が出逢えたことを嬉しく想っている。



(優季奈さん、本当にいい子ね。沙希が気に入るのも納得だわ。月に愛され、神月代櫻に愛され、そして木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様に愛され、ここまで辿たどり着いた。願わくば、この先もずっと風向さんと)



 頷く織斗に優季奈は優しく微笑んでみせる。



「佳那葉さん、月でもう一つだけ連想するものがあります。女神様です。それが私の心に強く浮かんでいます」



 佳那葉のひざの上で気怠けだるそうに丸まっていた黒猫が、優季奈の言葉を受けて静かに頭をもたげる。


 優季奈を見上げる細く鋭い瞳は、まるで夜空に輝く三日月のごとく金色にいろどられている。



≪この娘は実に面白い。木花之佐久夜毘売このはなのさくやびめ様の恩寵をここまで受けているとはな。やはりいとしき子であるな≫



 黒猫が感心している。佳那葉もまた同様だ。



(本当に沙希が言ったとおりね。まさか、女神様を引き出してくるなんて)



「優季奈さん、女神様が具体的にどの神様を指すのか。たっとき名を挙げてもらえる」



 少々、意地悪な質問だっただろうか。黒猫の中の路川季堯みちかわすえたかが苦笑を浮かべている様が伝わってくる。



≪そなたもなかなかに厳しいな。さすがに櫻守さくらもりを長年にわたり務めてきただけのことはある≫



 黒猫の声はいかにも満足しているようで、織斗と優季奈を導きながらも試そうとしている佳那葉を頼もしく感じている。



≪与えられるだけの答えなど意味がありませんから。今の世の中、思考を放棄している者があまりに多すぎます。それゆえに身近にいてくださる神様たちとのご縁が切れてしまい、えなくなるのです≫



 路川季堯もおおむね佳那葉の考えに同意している。


 季堯の方が佳那葉よりも幾分は寛容かんようだろう。二人の差異はどれほどの時を過ごしてきたかによる。


 人は時代に即して変わっていくものだ。それをなげいたところで、どうにもならないことは季堯が誰よりも知っている。



≪年老いた者のやっかみだとお笑いください≫



 佳那葉の膝の上で大きく伸びをした黒猫こと季堯が楽しそうに告げてくる。



≪笑いはせぬよ。いつの世も変わるものもあれば、変わらぬものもある。現にこの二人のように素晴らしい若者がいるのもまた事実だ≫



 優季奈は思案しているのか、ややうつむき加減で難しい顔をしている。織斗はそばでじっと見守っている。



 佳那葉は季堯との会話に集中しながらも、目を離さず注視していた。どうやら想いつかないようだ。沙希のような特殊な環境下でもない限り、神話や古典に首までかっているような高校三年生もいないだろう。



 佳那葉が口を開こうとしたその時だった。

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