第048話:それぞれの覚悟とひと時の休息

 優季奈ゆきなの我がままかもしれない。鞍崎慶憲くらさきよしのりが感じたように、言葉にしてしまうことで優季奈は楽になるに違いない。


 一方で受け取った相手は間違いなく苦しむだろう。優季奈を想う気持ちが強ければ強いほど、反動も強烈なものとなってしまう。


 三人の中で言えば織斗おりとだ。再び彼を深く傷つけてしまう。それでも今ここで知らせておかなければならない。


 告げるのが遅くなればなるほど、与える影響も比例して大きくなってしまう。結果として、それは優季奈自身にも跳ね返ってくる。



 織斗は大きく息を吐いた。まるで気持ちの整理をつけるかのようだった。



「優季奈ちゃん、俺は覚悟できているよ。優季奈ちゃんがそこまで言うんだ。聞かないわけにはいかないよ。でも、鷹科たかしなさんの気持ちもわかるんだ。だから、最後の代償を聞く前に、少し休憩を入れたらどうかな」



 織斗の目が綾乃あやの汐音しおん、鞍崎慶憲、最後に優季奈の順に移っていく。



「私は賛成」


「もちろん俺も」



 綾乃、汐音が答え、鞍崎慶憲も同調した。



「そうだな。ここで一息入れるのもいいかもしれない。鷹科君、済まないが紅茶をお願いできるだろうか。茶葉は任せる」


「はい、喜んで」



 優季奈の返事を待つまでもなく、綾乃が席を立ってキッチンに向かう。


 優季奈の手を握っていた織斗の力が緩み、応じるように優季奈の力も抜けていった。



「うん、そうだね。ありがとう、織斗君。私一人が焦っても仕方ないよね。私も綾乃ちゃんのところに行くね」



 優季奈も静かに立ち上がり、綾乃の後を追うようにキッチンへと歩いていった。



 二人がキッチンに立ったことを確認した汐音が言葉を発する。



「織斗、途中で止めてしまってよくなかったかもな。佐倉さん、心なしかふさいでしまったように見えるし」



 織斗は小さく首を縦に振ってから、事情を知っている鞍崎慶憲に問いかける。



「鞍崎さん、最後の代償は優季奈ちゃんにとっても相当に厳しい内容なのですね」



 鞍崎慶憲もまた首を縦に振った。



「私の口からは言えないが、そのように受け取ってもらって結構だ」




 鞍崎慶憲が向けてくる視線の厳しさ、鋭さが一気に増した。



「織斗少年、今度こそ何があっても優季奈のそばにいて支えられるか」



 場の雰囲気が一瞬にして変わる。鞍崎慶憲は暗にほのめかしている。織斗もはっきりと感じ取っていた。今、まさに試されているのだ。



「鞍崎さんには一度、無様な姿を見られています。ですが、ご懸念けねんには及びません。必ず支えてみせます。二度とあのような醜態しゅうたいさらすような真似はしません」



 満足げにうなづく鞍崎慶憲を見て、織斗は安堵のため息を吐いた。少しは信頼してもらえただろうか。



「あの時の織斗少年の姿を優季奈は知らない。不謹慎だが、不幸中の幸いだ。昨日の一件からしても、私は君を信じている。くれぐれも裏切らないでくれ。何よりも優季奈のために」



 織斗は力強く頷いた。そこまで言ってくれたのだ。期待に応えないわけにはいかない。



(優季奈ちゃんに苦しくて、悲しくて、辛くて、そんな想いを二度とさせたくないんだ。そのためなら俺は何だってやる)



「誓います」



 その短い言葉に全てが凝縮していた。





「お待たせしました」



 優季奈の表情は少しだけ柔らかくなっているように見えた。キッチンで綾乃と何やら話しこんでいた成果とでも言うべきか。



 先ほどと同じく、優季奈が両手でお盆を持って、慎重に運んでくる。織斗が立ち上がってお盆を受け取るところまで同様だ。



「一人ずつカップを置いていけばいいかな」



 織斗の問いかけに優季奈は首を横に振ってみせた。



「綾乃ちゃんがここに並べておいて、って」



 お盆を置いたところで、綾乃が温めたミルクポットを持ってやってくる。



「鞍崎さん、本当に何でもそろっているのですね。まさかルフナ茶のアールグレイまで置いているなんてびっくりです。蒸らし時間を長くして、しっかりコクを出しました。ぜひミルクティーでいただきましょう」



 綾乃が手際よく五客のティーカップにミルクを注ぎ入れていく。入れた順に優季奈がそれぞれの前にカップを運んでいった。



「真泉君、ひと口目はそのまま飲んでみて。コクを出した柑橘かんきつ系紅茶とミルクの相性って、とってもいいの。ふた口目からはお砂糖を入れていいから」



 綾乃がそこまで言うのだ。さすがに断れる状況ではないし、もちろん断る汐音でもない。優季奈とは既にキッチンで話がついていたのだろう。彼女への言葉はなかった。


 目の前に置かれたティーカップから香りが立っている。



「早速頂戴しよう。さすがにアールグレイだ。ベルガモットのフレーバーティーだけあって香りが素晴らしい」



 鞍崎慶憲の言葉を受けて、綾乃の目が輝いている。



「そうなんです。やっぱりベルガモットの香りですよね。ウバと同じくスリランカの茶葉ですが、ウバはハイグロウンティー、このルフナはローグロウンティーです。標高によって茶葉の特徴が全然違うんです。素敵ですよね。ああ、行ってみたいなあ」



 紅茶の話になった途端、綾乃はうっとりした表情を浮かべながら、止めどなく言葉があふれ出てくる。



「鷹科さん、そのウバとかルフナって、俺がよく飲んでいるセイロンティーとどう違うんだ」



 汐音の唐突な質問に綾乃はぎょっとして、それからすっと目を細める。何言ってんだこいつ、といった目つきで汐音を睥睨へいげいする。



「ちょ、ちょっと、そのゴミでも見るような目つき、やめてくれよ。怖すぎるし、繊細な俺にはたまらないよ」



 そんな汐音の様子を傍目はためにしながら、織斗は内心ほっとしていた。当然、織斗の知識も汐音と似たり寄ったりだ。



(汐音より先に同じ質問をしなくてよかったあ)



 優季奈も気づいたのか、織斗に視線を向けて、苦笑しながらうんうんと頷いている。



「あのね、真泉君、ひょっとして本気で聞いているの。じゃあ、逆に聞くけど、スリランカの旧国名は何」



 怪訝けげんな表情を見せながら首をひねっている汐音がようやく気づいたのか、あっ、と大きな声をあげた。



「旧国名はセイロン、一九七二年五月二十二日に共和制移行、現国名のスリランカ共和国に改称、って、えっ、もしかして、セイロンティーって中国茶とかインド茶と同じってことなのか」



 綾乃がほっとした表情で頷いている。



「真泉君がそこまで馬鹿でなくてよかったよ。歴史や地理の成績なら群を抜いているのに、紅茶という授業に関係ない分野になると途端にだめになるよね。応用問題と一緒でしょ。それなのにあの成績って、やっぱりちょっと納得できないわ」



 すねた感じの可愛らしい綾乃を眺めながら、優季奈が織斗に尋ねる。



「織斗君、真泉君って成績は」



 織斗が口を開く前に鞍崎慶憲が答えていた。



「一年時は常に真泉君が一位、鷹科君が二位だった。織斗少年は五位から十位ぐらいまでの間だったな。二年時になって鷹科君が一位、真泉君が二位と逆転、織斗少年も一気に三位まで上がった。現段階で響凛きょうりん学園高等学校トップスリーがこの三人だ。是が非でも三人には最難関大学に現役合格してもらわねばならない」



 明らかに副理事長の立場からの発言だ。鞍崎慶憲は副理事長として優秀な生徒を集める義務を負っている。さらには運営のための補助金確保はもちろんのこと、多額の寄付金も必要だ。


 質の高い教育を生徒たちが享受するには、優秀な講師陣、設備などが必要不可欠であり、そこには莫大な費用がかかる。



「過去、トップスリーの生徒は例外なく志望大学に現役合格している。響凛学園高等学校の経営的視点からも、君たち三人が総崩れになることは決して許されない。そんな君たちが、奇しくも優季奈の周囲に集ったのだな」



 最後の言葉は意味深だった。それを今の時点で理解するのは不可能だ。するのは、これからになる。



 尊敬の眼差しをもって三人を見つめた優季奈は、砂糖なしのアールグレイをひと口含み、香りと味を堪能する。



(綾乃ちゃんの言ったとおり。こんなに美味しい紅茶が飲めるなんて)



 もうひと口味わって、ティーカップをゆっくりとお皿に戻す。その際、陶器と陶器が触れ合い、わずかな硬質音を響かせた。




(こんなことを告げる私を許してね)



 優季奈は最後の代償を語るべく、静かに口を開いた。

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