第098話:月下の誓い

 路川みちかわ家から帰ってきたその日の夕食時だ。


 織斗おりと優季奈ゆきなは胸に強い想いをいだきながら、それぞれの両親に見聞きした全てを打ち明けていた。



 普段なら、夕食を取りながら親子団欒だんらんを楽しむひと時だ。それが沈黙に続く沈黙、音のない長い時間が続くだけだった。


 ようやく沈黙を破って口火を切ったのは、予想通り二人の母親だ。


 そこからは音の洪水があふれ出す。次から次へと矢継ぎ早に質問が繰り出され、織斗と優季奈が逐一答える。


 それで納得する両親たちではない。応援したいという気持ちがありながら、大人としての分別が許さない。


 織斗も優季奈も、語って聞かせた以上の内容はどう足掻あがこうとも説明できない。そのようなやり取りがおよそ二時間続いた。



 結局のところ、両親が導き出した答えは、反対の意をほぼ固めたままの結論保留だった。


 織斗の母の沙織さおり、優季奈の母の美那子みなこ、今なお繋がりを持つ二人の母親だ。互いにどう考えているかを知りたかった。それは父の二人、利孝としたか光彰みつあきも等しく同じだった。



「夕ご飯がすっかり冷めてしまったわね。こんな話の後ではあまり食欲も出ないけど、それでもしっかり食べないとね」



 奇しくも沙織と美那子の言葉は全く同じだった。


 レンジで温められるものをお盆に乗せて台所に向かう。優季奈はすかさず立ち上がって美那子の手伝いに入る。織斗は腰を下ろしたまま動かない。


 温め直した夕食を前にしても、なかなかはしが進まない。そのうえ会話もない。


 まるでお通夜つやのような夕食だ。何とか機械的に箸を動かして、味のしない夕食を済ませた後、織斗も優季奈も両親にこの言葉だけを残した。



「ごめんなさい」





 憂鬱ゆううつな状態で平日の学校生活を終えた金曜日の夜、織斗と優季奈は二人で会っていた。


 ここは優季奈の自宅から徒歩圏内にある広い公園だ。照明設備も充実していて十分な明るさが確保されている。



 運よく空いていたベンチに座った織斗と優季奈は誰に遠慮するでもなく、ほぼ距離感なしで隣り合っている。


 以前の織斗なら間違いなく一定の距離を保っていたし、触れることさえしなかっただろう。


 しかも、これからは橙一朗とういちろうに言われたとおり、斎戒沐浴さいかいもくよくに入らなければならない。互いにそれがわかっているのだ。



「ちょっと目のやり場に困っちゃうね」



 優季奈が恥ずかしそうなつぶやきを発している。


 周囲のベンチというベンチがカップルで埋まっている。この公園はひそかに恋人の聖地などと、まことしやかに噂されている場所でもある。



 ここで逢おうと指定したのは織斗の方だった。



「そ、そうだね」



 優季奈は織斗に寄りかかるようにして、頭を肩先に乗せている。


 今は綾乃あやの沙希さき汐音しおんもいない。二人きりだ。しかも周囲はカップルだらけ、少しぐらい甘えてもいいだろう。



「いよいよ明日だね。優季奈ちゃん、緊張してる」



 織斗の問いかけに、もたれかかったままの優季奈が小さくうなづく。



「うん、してるよ。織斗君もでしょ」



 互いの両親がどういった反応を示したかは、翌日登校した際に早速確認し合っている。当然と言えば当然の結果に、二人はただただ厳しい表情を浮かべるしかできなかった。



「両親の説得はできなかったね。もっと強硬に反対されると想っていたから覚悟はしてたんだけど」



 結局、あれ以降は織斗はもちろん、両親からもこの話題に触れることはなかった。頭と心を整理するための冷却期間としては十分だっただろう。全ては明日、皆が集まっての話し合いで決まる。



「お母さん、沙織お母さんがどう考えているか知りたかったと想うの。それにね、前にも言ったように、お母さんの中では結論が出てるの」



 織斗には返答のしようがない。


 確かに優季奈は言った。優季奈が幽世かくりよに下ることには反対しないだろうけど、織斗のことでは反対する。実の息子のように想っているからだと。



「きっと、沙織お母さんも反対するんじゃないかな」



 織斗はここまでずっと支え続けてくれた両親を誰よりも尊敬している。


 自分よりもはるかに人生経験が豊富な両親の言葉は重い。織斗は重々承知のうえで、鵜呑うのみにするつもりはない。自分自身で考えて、悩んで、それを繰り返して出した結論を簡単にくつがえすつもりもない。



 誠心誠意を尽くして両親に話せば、理解はしてくれるだろう。それは間違いない。ただ、理解することと、理解したうえで織斗の行動を認めることとは全く次元の違う問題だ。



「優季奈ちゃんと結婚したい、と言ったら両親は一も二もなく承諾してくれるのに」



 想ったことをすぐに口にしてしまう織斗のいつもの悪い癖ではない。


 この場所だからこそ、ここをのがせば機会がなくなるかもしれないからこそ、熟慮した末の言葉だった。



「えっ」



 優季奈は織斗の想いもよらない言葉に一瞬にして頭を起こすと、少しばかり距離を取って身体を完全に横向きに変える。


 織斗の瞳をじっとのぞき込むようにして見つめる。



「お、織斗君、私と、私と」



 二人並んで座っていても身長差は明らかだ。だからこそ優季奈の上目遣いは威力を発揮する。変わらず健在だ。これを前にしては織斗はあらがえない。



「優季奈ちゃん」



 織斗もまた優季奈の瞳に吸い込まれていく。互いの視線が一切のぶれなく、真っすぐに結ばれている。



「はい」



 織斗の唇から静かに、ゆっくりと言葉が紡ぎ出されていく。



「今の俺には指輪もあげられない。式も挙げられない。未だ十八にもなっていない。それでもよかったら」



 既に優季奈の涙腺るいせんは崩壊気味だ。肩がわずかに震えている。


 織斗は緊張からか、表情が幾分硬い。



 優季奈の両手を包む込むようにして握って、最も重要な言葉を贈る。



佐倉さくら優季奈さん、俺と、風向かざむかい織斗と結婚してください」



 優季奈の両の瞳から涙がこぼれ落ちていく。


 心の中に様々な感情が渦巻いている。嬉しいはずなのに即答できない。負の部分の感情が邪魔しているのだ。



「嬉しい。嬉しいよ、織斗君。でも、やっぱりだめ、だよ。私は、一年もしないうちに消えてしまうんだよ。そんな私と」



 織斗は首を横に振って、優季奈の考えを否定する。


 織斗には優季奈の気持ちが痛いほどに伝わってくる。優季奈は自分自身よりも織斗を優先している。だからこそ、いなくなる自分が織斗のそばにいるべきではないと考えているのだ。



「優季奈ちゃん、自分を殺さずにもっと我がままになっていいんだ。俺は優季奈ちゃんの本心が聞きたいんだ。俺がきらいで結婚の意思なんてこれっぽちもないというなら、はっきりと言ってほしい」



 今度は優季奈が首を横に振る番だった。



「織斗君をきらいだなんて、あるわけないよ。私にとって、織斗君は心から好きになった初めての人で、今でもその気持ちは変わらないし、もっともっと強くなっているよ」



 織斗が子供のような笑みを見せて頷く。



「優季奈ちゃん、ありがとう。うん、そう想っていたし、わかっていたよ」



 心の想いは言葉にしないとわからない。織斗は優季奈の死を前にして何も言えなかった。それが今でも激しい後悔として残っている。もう二度とあのような想いはしない。織斗は固く誓っている。



 優季奈の手を包んでいた織斗の右手が離れ、優しくほおに触れる。流れる涙を指先でぬぐう。もはや触れるのが怖いという気持ちはない。むしろ、その逆だ。



「織斗君、意地悪だよ」



 わずかに頬を膨らませる優季奈がいとしくてたまらない。



「優季奈ちゃん、返事を聞かせてくれるかな」



 優季奈の左手が織斗の右手に重なる。瞳を閉じて深呼吸を一つ、再び開く。



「私は、佐倉優季奈は、風向織斗君と結婚したいです。私を織斗君のお嫁さんにしてください」



 精一杯の心の想いを言葉にした結果だ。優季奈自身、子供じみた言葉だとわかっている。



 織斗は黙ったまま、片時も視線を外さずに優季奈を見つめ続けている。


 不安になってきた優季奈が口を開こうとしたその時だ。



 織斗に力強く抱きしめられる。



「優季奈ちゃん、俺に残りの命を預けてくれてありがとう。絶対に悲しませたりしないから。絶対に幸せにしてみせるから。どこに行こうとも、それが幽世かくりよであろうとも、ずっと一緒だよ」



 背に回された織斗の両手から熱が伝わってくる。優季奈は色々な意味で身体が熱くなるのを感じている。



「ありがとう、織斗君。私、今とても幸せだよ」



 流れ落ちる涙のせいで、うまく言葉にならない。



 織斗の腕が離れていく。優季奈は名残惜しさを感じつつ、ぎこちない笑みを浮かべてみせる。



「優季奈ちゃん」


「織斗君」




 もはや言葉は不要だった。二人の顔が近づいていく。





 空にはわずかに欠けただけの満月が美しく輝いている。



 二人の頭上に柔らかな光を投げかけている。




 まるで月に御座おわす神が、二人を祝福しているかのようでもあった。

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