第007話:殺し文句はこれで決まり

 優季奈ゆきなが言ったとおりだ。


 同い年でも、生まれはほぼ一年違う。幼く見える。


 本人が気にしているかはさておき、中性的な顔立ちも影響しているだろう。服装や髪型などを変えるだけで女の子としても通用しそうだ。



 織斗おりと美那子みなこの視線の集中砲火を受けているせいか、非常に居心地が悪そうにしている。見かねた優季奈が非難の声をあげる。



「お母さん、もういいでしょ。織斗君が困っているよ」



 頬を膨らませて抗議してくる優季奈を、我が娘ながらに可愛いと思ってしまう。


 それに何よりも少女だと思っていた表情が別のものに変わってきている。母としては幾分複雑な想いだった。



「それに、帰ったんじゃなかったの」



 いくら母親とはいえ、娘の心の中までは見通せない。


 織斗と二人きりのところを見られた恥ずかしさからか、それとも突然舞い戻って来た母への苛立ちからか、あるいはそのどちらもか。


 いずれにせよ、普段決して見られない優季奈の表情が美那子には微笑ましい。



「お母さん、お邪魔だったかな」



 視線を優季奈から織斗に移す。



「織斗君、優季奈はちょっと我がままなところもあるけど、私たちの自慢の娘なの。だから、これからも、よろしくね」



 織斗も優季奈と同じだ。


 幼い頃からの病院通いで、多くの大人に囲まれて成長してきた。この年齢にして、大人とどのように接すればよいか、織斗なりの心得ができている。


 正直、大人はずるいと思う。子供だったら我慢できずに感情を爆発させてしまうところを、大人は内に秘めて隠してしまう。


 そういった時、織斗は独特の臭いを感じ取る。


 優季奈が他者の感情に敏感であるのと同じだ。ある種の織斗だけの特技といってもいいだろう。それと同じ臭いが美那子から伝わってきている。



「お母さん、余計なこと言わないでよ。それより、早く帰ってよ」



 優季奈がえらくおかんむりだ。


 ここは早々に退散した方がよさそうだ。そう思ったところに、意外な援護が来る。


 優季奈の方にちらっと目を向けてから織斗が口を開く。



「お母さんにそんなこと言っちゃだめだよ。優季奈ちゃんをすごく心配しているんだから」



 織斗にたしなめられた優季奈を、美那子が興味深く見つめている。優季奈はどのような反応をしてよいかわからないようだ。



「ね、優季奈ちゃん」



 あたふたしている優季奈に織斗は笑いかけている。



「う、うん、わかったよ。織斗君がそう言うなら」



 やけに素直な優季奈に、さらに追い打ちをかけるほど美那子も鬼ではない。



「織斗君も大変だと思うけど。気が向いた時でいいから、優季奈のところに来てあげてね」



 前置きを聞いて、織斗は理解した。


 喉元まで出かけていた言葉をぐっとみ込み、別の言葉に置き換える。



「はい。優季奈ちゃんさえよければ、これからも」



 食い気味に優季奈が口を差し挟む。



「もちろんだよ。いいに決まっているよ」




 無理をしないように、との言葉を優季奈に残して、美那子は今度こそ帰っていった。



 再び病室で二人きりになった優季奈と織斗の間に、ぎこちない雰囲気が漂っている。それを振り払うかのように、先に優季奈が口火を切る。



「びっくりだよ。織斗君にしかられちゃった。それに、あんな大人みたいな言葉遣いができるんだね」



 織斗は悩んでいた。


 自分の病気のことだ。優季奈のように入退院を繰り返しているわけではない。彼女に比べれば、自分の病気など、病気でないに等しいかもしれない。


 それでも、このまま黙っているのは彼女に対する裏切りのようで、罪悪感しかない。


 それに、優季奈の母には十中八九、知られているに違いない。



「大人はこれだからなあ」



 無意識だった。小声のつぶやきに優季奈がすかさず反応する。



「えっ、何か言った」



 また織斗の悪い癖だ。思ったことがそのまま口をついて出てしまう。


 大人を相手にする場合、こちらも構えてしまう。それが自分と同じ年頃の者が相手だと、ついつい油断してしまう。


 優季奈の前では、とりわけ注意しなければならない。



 咄嗟とっさのことで、よい言葉が思いつかない。織斗は勢い任せでとんでもないことを口にする。



「優季奈ちゃんは、可愛いなあと」



 またもや固まってしまう優季奈を目の前にして、織斗はがくりと肩を落とす。



(ああ、俺の馬鹿、馬鹿、大馬鹿野郎。大人の言うことを真に受けて、何言ってんだよ)



 つい今しがた、加賀から教わったばかりのことを織斗は何も考えず、実践してしまった。



(加賀先生、何が可愛いは女の子に対する殺し文句だ。思いっきり、ひかれちゃったじゃないかあ)



 声を大にして叫びたいぐらいだ。


 初めて会った時にも可愛いと言って、お互いに恥ずかしい思いをした。それをきれいさっぱり忘れて、また繰り返してしまった。



「ごめん、優季奈ちゃん。怒った」



 織斗はこの二度の出会いで優季奈の癖を一つだけ見つけていた。


 それが上目遣いだ。破壊力抜群のこの仕草は、織斗の推察では二とおりの意味を持つ。


 一つは怒っていて睨みつけてくる時、もう一つは照れて恥ずかしがっている時だ。


 織斗としては、切に後者であってほしいと願っている。



「もう、知らないよ」



 突然ベッドに横になってしまった優季奈は布団を口元まで引き上げ、視線を合わそうともしてくれない。


 織斗には、そんな優季奈の表情が心なしか柔らかく、うっすらと赤らんでいるように見えた。



「私の方がお姉さんなのになあ。織斗君の、馬鹿」



 独り言だ。織斗には届いていない。それでよかった。



 織斗が立ち上がる。気配を感じ取ったのか。身体をこちら側に向け直した優季奈が見上げてくる。あいかわらず、口元は布団で覆ったままだ。



「優季奈ちゃん、俺、そろそろ帰るね。あまり長くいるのも迷惑だし」



 優季奈との距離感はとても大事だ。腕を精一杯伸ばしても、決して優季奈には届かない。


 美那子にも言外に告げられている。よろしく、と。



「もう、帰っちゃうの」



 寂しそうに告げる優季奈の言葉が胸に刺さる。



「う、うん。また来るから。絶対に来るから」



 布団の中から優季奈の右手がそっと出てくる。



「はい」



 小声で言って、織斗の方に手をおずおずと伸ばしてくる。白魚のような、それでいて小さく可愛いらしい手だ。



 戸惑っている織斗をよそに、優季奈がささやくように言葉をつむぐ。



「手を、握って」



(え、本当に、握っていいの。でも、女の子の手だぞ。どう握ったらいいんだよ)



 頭の中が混乱状態の織斗は手を差し出そうとして、また引っ込めて、その繰り返しだ。


 優季奈も優季奈で、今さらながらに大胆発言だったことに気づく。そのせいで一気に顔が火照ほてってくる。



「あっ、違うよ、これは、そう、お別れの握手、だから、ね」



 口元まで覆っていた布団が、なぜか目元まで来ている。



「そ、そう、握手、だよね」



 優季奈の言葉で、何とか落ち着きを取り戻した織斗が、ようやくにして優季奈の小さな手を、まるで壊れもののように慎重に握った。



 嬉しい。


 その感情よりも先に来た。


 優季奈の手が冷たいのだ。


 二人の手が重なり、優季奈も力を入れようとしたその時だ。



「優季奈ちゃんの手、冷たい」



 優季奈が慌てて握られた手を引っ込めようとする。織斗は優季奈が痛がらない程度に握る力を強め、さらにもう片方の手でしっかりと包み込む。



「こうすると、あったかくなるから」



 優季奈の手から自然に力が抜けた。織斗のなすがままに委ねている。両手を通じて織斗の熱が伝わってくる。



(ええ、織斗君、大胆だよお)



 心臓がいつになくどきどきしている。心なしか熱が上がってきたようにも感じる。



(恥ずかしいよ。でも、嬉しいなあ)



 このまま眠るまで握っていてほしい。優季奈は入院して以来、初めてともいえる幸せな気分を味わっている。



「少しはあったかくなったかな」



 ひざを床に落としている織斗と目が合う。優しい目だ。



(こんな目をするんだ)



 何か言わなければ。優季奈は布団の中で口を動かす。



「う、うん、織斗君、ありがとう」



 わずかにくぐもった声は、確かに織斗にも届いていた。


 織斗の手がゆっくりと離れていく。優季奈は無意識のうちに手に力をこめていた。



「えっ」


「このまま、もう少し」



 二人の手とともに、声も重なった。



「だめ、かな」



 ここで断ったら男がすたる、とばかりに織斗は離しかけていた両手で再び優季奈を手を包み込む。



「だめなわけ、ないよ」



 この出来事をきっかけに、少しだけ優季奈との距離が近くなったような気がする。



 そんな想いをいだく織斗だった。

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