帝都のベルシス(少年期から青年期前期)
第6話 帝都ホロンへ
父母が死んだ。
まだまだ働き盛りであったが、季節外れの激しい雨で被害が出た領地の視察に行き、土砂崩れに巻き込まれて亡くなった。
その第一報を聞いた際の胆の冷え具合は、今思い出してもぞっとする。
無事でいてくれと願い、救助の続報を心待ちにしながらも、情報は何も入らず、ただただ日々のような館で過ごしていた日々のような状況には、戻りたくはない。
……思い出したくはない記憶も思い出せるのは、堪った物では無いな。
ともあれ、私は一気に父と母を亡くした。
父母ばかりか、家族と同様だった使用人も幾人か亡くなった。
そうなれば、未だに若輩の私ではロガ家を維持できないと考える者逹が出てくるのは必然だった。
ロガ家の現状維持を求める者の中には、私を排して、親族に実権を渡すように画策する者も出てきた。
基本的には、私が成人するまで、伯母か叔父が代官としてロガ領を統治すると言う流れだったようだが、何事にも強硬派というものはいる。
遂には、私の命を狙う者が現れた。
父母の死から僅かに二種間ほどが過ぎたばかりの事だ。
私には両親や親しい人物の為に喪に服す時間もろくに与えられなかった。
これも、家に守られてきた代価と言うことか。
※ ※ ※
私の住まう領主の館に賊が押し入ったのは、冬が間近の季節だった。
使用人も主や同僚の突然の死にショックを受けて辞めたりする者もいたため、館は大分ひっそりとしていた。
そんなある日の夜に、武装した男六名が押し入った。
警備の隙をついた手際は、内通者の存在を否応にも予想させる。
押し入ったのは、きっとその道のプロだったのだろうが、彼等は失念していた。
竜人リチャードの存在を。
リチャードは六人の武装した男逹を、瞬く間に殺した。
あろうことか、父が好んで使った青銅製のスタイラスで。
青銅製のスタイラスは
羊皮紙や紙を用いる事が多くなったとはいえ、何度でも書き直せて携帯に便利な筆記用具は、領地運営と帝国の軍事と言う数字が関わってくる仕事に従事していた父には必需品だった。
突如持ち主を失ったこれらの筆記用具に心があったとしても、まさか賊退治に使われるとは思いもしなかっただろう。
無論、私だってそうだ。
……あの日の夜、押し入った賊がたてた物音で目を覚ました私は、何事かと寝室を出て賊にかち合ってしまう。
途端に賊は小剣を振りかざした。
賊の持っていた明かりに反射して、屋内でも取り回しがきく小剣が煌めく。
あ、死んだ。
突然の事だったが死を確信すると、不意に古い記憶、ないしは妄想が鎌首をもたげる。
あの記憶の最後、すべてを失い何も感じなくなるあの時間を思いだすと、体が勝手に震えだす。
本能的に恐怖を感じてしまっている。
それが現実の死とは違うかもしれないのに。
体は震えていたが、生存本能からか私は慌てて身を翻す事はできた。
賊のいる方角とは反対の廊下に逃げ出したのだが、逃げようとした先にも賊は待ち構えていた。
狙ってかどうかは不明だが、挟み撃ちだ。
賊たちの顔は頭部と口元を布地で覆われていて、判別できない。
だが、目の前の賊の顔に笑みが浮かんでいるらしい様子を察することが出来て、私は絶望した。
これが終わりか、そんな思考を巡らせたが、それとは裏腹に事態は進みだした。
私は絶望の中で失念していた、自身には縁あって父母が雇った竜人の教育係がいた事を。
不意に剣を振り上げていた背後の賊が呻く。
前方の賊の笑みは消え、目が驚きか恐怖で見開かれたのを見て、私は彼の存在を思い出して振り返った。
そこには喉にスタイラスを突き立てられ崩れ落ちる賊と、賊が持っていた明かりにぼんやりと浮かび上がる、竜頭人身の偉丈夫の姿があった。
いつもの茶色のローブ、背には竜の翼を広げ、肩には竜人の力を象徴するマントをかけた姿はいつぞや見た絵画の様だ。
その頼もしい姿のリチャードはスタイラスを引き抜き、疾風のように私の脇を駆け、壁を蹴り立体的に動いて前に立ちふさがっていた賊へスタイラスを突き立てた。
「ふんっ!」
「がっ!」
そして狙いたがわずにその喉を突いた。
スタイラスは賊の喉を貫き、その命を奪う。
「なんだ!?」
賊が騒ぎに気付き急いでくると、リチャードは即座に賊に向かって踏み込む。
「まだ、おるか。ふんっ!」
「がはっ!」
スタイラスは賊の喉を貫き、その命を奪う。
「どうした!?」
更に賊が騒ぎに気付き急いでくると、リチャードは即座に賊に向かって踏み込む。
「……まだ、おるか。ふんっ!」
「げはっ!」
スタイラスは賊の喉を貫き、その命を奪う。
筆記用具で容易く賊を仕留めるリチャードを見て、マジやべぇとその時心底思ったものだ。
スタイラスが流石に使い物にならなくなったのは、それから二人を屠った後の事だった。
こうして私はリチャードのおかげで命拾いをしたのである。
※ ※ ※
だが、こんな事件が起きてしまえば、よほど近しい相手以外には心を塞ぎたくなると言うものだ。
いっそのこと家の事を放り投げて逃げ出そうかとまで思ったが、やはり守り育てられた以上は責務は果たさなきゃいけない。
どうしたものかと人と会わぬようにしながらも、悶々としていた私は、不意に思いつく。
責務だけを果たしてしまえば良いのだと。
若さも手伝ってかあろうことか、皇帝陛下に領土の事は親族に任せて八大将軍の責務に専念したいと書を出してしまった。
そしかし、間が悪いと言うのか、陛下に書をしたため送った矢先に伯母ヴェリエから私にロガ領の共同統治の話を持ちかけられたのだ。
私が十七歳の成人を迎えるまでと言う期限付きの提案は悪い物では無かったが、その頃の私は命の危機を感じており、その提案を鵜吞みにできなかった。
今となっては、命を狙った刺客の強襲が叔父の差し金である事は分っているが、父母を亡くしたばかりの私は落ち込んでおり、館に賊が押し入るまで事が大きくなっていたので、親族の誰もが信用できないのではないかと言う迷いを抱いていた。
若かったと言うのもあるが、それまで碌な修羅場を潜り抜けて来なかった所為でもあるだろう。
敵が誰かを定める事も出来ずに、私はロガ領の統治を親族に放ってしまったのだ。
帝都に赴き、将軍職と言う責務だけを果たそうとしたのだ。
帝国将軍は帝国の正規兵の指揮が任務である、自身の領の兵士を従える必要が必ずしもないこともあり、その話は内々に決まってしまった。
皇帝陛下に通達済みの事だが私は帝都で務めを果たすと叔父と伯母に宣言すると、伯母は驚き思いとどまるように告げた。
だが、私の死にたくないのだと言う言葉を聞き、先日の賊の一件が単なる物取りではないことに気付いたようだ。
また陛下にまで話が及んだ今となってはと最終的には頷きを返した。
そして、私と叔父に向かって言い放った。
「ならばロガ領の統治権は私が引き継ぎます。ベルシスが帰るその日まで。ですから、ベルシスは安心して勤めを果たしなさい。……それからユーゼフ、カタリナが生きていたらどれ程悲しむ行いをしたのか分かっているのですか? ……私の眼が開いているうちは親族を暗殺等させませんよ」
伯母ヴェリエが敵では無かった事を私は漸く悟り、叔父ユーゼフは己の策謀が見破られた事でがっくりと肩を落とした。
ここで伯母と叔父の間に明確な優劣が決してしまったわけだが、確執にまでは至らなかった様だ。
義理の叔母カタリナの名を出されて諫められたのが堪えたようだ、叔父は義理の叔母を心から愛してはいたのだろう。
とまれ、状況は改善したかと思われたが、私が先走りして皇帝陛下に単身で帝都に登りお仕えする旨を伝えてしまっていたので、結局最初の計画通りに帝都に赴く事になった。
この件を今考えても私も阿呆だと思う。
もっと落ちついて対処するべきだったのだ。
当時の私はこの一事で、先走って事を進めると碌な事が無いことを学習した。
いや、まあ、学習したのに現皇帝にキレて追放の憂き目にあった訳だが……。
あそこで怒らぬでは人として道を踏み外してそうだしなぁ……。
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