インタールード2 オーブリー・レグナルの改悛

 ゾス帝国の帝都ホロンはある噂で持ちきりだった。


 八大将軍であったが子がなかったマロイノフ・ペール卿の代わりに、若い天才カルーザスが八大将軍へと昇格したからだ。


 八大将軍の家柄で無い者が、その座に就くことは帝国の歴史において例がないわけではないが、稀な出来事である。


 それだけにカルーザス新将軍の力量が素晴らしいのだと、人々は噂していた。


 だが、一部の者達だけがその裏にベルシス・ロガ卿と貴族院の一派アルヴィエール派との暗闘があったことを知っている。


 彼らは知るが故に表立ってそのことは語らなかった。


 だが、カルーザスが陽の光のように輝きを放てるのは、暗闘を制したベルシス・ロガの存在があるからだと確信していた。

 

 それが顕著なのは貴族院の貴族たちだ。


 ※  ※


 その日は貴族院でとある法の是非が問われ、議論は白熱し院長が休憩を言い渡した。


 思考を落ち着かせる時間は必要で、宮中のサロンでそれぞれが茶を飲んでいる。


 その様な場になれば、人の性か噂話を好む者も出てくるもので……。


「ロガ卿の処分は据え置かれたらしい」

「私はてっきり、将軍をやめさせて、新しい官僚たちを統括させるのかと思ったが」

「どうやらレグナル卿が陛下に将軍の留任を勧めたらしい」


 話し合っていた貴族たちは、発言者以外が驚いた顔をしていた。


「あのレグナル財務担当が?」

「犬猿の仲ではなかったのか? 暗殺まがいまで仕掛けたとか……」


 発言者は意味深な笑みを浮かべて声を潜める。


「彼があと二十年も政務を経験すれば、帝国に長い事不在であった宰相を務める事になるだろう。そう恐れて将軍に押し留めたと聞く」

「それは買いかぶりすぎではないか? 確かに軍事よりは才がありそうだが」


 その噂を黙って聞いていた貴族が、カップを傾けた後に口を挟む。


「果たしてそう言えますかな?」

「コルサーバル卿は何かご存じで?」

「ロガ卿は僅かな期間で情報網を形成した。長い間、私が求めていた真実を暴くほどの情報網を」

「ああ、確か卿の姉上を殺した下手人を暴いたとか」

「ええ、それについてはロガ卿に感謝しております。しかし、あまりに短い時間での情報網の形成は不思議に思っておりました」


 僅かに2年足らずにそれほどの情報網を作り上げたとすれば、それは既に天才の技だ。

 

 だが、ベルシス・ロガは政治に関しては有能ではあろうが、そこまでの天才であろうか?


 皆が首をかしげる中、コルサーバル家の当主モイーズは己の考えを口にする。


「陛下の目と耳が力を貸したのではないかと」

「それは……バルハドリア陛下が自身の情報網を……?」

「今回の一件に陛下のご意思が働いていると?」

「ロガ卿がそれを知っているのかどうか……多分知らないでしょうが」


 つまるところ、今回の改革は陛下の意思が働いていると言う事だとモイーズは語る。


 実りを手にするために影に徹する事など、陛下にとっては造作もない事だろうと誰もが思うが、それの意味するところは別にある。


「陛下はロガ卿をそこまで信頼されていると言う事か」

「彼は若い、多くの成長が見込めるし、現時点で既に情報網を使いこなす器量は備えている」


 いかに情報網を得ようとも正しく運用できねば宝の持ち腐れ。


 あるいは、悪用だってできた筈だが、ベルシス・ロガはただ一点にのみ集中して集まった情報を運用した。


 カルーザス昇格の為に障害となるものを排除すると言う一点の為に。


「カルーザス将軍が兵を運用すれば戦死者が減ると力説していたからな」

「利他的と言えるかは不明ですが、自分で考え、決めた事はやり通す頑固な性質と見受けました」


 それだけ告げて、モイーズが茶を飲み干すと同時にサロンにある人物が姿を見せた。


 オーブリー・レグナル、ベルシスの宮中の敵その人であった。


 その彼には連れがある。


 年若い、しかし、彼の息子コンハーラではない青年はクラー家の今の当主エタンを引き連れていた。


「お前からもテランスに良く言い含めるのだ、エタン。ロガ卿とは事を構えるなと」

「叔父は未だにクラーの当主気取り、僕の言葉に耳を傾けるかは……」

「アルヴィエール派はもはや派閥として意味をなさない。その意味を考えろとわしが告げていたと伝えろ。それに、お前の元にはロガ卿から文が届いているのだろう?」

「前当主との禍根は忘れ、有意義な関係を構築したい、と」

「受け入れるべきであろうな」

「僕もそう思います。と言うより、叔父がロガ家からヴェリエ様を娶られたその後の扱いにはあきれ果てるばかり……。更にはヴェリエ様を追い出して、無理やり妻にしたはずのアーヴェ様も放逐し新たな妻を迎え入れるなど……、流石に庇いようもない。叔父の第二子のシメオン、第三子のロジェも我慢の限界が近いと」

「全てロガ卿に御教えしろ、そして知恵を借りるが良い」


 その聞こえてくる会話に多くの者が驚きを露にする。


 あれは確かにレグナル卿であるが、その語る内容が今までと大きな隔たりがあったからだ。


「レグナル卿、一体どうされたのですか? あの若造に一泡吹かせてやらねば」

「貴方一人でなさるが良い、サントーロ卿。わしはその若造には勝てないと悟った。わしとて若かりし頃は財政面の改革を訴え、アルヴィエール派との政争に身を投じたものだ。だが、わしは敗れ取り込まれたが、ロガ卿は逆にアルヴィエール派を打ち破った。……今更あの頃には戻れんが、彼と争う気はなくした」


 なおも食い下がろうとしたサントーロと呼ばれた貴族は、自分の味方はいないかと周囲を見渡すが、殆どの者は冷ややかな視線を返すだけだった。


 アルヴィエール派においても、行動力もなく、口だけだった彼に味方する者は、派閥と言う力関係が消えた今はいない。


 そのサントーロを無視するようにコルサーバル家の当主モイーズがレグナルに問う。


「されど、将軍にとどめ置く様に措置を取られたとか?」

「ロガ卿は戦場の才はあまりないが輜重の運用に関して有益な結果を出しておる、地味で目立たぬが戦においては何よりも大事な補給を統括してもらう。それとカルーザス将軍と他の将軍の調整役に推したまで」

「天才とその他の将軍の仲を取り持ってもらうと? なるほど、武人には武人の矜持と言うか、意地がありますからな。そこを武人でもあるロガ卿に任せる」

「そうだ、わしらには分からぬ意地だが、ロガ卿ならばある程度理解できる。一方で彼は政治にもある程度通じておるから、わしらの意見も理解してくれるはずだ」


 カルーザスと他の将軍との橋渡しばかりか、政治と軍事の橋渡し役に推すのだと言うレグナルの言葉は今聞く限りでは間違いはないように思える。


 奴隷制度の輸入を考えていた金勘定ばかりが上手いと言う揶揄は、今のレグナルに当たるかどうか……。


 あるいは、彼もかつては理想に燃えていたのかもしれない、そう思わせる力強さが今の オーブリー・レグナルにはあった。


 事実、彼はこの後に大きな事件を起こすことはなく、有能な財務担当として生を全うする。


 ただ、オーブリーの息子コンハーラは父親と違って、自身を過大に評価し、敵を過少に評価してしまう性格であったことが、レグナル家にとっては不幸となるが……。


 その不幸が表層化する頃には、オーブリーは既に他界していたことは彼にとっては幸福な事であった。


 実の息子が、勝てぬ相手にあまりに馬鹿らしい戦いを起こそうとする姿など見ずに済んだのだから。

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