第30話 ベルシスの改革

 後宮の今の状況を何と言おうか。


 先ほどまでの優美な毒とでも言おうか、匂い立つ虚飾の影は消え去り、多くの真実が白日に晒されている今となっては、ここは既に魔境ではない。


 第一夫人アレクシア様、第二夫人イーレス様の眼前で公金を使い込んでいた一人の官女の罪を暴いた今となっては。


 それまでは、一年以上の前の私が右往左往するしかなかった様子を知っている官女たちは、私を侮り、嘲るような笑みを浮かべていた者がちらほらといたが、今は皆が笑みを引っ込め押し黙っている。


「次にコルサーバル家の次女カルネ殿にお伺いいたしますが」

「は、はい」

「貴方が不義の子であろうとなかろうとどうでも良いのですが、長女ロザリー殿の死に関連して」

「ぶ、無礼な!」

「殺された姉君の無念に比べりゃ、あんたの今の状況はどうってことはない!」


 私の粗野な物言いにたじろいだ官女を見据えながら、言葉を紡ぐ。


「失礼。貴方が情夫と共謀して姉君を殺害した事を示す証拠が見つかりました。コルサーバル家当主たるモイーズ殿のお耳にもすでに入っております。貴方の兄上はひどくお怒りで、これを賜りました」


 そう告げて、私は短剣を差し出す。


「これは……」

「自裁されよと言う事です。貴方の情夫は既に極刑が決まっております。無論、生きながらえて裁きを受けるのも自由ですが、ご実家からの援助は期待できない以上は……」


 私の言葉を聞いて、コルサーバル家の次女カルネは短剣を受け取る事もなく、その場に崩れ落ちる。


「そこで今後の身の振り方でもお考え下さい。それでは次は……」


 陛下や皇子殿下に見初められるために、或いはそんな彼女らを精神的に支配するために送り込まれていた貴族の娘たちは、皆が恐れを抱いて私を見ているのが分かった。


 ただの若造に過ぎない私が、貴族の陰湿な攻撃を受けて伏せていた筈の私が、誰も知らないと信じていた情報を持ち、糾弾しているのだから。


 きっと理解が追い付いていない。


 ここで畳みかける事が、この後宮と言う場所を改革する足掛かりになる。


 それから、幾人かの重罪を暴き、それよりは軽い罪には追って裁きがある旨を伝え、過失と思われる行いには口頭で注意を促す。


 張りつめていた空気が和らいでいくのを肌で感じながら、私は奇襲を仕掛けた。


 ここでようやく、私は本命の名前を出したのだ。


 この後宮にあって皇后様でもないのに権勢をふるう三番目の勢力を束ねる官女長の名を。


※  ※


「これらの証言を繋ぎ合わせ、浮かび上がる構図。それはあの当時から官女を統括する立場であった貴方が、その立場を利用してローデリア家より輿入れされた第三夫人エステリナ様を自死に追いやった、と言う事です」


 ヨルディス・アルヴィエール、後宮の官女を束ねる官女長は不意を打たれて、今のところ碌な反論をしてきていない。


「これは政争の果てにローデリア当主レオン殿を謀反人に仕立て上げた貴方のご実家、アルヴィエール家の指示ですね?」


 アルヴィエール家がカルーザスを恐れる理由は、彼が咎人の子だからではない。


 皇帝陛下の血を引く一方で、謀反の罪をかぶせて粛清した政敵の一族だからだ。


 娘の第三夫人まで追い詰めながら、幼子だったカルーザスを取り逃がしたのは、ひとえに陛下の機転と一人の竜人のおかげだった。


 ロスカーン殿下が見つけなければ、カルーザスは軍人になっていたかどうか。


 ともあれ、アルヴィエール家の者たちは数年前に現れた有能な少年の素性を探り、そして怯えた。


 やましい所があるから、勝手に恐れる。


 成長するにつれて、その有能さが明確になればなるほどに、彼らは復讐を恐れてカルーザスを非難するようになった。


 カルーザスを非難するために、彼が謀反人の一族であると広め、一応の大義名分を手にし安堵していたのだろう。


 そこに私が彼を昇格させろと帝都に戻ってきたので、さぞ面白くなかった事と想像できる。


「何を仰せか分かりかねますが」

「アルヴィエール家の現当主クレール殿、つまりは貴方の弟は既に自白済みです。アルヴィエール家はお取り潰しとなりますが、クレール殿とその家族は、罪を告白したことにより命と財産を保証されました」


 クレールは当時まだ父の言葉に従うだけの若者に過ぎず、今もある意味お飾りの当主。

 

 真に裁くべきはアルヴィエール家の長老と……目の前の女だ。


「ああ、無論、クレール殿のご家族には貴方も、長老ウジェーヌ殿は含まれておりませんのであしからず」

「……お前の様な若造が」


 私はあくまで慇懃に対応していたが、官女長はみるみる顔を赤くして怒りを露わにしていた。


 だが、怒鳴るに怒鳴れない。


 後宮では慎みを云々と若い官女達にねちねちと言っていた手前、そう言った事は出来ないのだろう。


 積み上げてきた虚飾が崩れるのを必死に取り繕っている。


「ベルシス・ロガは無能……貴方がたがそう言った噂を流されておりましたが、なるほど確かにその通り。確かに私には大した能力はありません。ですが、貴方がたは無能な私より更に無能だったのですね」


 私がそう言いやると、官女長は口を一文字に引き結んで肩を震わせる。


 その様子に特に胸がすく事もなく、私は言葉を続ける。


「毒杯を呷るか、短剣で自害なさるかはお好きになさい。……政治を己の為に行ったのみならず、第三婦人エステリナ様を自死に追いやり、復讐を恐れ有能な者を遠ざける様な愚か者には優しい末路ではありましょうが」

「あの時……あの女竜人が邪魔をせねば……いや、レグナルが上手くやってさえいれば……」

「竜の魔女がカルーザスの養母だったとは、気付きませんでしたがね。……それと、生憎ですが私は生きている。自裁できぬのならば首を刎ねられる罪人としての末路を迎えますか?」


 結局のところ、奴隷売買に手を染めようとしたレグナルからして彼らの傀儡に過ぎない事が分かった。


 根深い所にまで及んでいた病巣を、帝国に巣食う病巣を取り除けたことに私は安堵していた。


 奴隷制などと言う愚かな制度を導入させてなるものか。


「我らがいなくなれば、国は傾くのですよ。その原因をベルシス・ロガ、お前が作ったのです。くだらない正義感で国を亡ぼす青二才が」

「あなた方が雇っていた優秀な能吏は既に目星をつけてあります。彼らを官僚として迎え、国より禄を与える事が貴族院により先ほど可決されました。無論、アルヴィエール家の派閥の方も賛成しておりますよ」


 私が切り崩し、かき乱した派閥に今更何の意味があるのか分からないが。


 貴族が給金を払い能吏を好きに使うと言う古い制度はもう要るまい。


 貴族は自領の運営に集中すればよいし、国政は帝室と官僚で動かせばよい。


 その先鞭となる改革だが、思いのほか貴族受けも良かった。


 貴族が自腹を切って政務の手伝いをすると言うのは、旨味を求めて無駄な争いや横領、賄賂が横行するからな。


「ロガ卿は全てにおいて先手を取っております。終わりですよ、ヨルディス」

「ア、アレクシア様」

「ロガ卿の恐ろしさは、戦場の勇ではなく、醜聞や誹謗に耐え忍びながらも、国の為に準備を怠らず、疑心暗鬼にもならず味方は誰かをしっかり見定めるその精神性にある、なるほど、良く分かりました」

「イーレス様……か、彼こそが謀反」

「ヨルディス・アルヴィエール、ご苦労でした。貴方の官女長の任を解きます。……エステリナの事以外では、貴方は優れた官女でした。それだけに残念でなりません」


 皇后さまにとどめを刺されたヨルディスはその場に崩れ落ちた。


 先ほど殺人を犯し、その罪を暴かれた官女と同じように。


 その様子を見て、嘆息をこぼしながら私はお二人の皇后さまに深く頭を下げてその場を後にする。


 私も運が良ければ降格で、運が悪ければクビかな。


 仮病を使って出仕してない時間が長かったしなぁ。

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