第54話 ナイトランドの八部衆

 ナイトランドの者達は、使者であるフィスルと言う少女とのその連れ以外は決してカナトスとの国境線をまたぐことはなかった。


 使者以外が下手に国境線を超えれば禍根が残ると判断したのだろう。


「ローデンを譲り受けると聞いた。ロガ将軍の動向に彼の地の者達は注視している事を考えると、やはり復活の道を通られたのは貴方でしたか」


 そう笑うナイトランドの老人の言葉にメルディスが肩を竦めた。


「異端の信仰になんぞ意味があるのかえ?」

「これだからお主は浅薄でいかんな、メルディス。先代ならば決してロガ将軍を離さなかったであろうに」

「待て待て。わしとて戦が無ければ将軍との関係を維持しておったわ」

「そんな悠長な話をしているようでは、浅薄のそしりは免れんぞ?」


 国境線を挟んでいきなり目の前で言い争いをしないでほしい。


「おい、ジャック。若は勇者殿を迎えに来たのだ、お主らの世間話に付き合っている暇はない」


 見かねたのか、リチャードが声をかける。


 と言うか、顔見知りだったのか……?


「……竜人に言われるのは業腹だが正論だ。そう言えばロガ将軍には自己紹介がまだでしたな、爺の名はジャック。ナイトランド八部衆、魂語りのジャックと申す」


 ナイトランドの老人ことジャックは軽く頭を下げた。


 そして再び顔を合わせた瞬間私は目を見開いてしまう。


 老人の顔がしゃれこうべへと変わっており、真っ黒な眼窩に青白き光が灯っていたからだ。


 その姿も一瞬垣間見ただけで、先ほどまでの老人の顔にすぐに切り替わったが。


 ……そう言えば、この老人と握手した時、骨と握手したような感覚になった事を思い出す。


 驚きと得心に声が出ずにいたら、いきなりジャックの背後から将魔のフィスルと呼ばれている少女がひょっこりと顔を出した。


「そして、私がフィスル……宜しく、将軍」

「あ、ああ。ジャック殿共々、よろしく頼むよ」

「……ジャックの素顔を見てそう言えるんだから、凄いね」


 フィスルと言う少女は目を丸くしてからそう言いやって、ジャックの背に隠れた。


「驚かせるとは知っておったが、擬態したまま名乗るのもな」

「若、その男は死霊術師が到達する最高峰であるリッチに至った男。ナイトランド以外ではまずお目に掛かれないでしょう」


 背後からリチャードが声を掛けた。


 魔術師か神官が死霊術を極める事で到達できるという伝説上の存在が彼だと言うのである。


 俄かには信じがたいが……私はさらに信じがたい着想を閃いた。

 

「リチャードとは知り合いのようだったけれど……まさか、互いに争った事が?」

「今ではともに老人でございますよ」


 否定も肯定もないが、私はそうだったのだろうと当りを付けた。


 魔族は竜人より寿命が短い。


 だが、リッチは老衰を超越したと伝え聞いている。


 二人のやり取りは魔族と竜人の一般的な関係性と言うよりは、個人的な因縁の可能性があるのだ。


「老人ども、いつまで主役を待たせるつもりだ。今日の主役は儂らでもロガ将軍でもなかろう」


 メルディスがキセルを咥えて苛立たしげに告げた。


 彼女の言葉は正論である。


 私は改めて王妹シーヴィス殿に向き直ると、外交的な迂遠な挨拶をして勇者一行が国境を超える事を許可した。


 許可もへったくれも本来はないんだが、これはそう言う外交上の儀式なので仕方がない。


 長ったらしい儀式も終えれば、シーヴィス殿がほっとしたように息を吐き出した。

 

「こう言うのは肩が凝っていけませんね、師匠」

「誰が師匠ですか。ちょっと補給線についてお話しただけでしょう」

「もう、目から鱗が落ちるってやつでしたよ、将軍のお話は?」


 兄もしきりに感心してましたしとシーヴィス殿はそう言って笑った。


※  ※


 道中はあまり勇者殿たちと話をできる状況ではなかった。


 私は馬上で勇者殿たちは馬車に乗っているのだから当然だ。


 それに、私は別れ際にメルディスが周囲に聞こえないように発した質問が頭にこびりついて離れなかった。


(勇者殿一行は美女も多い。そして、お主の所の皇帝は以前に比べて悪化しておる。勇者殿たちに無体な要求を突きつけたら、お主はどうするのだ、ベルシス)


 私はその言葉にありえないと即答できなかった。


 もし、そんな話になったならば、私はどうする?


 そんな事が起きた時には、命に代えて勇者一行を帝都より逃がさねばなるまい。


 そして、そんな事が起きた時は私も帝国を見限らねばなるまい。


 ロスカーン陛下を斬って死ぬより他はないか。


 先帝や父、それに殿下方には大変申し訳ない事なのだが……。


 一瞬考えこんで私はその様に返答を返した。


 無論、周囲には聞こえないように。


 メルディスは私を見やって、それからゆっくりと頷きを返しただけだった。


 いくら何でも、そんな事は起こらない。


 そう思いたいのだが、先日再開した陛下の顔に浮かぶ漁色の相が嫌でも胸中に浮かんでくる。


 ギザイアは人の心を壊して操る天才なのだろう。


 そして、私は今まさにそんな壊れた権力者の元に恩人たちを案内している。


 何事もなく終わってくれることを期待しながら。


 だが、私の脳裏に囁く者がある。


 事に備えよ、やらずに後悔するならばやって後悔せよと。


 ……そうだよなぁ。


 備えが意味をなさない事も多く経験してきたが、それでも備えなくてはいけない。


 それが私の戦い方ではないか。


 戦争を治め多くの将兵の命を救ってくれた恩人たちに害を及ぼそうとするのならば、陛下に弓引く事になろう。


 ならば、備えなくては。


 淡い期待で不幸の道を進む訳にはいかない。


 万が一死ぬにしても、首が飛ぶのは私だけとせねばならない。

 

 勇者たちは何としても守りきらねばならない。


 そう決意を胸に手綱をきつく握りしめて、私は見えて来た帝都を睨みつけていた。

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