第一幕最終話 レヌ川の戦い(中)

 迫る帝国軍の陣容やその兵数が明らかになる。


 その数はおよそ六万。


 対するロガ領の兵士数はおよそ一万。


 それに私にくっついてきた千二百ほどの元帝国兵士達がこちらの全軍である。


 兵力数は五倍以上だったが、私は若干拍子抜けしていた。


 正直に言えば帝国の兵数は十万は固いかと思っていたからだ。


 四万ほど少ないのはどう言う訳だろうか。


 ひっそりと、しかし急ぎ編成したからか? それとも全く別の理由があるのだろうか?


 ともあれ、兵数が知れれば次は相手指揮官が誰かと言う事だが、これは名前を聞いても何の益もなかった。


 アーリー将軍と言うまったく知らない名前であったからだが、その人物を推薦したのが誰かは分かった。


 トウラ・ザルガナス卿、今はバルアド総督の歴戦の将軍である。


「トウラ卿の推薦……か」

「正確には貴方かカルーザス卿に高級将校として仕えさせてみては、と言う物だったそうですが」

「それがいきなり私の代わり? 引き受けたと言う事は相応の自信があると言う事か」

「或いは、何が何でも出世せねばならない理由があるのかもしれませんね」


 得た情報を伯母上から聞かされながら、言葉を交わす。


 それにしても、伯母上も随分と情報の扱いに長けている。


 商売を奨励するにしても必要な事なのだろう。


 指揮官については不明瞭なままだが、その陣容を見るに機動戦を得意とする様子がうかがえた。


 騎兵の数が全体の一割以上を占めており約八千。


 歩兵四万、弓兵一万、魔道兵二千。


 それに、妙な生物が十数体。


 それがアーリー軍団の陣容だと言う。


 魔道兵の規模が少ないのに比べ、騎兵の数が軍隊規模に比べて多いのが特徴的な陣容。


 ここから見えてくるのは騎馬を用いた機動戦を得意とすると言う相手の性格。


 だが……。


「奇妙な生物ってなんだ?」

「六本足で六つの目がある砂色のトカゲのような物だとか」

「それは……砂鰐ではありませんか?」


 伯母上との会話にリチャードが口を挟む。


 砂鰐……そうだ、砂大陸の滅びた国ガームルで戦獣として使われていたと言う大型の獣。


 兵を数名乗せて砂の大地を踏破する様は圧巻だったと、バルアド総督時代にトウラ将軍が告げていた。


 そのトウラ将軍の推薦した将軍が、ガームルの戦獣を使う……。


「よもや、ガームル王の遺児と言う訳でもあるまいな」

「トウラ卿は砂大陸に何か関係が?」

「良く分かりませんが砂大陸についてはお詳しかった……。ああ、肌の浅黒い老人と話をしていた所もみましたね」


 そうなるとアーリ―将軍とやらは砂大陸で使われる戦法を扱う将ということだろうか。


 決めつけは厳禁だが、砂大陸は川の氾濫が重要な意味を占めていたと聞いている。


 そんな戦いかたをする相手に川の氾濫を用いた水攻めという戦法で果たして良いのだろうか?


 いや、古来より水と火は戦の常道、そうそう破られるとは思えないが……。


「ともあれ、進軍速度を計りながら川の水量を調整しよう。ある程度の距離になったら本格的にせき止める。ただ、水をせき止める以上は決壊などと言う最悪の事態は避けなくては」


 水害は怖い。


 故意にそれを起こそうと言うのだから、計画は綿密にやらねば領民に被害が出る。


 ゆえに、常に進軍してくる帝国軍の動向を把握して工作を推し進める必要がある。


 が、敵は水攻めを想定していたようで、ある一定の距離まで近づけば急に進軍速度を落としてしまった。


 ※  ※


 預かったばかりの軍隊では、行軍速度を上げるのは難しい。


 だが、それでも立身出世を、栄光を求める者は普通は急ぎがちである。


 だと言うのに、このアーリー将軍は速度を緩めたのだ。


 これは帝国軍が慣れぬ大型の獣を随伴させているからとも言えなくはないが、決してそれだけではない。


 アーリー将軍は川の氾濫の怖さを熟知していると考えるべきだろう。


 レヌ川の水位を偵察して例年との違いに気付いたのだろう。


 そうなると、我々に残された選択肢はせき止めた水を放流するか、帝国軍が来るまでせき止められることを信じるか……。


 放流すれば、水位の変化に気付いてアーリー軍団はその行軍速度を上げるはずだ。


 水量が豊かなときであれば再度せき止めても間に合うかもしれないが、まだ雨季には程遠く水はそんなにすぐには溜まらない。


 それに……水攻めの用意があると知っているのならば上流に兵を派遣する事も数で勝る帝国軍には容易い。


 兵力を少しでも分散させる意味はあるが……。


 逆にこちらが水攻めにあう可能性も考慮すれば、私はこの水攻めを放棄せざる得ないと言う結論に達した。


「以上を踏まえて作戦を切り替えることにする」

「敵もさる者と言う事ですか」

「ええ、私が推察するに砂大陸の戦い方に熟知した人物であろうかと思われます」


 伯母上の言葉に私は頷きを返す。


 そもそもトウラ将軍が推薦するくらいだ、能力的には高いに決まっている。


 私かカルーザスの下で経験を積ませようとしていた様子から、経験不足かとも思えたが中々に行軍も堂が入っている。


 こいつは、かなり厳しい相手だ。


「では、レヌ川は放流し防衛線を押し上げて戦うんですか?」


 アントンが問いかける。


「いや、レヌ川の水を有効に使いたい。放流すればその水はどうしても氾濫する箇所が出るだろう。そこに手を加えて敵を嵌める地形に変えたい」

「水攻めを諦めさせたんだ、こちらの思惑通りに動くか?」


 リウシス殿がそう問いかける。


 当然の懸念だが、私は動くと見ている。


 手を加えてやらねばならないが。


「これが互角の兵数であれば無理だろう。だが、こちらは寡兵だ。数が少ない方が決戦の場を定めて待ち構えているのに、数が多く必ず勝たねばならない帝国軍がそれに付き合わないと言う戦い方を帝国の兵士や民が受けいれない。いや、そもそもロスカーンをはじめとした上層部も積極性に欠けると判断するだろうし、当の本人の矜持がそれを許すか」


 私の言葉を聞きシグリッド殿が微かに双眸を細めて頷く。


「なるほど。アーリーなる将軍はいきなり八大将軍に抜擢されても物怖じせずに引き受けました。逸る兵を抑えながら行軍している様子からも並々ならぬものと見受けしられますが、それだけに当人の自負も強い……」

「そこに将軍が噂を流す訳ね、アーリー将軍恐れるに足らずとか」


 不意に窓辺で街並みを眺めていたフィスル殿が口を開いた。


 その言葉を聞きリウシス殿はえげつないと肩を竦める。


「フィスル殿が言う通りそう言う噂を流す。それだけではなく、兵士は負けると思っているから行軍が遅いだとか、アーリー将軍の行軍を兵士のサボタージュに結びつけた流言を流す。そうなれば。いかにアーリー将軍が自身の心を御せても兵士は……」

「分かった、分かった。やはり敵に回してはいけない人物だなロガ将軍は」


 リウシス殿が了解したと伝えると、微かにお道化たように告げた。


 その一連の流れを黙ってみていたコーデリア殿が不意に口を開く。


「それじゃ、アタシは何をしたら良いのかな?」


 その言葉に私は一瞬言葉に詰まった。


 彼女には頼みたい事はある、卓越した武力を持つ勇者殿だから。


 だが、それは戦死のリスクが極めて高い。


 それを頼まなくてはいけないと言うのは、正直辛い物があった。


「……コーデリア殿がお力添えいただけるのならば、是非に頼みたいことがある。数百の兵を率いて川を渡る帝国軍の司令部に強襲を掛けてもらいたい」

「若、それは流石に……」

「強襲?」


 リチャードの制止を聞かずに私はおうむ返しに呟くコーデリア殿に深く頭を下げて、声を絞り出す。


「川を渡り始めれば敵の意識は私に、ロガの兵に向く。その段階で敵の司令部を襲い、混乱を巻き起こしてもらいたい。このような事を頼むのは筋が違う事は重々承知している。だが、私は決して負けられないのだ。だから」

「良いよ」

「無論、そう言うのは当たり前だが、そこは――? 今何て言った?」

「え? 良いよって言ったんだけど、駄目だった?」


 え? 流石に安請け合いが過ぎるんじゃなかろうか?


 死地に向かってくれと言うのに、そんな簡単に……。


「将軍がそれしか無いって思っているんなら、アタシはそれで良いよ」


 そう笑うコーデリア殿の言葉に、私は思わずその手を取って何度も礼を述べていた。

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