第一幕最終話 レヌ川の戦い(上)
不意に左目に痛みを覚える。
その痛みに目を覚まし周囲を伺うと、そこは清潔なベッドの上だった。
生き残った、そう実感する間もなく視界に違和感を覚える。
狭いと言うのもあるが、見慣れぬものが間近に見えたからだ。
「目、覚めた?」
穏やかに微笑むコーデリア殿の愛らしい顔が、緑色の瞳がすぐ側にあった。
「夢を見ていた。つい最近体験したばかりの出来事を……私達は勝ったんだよな?」
そう問いを告げると彼女は小さく頷いき、一層笑みを深めた。
「凄い活躍したの、忘れちゃったの?」
その言葉に、私は先ほどまで見ていた夢を思い出す。
帝都ホロンを追放された私たちがロガ領の主要都市ルダイに到着してからの事を。
※ ※
私が伯母上と合流したのとほぼ同時に、帝国軍がロガに進軍を開始したとの一報がルダイに届いた。
私を追放してから軍を編成したにしてはあまりに早すぎるこの進軍は、あらかじめ予定されていた物であろう。
ガラルに情報を持って帰らせたのも、反乱鎮圧の大義名分を得るための物であろうが、それ以上に決定事項が漏れ出ても構わないと言う意思表示だったのかもしれない。
率いる将軍は私を追放した翌日に八大将軍に就任したと言うアーリーと言う将軍だった。
「伯母上、ロガ領の防衛ラインはどの程度の所で考えておりますか?」
「軍事についてはアントンに任せてあります、貴方ほどではないでしょうがアントンも才能がありますから」
「では、アントン。防衛ラインはどのあたりだい?」
アントンはロガ領付近の地図を広げると、三つほど帝都からの攻勢に備えるための要所を上げた。
「中々良い場所に目を付けているが……。なあ、なんで帝都からの攻勢を考えていたんだ?」
「親父がベルシス兄さんが兵を率いたらどうしようと怯えていたもので……」
「私事で軍は動かさないぞ、失敬な」
「一度罪を犯せば、後悔と恐怖は常に付きまとうものです。ましてや、被害を被ったものが生きており、帝都で力を付けていると知ってしまえば尚更でしょう。ユーゼフは後悔と恐怖から逃れることは出来なかったのです」
アントンと伯母上の言葉に、私は大きくため息をついた。
なるほど、それはそうかも知れない。
私が許しを与えて来た者達の中にも、きっとそいつに囚われている者達もいるだろう。
いつか、寝首を掻かれるかもしれないな。
「でもさ、ロガ将軍は……って、みんなロガさんか。ええと、じゃあ、ベルシス将軍は優しい事で有名じゃない?」
不意にコーデリア殿が口を挟んだ。
唇を尖らせている事から、私が叔父に対して反撃すると思われている事が面白くない様子だ。
どうも彼女は私を買いかぶっているのではないかなと思える節が見受けられる。
……君は私の無策を怒って良い立場にいると思うのだが……。
「ともあれ、この三つの要所から防衛ラインを導き出すのが良いと思うが……彼我の戦力差を考えるとここで決戦を仕掛けるしかないな」
「レヌ川沿いを? でも、そこは最終防衛ライン。ここを抜かれると後は遮るものが……」
「大いなるレヌ川。……暖かくなる季節だが、雨が降るにはまだ早い……。上流を堰き止め、川の流れを緩やかにできるか? 兵をそのまま進ませたくなるほどに」
「……やってみなくちゃ分からないですね」
「伯母上は商人たちに川を使わぬように伝達してください。雨不足で川の流れが悪いと言って」
「川を敢えて渡らせると?」
伯母ヴェリエが訝しげに呟くと、興味深そうに地図をのぞき込んできたリウシス殿が口を開いた。
「半ばまで渡らせ、堰を切り水攻めか?」
「ロガ領に上陸している兵士達は、取り囲み降伏を促す。駄目ならば殲滅するしかない」
「帝国人同士でもそれを行うのか? ベルシス・ロガ、確かに舐めてかかれば手痛い目に合うと言う噂に違わないな」
一族を守るために先日まで同僚だった者達にそこまでやらねばならない。
考えるだに胃が痛くなる、敵も味方も同じ国の人間だ、血が流れるのは嫌だ。
でも、血が流れるのを厭っているだけじゃ守れるものも守れやしない。
「或いは、帝国軍が渡河の最中に少数の兵で司令部を急襲し、混乱に陥れるか」
「どちらの方が損害が少なく勝つ見込みがありますか?」
伯母上の言葉に私は視線を彷徨わせた。
前者の方が味方の被害は少なく、成功率は高いように思えた。
だが、敵の死傷数は並の戦いより跳ね上がるだろう。
こちらは絶対の劣勢、迷う事ではない筈だが私は一瞬言葉が出なかった。
「――前者ですね」
代わりに静かに事の成り行きを見守っていたシグリッド殿が口を開き、私は頷きを返した。
「何を迷う?」
「この戦いに勝利しても、次に迫る帝国軍が復讐に猛り狂っているだろうなと、ね。帝都を席巻する噂は皇帝への愚痴から私への怨嗟に取って代わる事が目に見えている」
「そんな先の事を気にできる状況か?」
「私はそうやって戦ってきた。これからもそれは変わるまい。やらねばならないのならばやるし、きっとやらねばならないのだろうけれど」
リウシス殿の畳みかけるような質問に私は迷う事なく答える。
結局はやらねばならない事なのだ。
水攻めを用いて多くの将兵を押し流す、戦力差を考えれば敵に情けを掛けられる状況でもない以上それが最良だ。
「閣下、下知を頂ければすぐに上流の水を堰き止めてまいりますが」
私に付き従うゼスとブルームが背筋を伸ばして告げる、彼らの言葉は帝都より付き従ってくれた千二百の騎馬と歩兵の混成部隊の言葉でもある。
「……すぐに向かってくれ」
「良いの?」
コーデリア殿が問いかける言葉は、何処か重い。
「先の事を考えすぎて最善手を打てないでは、それこそ私を高く評価してくださった先帝に申し開きが出来ない」
大きく息を吐き出しわだかまっていた空気を肺から追い出せば、私は全員に告げた。
「レヌ川を堰き止め、水攻めを敢行する」
と。
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