第36話 逆撃

 夜半、鎧の音を微かに響かせなながらゆっくりと進む襲撃部隊。


 静かに、音をたてないようにしながらの進軍は時間が普段よりもかかる。


 ましてや、それが明かりも持たない夜の道行きとなれば、余計に。


 相手がいかに油断していようとも、明かりを持った一団が動くのを見れば当然警戒されてしまい計画はご破算だ。


 奇襲とは、雷でなくてはならない。


 突然、天より降り注ぐ雷でなくば最大限の効果は引き出せない。


 だから、奇襲、夜襲の進軍は慎重に、しかし極力急ぐという難しい問題を抱えている。


 地形に関しては当然頭に入れてあるが、昼と夜では受ける印象はまるで違うように感じるのも、歩みを慎重なものに変えざる得ない原因だろう。


 だが、それもなだらかな勾配を登り始めるまでだ。


 明かりが見える。


 帝国軍の陣がこのなだらかな丘を登り切った先にある。


 その為、歩みは徐々に早くなりがちになった。


 敵陣を前にして気が逸ると言うのもあるが、発見されたら劣勢になると言う強迫観念も影響している。


 まあ、見つけられるか、辿り着けるかの瀬戸際だから当然のことだと思う。


 他人事のように言っているが、当然私だって足早になっている。


 二千の戦闘集団が歩みを速めれば、必然的に徐々に、鎧の音が響く度合いが大きくなる。


 そんな矢先のことだ。


 不意に、明かりを持った見張りと思しき兵士が馬防柵の向こうに垣間見えた。


(見つかったか……)


 そうなれば、全力で駆けあがり一気呵成に攻め入るよりはない。


 生き残れるか否かは、どの程度帝国が油断しているかによって変わって来る


 その見張りの動きは良く分からなかったが、その場で見張りが持っていたと思しき明かりがぱたりと消えた。


 その間も私たちはなだらかな斜面を登っていく。


 一気に明かりを灯されて矢の雨が降り注ぐことも脳裏をよぎった。


 だが、見張りの持っている明かりが再び灯り、私たちの方へ向かって合図するように一度だけ三回円を描き、何事もなかったように離れていく。


 その符丁は、かつての私が貧民街を根城にしている少年リシャールと取り決めた符丁だった。


 将軍時代、貴族院の最大派閥と敵対していた折りに敵の情報を集めるのに情報網の形成に取り掛かっていた、その際に取り決めたものだ。


 あの頃少年だった彼は今や立派な青年であろう。


 帝都を追放される前にリア殿に明かした密偵達の一人。


 彼女ならば使いこなせるのではないかと考えてはいたが、予想通り彼女は十全に使いこなしているのかもしれない。


 敵中に密偵を放つのは私にとっては当然の行いだった。


 帝国を離反後はそんな余裕が無く、敵陣い噂を流す程度の策しか使ってこれなかった。


 敵中深くに静かにあり続ける程の密偵、間者はおいそれと育たない。


 かつての情報網にはそれができる者は何人かいたが、リシャールはそのうちの一人だ。


 間者の、密偵の才能は私のような男には値千金の才能だ。


 特に、この一事においては掛け値なしの。


 そんな事を考えているうちに夜襲部隊の先頭が馬防柵に張り付くのが見えた。


 静かに手際よく馬防柵を解体していくその間にも、後続はなだらかな丘陵地を登り切る。


「おぜん立てはしておいたわよ」


 周囲を警戒している私たちに不意に掛けられた声。


 その声には聞き覚えがあるのは当然だ。


 リウシス殿の仲間の一人、リア殿だったのだから。


「おぜん立て?」

「結構な人数が飲んでるわよ、お酒」


 リア殿が勧めたのか? 不思議に思っていると遠くから笑い声が聞こえた。


 宴席のような羽目を外した笑い声に、私は勝機を感じた。


 いや、待て。


 リア殿が今日潜り込んだとしても、いくら何でも見知らぬ女の云う事を聞くか? ゾス帝国軍はいつの間にかそれほどまでに質が下がってしまったのか?


 私がそう問いかけるとリア殿は肩を竦めて言った。


「私は頼んだだけよ、ロガ王から譲り受けた間者の一人、娼館の金庫番カルロッテにね。ゾスの高級軍人に戦場に酌婦しゃくふを伴う奴がいるから娼婦を紛れ込ませたんだって。リシャールと言いカルロッテと言い自分の判断で動いてくれるから助かるわ」


 まあ、カルーザス将軍不在の報告を得るまでは、私も動くに動けなかったけどねとリア殿は笑った。


 彼女は、私以上に間者を操る才能を持っているように思える。


「十全に、どころか私を凌ぐ勢いだな、お見それした。後は、こちらの仕事だ。……酌婦は逃げたか?」

「そっちは任せるわ。……当たり前でしょう、もうトンズラしたわよ」

「結構。……それから、帰り際に糧食でも見つけたら火を放ってくれるとありがたい」

「……人使い荒いわね」


 まあ、見つけたらねと告げて彼女は闇の中へと解けるように消えていく。


 初さや適性を考えるに元々夜の世界の住人だったのかも知れないな、彼女は。


 そんな人物も仲間にしているリウシス殿の懐の深さに改めて感じ入る。


「……陛下」

「ああ、好機だ。一気になだれ込み襲撃を仕掛ける。ただし、撤退の合図は聞き逃すなよ!」

「「「応っ!!」」」


 ここまでくれば何も隠す必要はない。


「全軍、突撃っ!!!!」


 私の言葉に、一人だけラッパを持ってきていた兵士が盛大に攻撃開始のラッパを吹き鳴らした。


 その音色に合わせて、ロガとカナトスの混成夜襲部隊は、ゾス帝国陣へとなだれ込んだ。


 突然吹き鳴らされたラッパの音。


 だが、誰かが我々の陣への威圧を行っているとでも思ったのか、ゾス帝国軍は当初非常に緩慢な反応を返すのみであった。


 が、程なく我々が各天幕になだれ込み、火の手が上がると蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。


 酒を飲みおぼつか無い者、油断して寝こけていた者、真面目に見張りをしていた者とそれぞれいたようだが、一気に広がった混乱はその全ての者達を飲み込み一層激しく場をかき乱す。


 私は、当初ゾス帝国軍が夜襲を仕掛けて来た時のように、ほどほどの混乱を引き起こしてから兵を退かせる。


 こちら側の負傷者は数多いたが、死者は僅かに十を数えるほどで済んだ。


 ゾス帝国軍の被害がどの程度かは分からないが、私はコーディが目の前で二十人は斬ったのを見たし、私自身も五人は殺したように思う。


 戦場で剣を振るうのは慣れない、人を殺すのはやはり嫌だ。


 だが、私に付き従うと決めた者達の為には、そうは言っていられなかった。


 ともあれ、逆撃を叩きこむ事に成功した私たちは、空が白じむ前には自陣に帰る事ができた。


 ゾス帝国は今回の襲撃を受けて流石に懲りたのか、以前のように頻繁に進軍合図を出す真似は止めた。


 痛手を被ったからこそ、逆に激しく進軍の合図を出すのが得策かと思えたが、将軍不在の為かそんな判断ができる人材はいなかった様だ。


 どちらであるにせよ、我が方の兵士が夜眠る時間が取れるようになったことは誠に僥倖ぎょうこうである。


 まあ、膠着状態は変わりがないんだけれど。


 等とのんびり構えたのも束の間、遂に私の元に来るべき一報が届いた。


 カルーザス将軍の別動隊がルダイ攻略を開始した、と。

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