ロガ領での日々(幼少期から少年期)

第3話 ロガ家の嫡子、老いた竜人と出会う

 次に私の脳裏によぎったのは父母や一族と共に暮らしていた幼少期の日々の事だ。


 今の人生は、過去と言うのか妄想と言うのか、その世界よりは遥かに文明のレベルとでも言うべき物が低いように思われた。


 妄想世界の歴史においては五百年は遡るのではないだろうか。


 妄想世界にあったほとんどの道具は使えない、遠隔地の事を見せてくれる四角い箱も遠距離の相手と通話ができた道具も、多くの計算を一瞬でしてくれた道具もここにはない。


 それどころか、街の明るさからして違っているが……妄想だとしたら私は何処でそんな世界の着想を手に入れたのか。


 だが、神は奇跡を起こし、魔法を使う者が存在するこの世界で私の妄想世界のような未来が訪れるとも思えない。


 道具はなくとも、個人の能力が遠隔地の情景を映したり、遠方の相手と通話を可能にしているのだから。


 もしかしたら、子供心に魔力のある者達だけが使える魔術を皆が使えるような代替えの道具を夢見ていただけかもしれない。


※  ※  ※


 私はゾス帝国の中枢を担うロガ家に生まれた。


 ゾス帝国は最も精強な国であり、その版図はガトと呼ばれるこの大陸の半分と、異大陸バルアドの三分の一を占めている。


 それは世界の三分の一を、ゾス帝国が支配していることを意味していた。


 これほどの強国の中枢を担うと言う事は、まあ、どう言った所で私は裕福な家庭に育ったと言う事だ。


 飢えて死ぬと言う恐れがないと言う事はありがたい事だし、父母も穏やかな性質で私は幸せであった。


 ただ、ロガ家は巨大な版図を軍事的に統括する立場の帝国八大将軍の要職を担わねばならない家系。


 いかに穏やかな性質の父と言えども、敵が多くなるのは必然だった。


 父の政敵か帝国に恨みを持つ他国の差し金か、母と私が乗った馬車が襲われたことがある。


 その時に、私は後の教育係となる竜人リチャードと出会った。


※  ※  ※


 リチャードとの出会いは、恐怖の最中の出来事だった。


 揺れる馬車、私をしっかり抱きしめていた母のぬくもり、御者の切羽詰まった声、そして止まれと騒ぎ立てる男たちの声。


 政争の結果なのか、他国の刺客か、あるいは単なる野盗だったのかは分からないが、母と私を捕えようとしていたのだろう。


 貴族の子弟となればその身柄すら金になる。


 当時はまだ四、五歳のころでそんな事は分からなかったから、ただひたすら恐ろしかった。


 母はそんな私をぎゅっと抱きしめながらも、取り乱さずに気丈に御者に指示を出していた。


 普段はおっとりしている母だったが、窮地にあっては力強さを兼ね備えていた。


 父にも言えるが、父母の事は今考えるとひどく美しい思い出として覚えている。


 若くして夭折ようせつしてしまったからだろう。


 私に対しては惜しみない愛情を注いでくれた、今となってはどれ程懐かしもうが決して出会う事が無い人たちに対する想いが、必要以上に父母を美化しているのかもしれない。


 だが、ともあれ母はこの時に亡くなったわけではない。 


 御者に指示を飛ばしながらも、武家の女の嗜みで剣を振るえたから、私を抱きながらも護身用の剣をその身に引き寄せていた。


 だが、結果として母はその剣を鞘から抜くことはなかった。


 たまたま通りすがった流浪の民である老いた竜人が、賊を全て撫で切りにしてしまったからだ。


 それまでの少ない人生経験では想像もできない程に、老いた竜人の強さは全てにおいて格が違った。


 大男の背丈はありそうな大剣を流麗に振るうのだ。その切っ先が、流れ水のような滑らかさで空を切り、賊を切った。


 馬上の賊が、徒歩の剣士に敗れた訳だが、あの剣ならばさもありなん。


 それほど巨大に見えたし、そいつを軽々と振るう竜人の強さも計り知れないものがあった。


 全てが終わり、返り血一つ浴びていない竜人が、謝礼も求めず黙って去ろうとすると、母は馬車から降りてその背に謝辞を告げた。


 私も竜人の背に思ったことを投げかけていた。


「竜のおじいちゃん、ありがとう! でも、代わりに人を殺させてしまってごめんなさい!」


 その言葉が思いも掛けなかったからか、老いた竜人は驚いたように振り返り、それからからからと笑った。


 ひとしきり笑った後に、老いた竜人は馬車の側面に描かれた紋章を見やり、ふむと考えた後に母に言った。


「ロガ家の奥方とお見受けいたします。ご子息は情に篤いお方の様ですが、今のままでは武家の嫡子としては甘いと付け込まれましょう。奥方様さえ宜しければ戦士の心構えなどお教え致しますが?」


 貴族階級において子供に教育係をつけるのは当然とされている。


 母もそろそろと考えていた矢先の事であり、なにより人よりも遥かに長命で多くの事を知っている竜人を教育係に迎え入れる等、よほどの幸運が絡まねば不可能な事。


 二つ返事で老いた竜人を迎え入れた。


 その老いた竜人こそがリチャードである。


 私はリチャードとの出会いが示す通り、戦い自体が好きではなかった。


 人が殺したり、殺されたりするのは大嫌いだ。


 だが、ゾス帝国の中枢を担うロガ家に生まれたその意味を理解はしていた。


 私の将来は戦争に参加して、敵味方に死ねと命じる将軍と決まっていると言う事を。


 それに反発したことはないが、時々それしか無いのかと諦めにも似た気持ちを抱いた事が思い出される。


 ……いや反発などできるはずもない、飢えや貧困から守ってくれた家の力で成長したのだから、当然、家の義務も果たさねばならない。


※  ※


 そんな私にとってリチャードは実に得難い教育係だった。


 竜人とは竜の顔に人の体、背中には竜の翼をもつ偉丈夫たちで、リチャードは顎に豊かな白いひげを蓄えている。


 その鱗の色は鮮やかな緑色で、双眸の色は深みがかった金色をしている。


 かつては竜人と魔王が率いる魔族とが争った竜魔戦争に参加した事もあったと言うのだから、いったい今は何百歳なのか。


 竜人、魔族共に人間よりはるかに優れた力があるから、その戦争すら半ば神話じみて伝えられていると言うのに。


 最も、結局その戦争から数百年もたてば人間が一番版図を広げているという結果は皮肉と言うべきなのだろうか。


 彼らの数は人間に比べて少なく、特に竜人はその数が少なかったから必然でしょうとリチャードは笑っていたが。


 竜人たちは戦争後は極端に数を減らしてしまい、今では流浪の民として世界を彷徨い歩く事を常としたようだが、リチャードは我が家を終の棲家と定めてくれた。


 彼は竜人たちの中でも長老と呼ばれるような年齢に達していたから、落ち着けるところが欲しかったのだろう。


 ともあれ、あの時からずっとリチャードは私と共にある。


 戦争なんてしたくもないが、それでも戦争をせねばならない私には、彼より心強い味方はいなかった。

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