第8話 グラードの名
色々と思わぬ動きがあったがカナギシュ王国で私の立場は何も変わっていない。
タナザの示した期日までは時間があり、戦端はまだ開かれてもいないのだから変わりようなどないのは当然と言えば当然の話だ。
そんな事を考えるよりも私はこの時代の戦いの常識や補給の在り方を頭に叩き込まねばならない。
常識を知らねばその裏をかくことは出来ない。
奇襲などと言う物は何も知らない者が常識はずれな行動を取ったのではなく、道理を知る者が敢えて危険を犯して行う策だからこそ効果があるのだ。
そんな訳で私は知識を蓄えながら補給案に修正を加えたり、運搬する馬車や馬の様子を確認したりと過ごしていた。
そんなある日、私を訪ねて一人の男が訪ねて来た。
名をルーベンと名乗った男は、仕立ての良いスーツを着た壮年の男だ。
痩せて背の高い男で屈強さは無いが、どうにもある種の凄みを感じさせる。
いわゆる裏社会の人間って奴かも知れない、表向きは新聞記者を名乗っていたが。
「さて、ルーベン殿は私のような人間に何用でしょうか?」
「余計な挨拶は互いに不要でしょう。私の用件は一つ、ベルシス殿に置かれてはポルウィジアで結構な金が動いているのはご存じですかな?」
「……新聞の記事?」
「そうです」
「生憎と私もカナギシュも何も仕組んでいませんよ、ポルウィジアではね」
私の言葉を聞くとルーベンは鋭いその目を細めさせた。
「ポルウィジアでは?」
「近場では動くでしょうよ、常識的に」
私は別段隠す事も無いと言葉を紡ぐ。
そんな私の意図を測りかねたのか、一層双眸を細めさせたルーベンはなるほどと呟き。
「では、ポルウィジアではどこから金が出ていると?」
「ナイトランド、或いはローデンではないかと。ただし、その意図は不明ですね」
「……あなたが画策したのではないと?」
「今の私は兵站立案に忙しいのですよ、他国の動きに期待がないでもないが、まず自分の出来る事を行い備えなくては」
それに、それ以外に金を出す心当たりが無いとあけすけに語った。
背後で控えているリル准尉がだいぶ渋い顔をしているのが想像できるが止めに入らないと言う事は、許容範囲と言う事だろう。
「単刀直入にカードを切るものですな」
「伏せるだけの価値がないカードですからね、時間の方が惜しい。まずければ後ろの情報部員が止めるでしょうし」
「これは……なるほど。ベルシス殿はカナギシュの外交官に今までいなかったタイプのようだ」
そう告げてから微かに笑みのような物を浮かべてルーベンは口を開いた。
「グラード社との繋がりを調べに参ったのですが、空振りだったようだ」
「グラード社?」
私が首を傾ぐとリル准尉が補足するように告げた。
「例の新聞社ですよ、ポルウィジアの」
「社長は結構な倹約家、人付き合いも悪い人間だったがここ最近ある一点に関してすさまじい程精力的に動いているのです」
「……まさか、私に絡んだこと?」
「左様。グラードと言う名に心当たりは?」
ない、訳がない。
リウシス・グラード、三勇者の中の黒一点、あの丸い身体で良く動くリウシス意外に心当たりがない。
「あるにはありますよ、でも、それは……」
「あなたがベルシス・ロガであるならば、グラードを名乗る者に対する心当たりが一人いるのは当然でしょう」
ルーベンは静かに頷いてからこう切り出した。
「グラード社は元々はガト大陸より流れついた商家の末裔が興した会社です。元々は交易を活動の中心に据えていた。それが近年事業内容を転換して新聞発行を開始した」
そう語るルーベンはまっすぐに私を見据えて告げる。
「政治的な主張は薄く、センセーショナルな記事もない地味な新聞。それがグラード社の新聞の印象だと聞いております」
近年発行を始めながら特定の政治主張も少なく事実を淡々と書き連ねる新聞では売り上げはさほどでもなかったようだが、それでもグラード社は主軸を新聞に切り替えた。
そして、数年の潜伏を経てから徐にベルシス・ロガについて書き始めたのである。
何事も淡々に、それこそタナザの侵攻についても冷静に書き連ねていた新聞社が、徐にベルシス・ロガについて紙面を割いて書き連ねた。
まるで私と言う存在が表舞台に出た途端に呼応するように、グラード社は精力的に動き出したのだとルーベンは言う。
私が水面下で何かを画策していたのではないかと思ったのですがねと告げるルーベンの表情からは、その心情は測りしれない。
「……それで、ルーベン殿はグラード社が何を考えて動き出しているとお考えで?」
「かつてベルシス・ロガは情報に重きを置いていたそうですな。そうであればあなたが本物であれ偽物であれ、当然情報に重きを置くでしょう」
つまりは、私が何かを画策していると多分ポルウィジアの情報部員であるルーベンは考えるも、確証は無いと言った所か。
「ただ、あなたが動いたにしろカナギシュの情報部が噛んでいるにせよ痕跡の一つも残さず動けるはずがない。証拠にはならずとも誰かが動いた痕跡だけは残る。その筈なのにグラード社においてはそれも無い。ゆえに直接聞きに来たわけですよ」
恥も外聞もなくね、そう告げるとルーベンは息を吐き出して苦い笑みを浮かべた。
その表情は素であろう、まさか仮想敵相手に直接聞くなど愚の骨頂だからだ。
そんな事をしたのはノーマークだったグラード社の動きに気付かなかったポルウィジア情報部の後悔の表れかもしれない。
「経営者の変更などは? それはなくとも例えば私の様に他所から誰かが入ってきたとか」
「それはつまり、あなたを追って時を超えたと言われる勇者の一人が現れたとお考えで?」
「普通は想像すらしませんがね、そんなこと。ただ生憎と私はその普通じゃない事を経験してしまっている身の上でして」
私が意見を述べると彼はゆっくりと首を左右に振った。
「近年で言えば女記者を一人雇っただけですね。それも下町育ちらしく明確な戸籍もない。怪しいことこの上ないが、特に尻尾は出しておりませんな」
その言葉に私はある人物の顔が脳裏によぎった。
私が自身の情報網を手渡したリア殿だ。
なぜ彼女を思い出したのかは分からない。
下町育ち、つまりは下層民らしいと言う女記者の出自に盗賊をしていたと言う彼女の事を思い出しただけかも知れない。
「その女記者の容姿はどの様な? もしや茶色い髪のショートヘアで……」
私は確認の為に問いかけ、ルーベンの答えを聞くと何故に彼女を思い出したのか悟った。
直感だったのか、偶然か。
ともあれ、その容姿はリウシスの仲間の一人リア殿によく似ていた。
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